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内なる自然を考える。

盆栽といえば、「自然」という「音」がよく出てきます。

盆栽らしさと自然らしさが相まって、云々・・・。という事なのでしょうが、ちょっと待って下さい。

じゃぁ、その「盆栽」って何?その自然って何?

そんな事考えるまでも無いのかもしれないけど、唐突にこの質問をされて、深く応えられますか?

「盆栽」については、日頃から僕は記事に書いているので、現在進行形であるのですが、盆栽を考える上で外せない事「自然」についても、やはり出発せねばならないと、そう思うのです。

以前からの発言も出てくるのですが、改めて「自然」、「盆栽で言うところの自然」についても考えてみようと思います。

まずは辞書を紐解いてみると、

(名)
[1] おのずから存在してこの世界を秩序立てているもの。山・川・海やそこに生きる万物。天地間の森羅万象。人間をはぐくみ恵みを与える一方、災害をもたらし、人間の介入に対して常に立ちはだかるもの。人為によってその秩序が乱されれば人間と対立する存在となる。

・ ―を破壊する

・ ―の猛威

・ ―を愛する

[2] 人や物に本来的に備わっている性質。天性。

・ 楽しい時には笑い、悲しい時には泣く、それが人間の―だ

[3] 〔専門〕 哲
〔補説〕 nature
古代ギリシャで、他の力によるのではなく自らのうちに始源をもち生成変化するものの意。ここから人為・作為から区別されたありのままのものの意にもなり、事物に内在する固有の本性ないしは本性的な力の意ともなる。また中世では、被造物一般のことであり、さらに神の恩寵(おんちよう)に対して人間が生まれつき具有するものを指す。
(大事林参照)

・・・むむむ、なんだか頭が痛くなってきました。

でも、屁理屈になりますが、言っちゃえば自分で存在しているのは太陽くらい?そもそも太陽でさえ宇宙が無きゃしょうがないのだから、宇宙くらい?そもそも宇宙だって、なんの因果で存在しているかわからないのだから、自ずから存在しているものとは一体?

・・・いけません、本当に頭が痛い。

けど、っていう風に考えていけば、「自ずから存在している」ものってのは、この宇宙探したって無いんじゃないのか??

逆に考えてみると、もしかしたら、すべてが何の因果も無く「自ずから存在している」のかもしれない?

・・・こういった話はとりあえず、ここまでにしましょう。

さて、僕は自然というのは、一人一人の心の中にあるものだと思うのです。

絶対的な「自然」という考え方は、僕には到底わかりっこないし、巷にあふれる自然とは、都会の対義語で使われるぐらいの事でそこまで突き詰めて使っている人は少ないでしょう。僕も含めて。

僕たちは生まれた所もちがければ、育った環境もちがうわけですが(某アイドルグループの歌詞のようです)

それ故、自然という考え方も景色も人それぞれ違うわけです、当然ながら。

四季が無いと不安に思う人、暖冬で喜ぶ人。

風が強い山の樹を知っている人、表参道の古いケヤキ並木を知らない人。

故郷を思えば、必ず柿や栗とは限らず、海を思えば黒松とも限りません。極端な話、国を思えば、バオバブの木、海を思えばマングローブもまた、同じ事。

だからこそ、本来ならば、表現される自然は人それぞれの個性があっても、何らおかしくない事なのです。

僕のような田舎の人間のいけないところは、都会の人間が「自然を知らない」と決めてかかる事です。

僕は、そういった言ってみれば「都会育ち」の人たちと接して気がついたのは、実に豊かな自然観を持ってい人達がたくさんいることです。

それってば、何も「田舎の自然に憧れてます」的な話ではなく、

その人が持っている「独特な感性」を知ることが出来ました。

押し付けの自然に依ることなく、しっかりと都会の中にあって自然をたのしんでいる事に感動しました。

それは、ほんの一瞬垣間見せるわずかな出来事に対して、とても大きなふくらみを持つ感性といいましょうか、

昔の都人が歌を歌ったように・・・。

もちろん、世界中の景色を見れば見るほど、楽しみは増える事も確かです。

極論、四方をコンクリートに囲まれた部屋で、あなたは風を感じる事が出来ますか?

僕はそこまで精神がぶっ飛んでないのですが、ちょっとばかし「コジャレタ盆栽」があれば、風を感じて思わず前に屈んでしまうでしょう。

盆栽そのものが人工か自然かではなく、何が表現されているか?

盆栽は人工物という解釈は、決して間違った意見ではないと思うし、盆栽は自然そのものというのも決して間違ってない。

それを決めるのは、モニターの前のあなたたちです!!

(これまたどこかで聞いたフレーズ)

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見つめ直してみる。

僕の記事があまり観念的なので、ようするに「能書き」と解釈される事があります。

結論から言えば、その人の解釈されるがままです。

まず、技術的なことで言えば、僕は、実際に仕事をしたり、良い仕事をする人の実際の現場を見るなりしなければ、本当にその要領を得るってのは難しい事だと思っています。

僕がブログに自分のした針金仕事を載せない理由は大きく二つです

1つは、そういう立場じゃないから。ようするに、自分の所有物でない商品を勝手に載せる事は出来ないこと。

2つめは、先に述べたように、技術は写真と文字で伝えることに限界があるから。仮に、それを真似した人が樹を枯らしても、僕は「○○所属」ですから、僕以外の方にも迷惑がかかるという事です。

もちろん、程度の問題で言えば、僕なんて大した事無いのは事実です。

ですから、言葉を中心に記事を書いてるし、手入れの話も、考えるキッカケであって、成功する方法なんて1つも書いてるつもりありません。

技術や知識は、どうしたって経験や授業料で差が出てしまうものです。初心者や上級者というのは、この辺の解釈でしょうか。

けれど、感覚の問題は別で、その人がもってる本来の価値観、自然観に基づいていますから、一人一人個性的な考えをお持ちですし、そういった部分で盆栽を語り合うのも面白いなと思うのです。

もっと突き詰めれば、その人の世界観を何で表現するかという問題だと思います。

僕は歌や詩、音楽で表現している人や盆栽で表現する愛好家さん達とふれあう事で盆栽というでなく、僕自身の感性を磨くこの上ない経験をさせてもらっていると思っています。

だからこそ、その都度ちゃんと足もと見つめ直す。

皆さんと、皆さんの盆栽にとっての「調味料的存在」。

これがこのブログの基本コンセプトってヤツなのですから。

というわけで、最近僕の周りは慌しかったけど(もちろんリアルな世界の話)、もう一度ブログの方向性を見つめなおして、楽しく盆栽を綴っていきたいと思います。

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シンパクの植替えは・・・。

今が頃だかんねー。

というのも、シンパクは暖かくなってから植え替えると、夏前に「トヤ」っていって元の古葉が一気に赤くなる事があるんだけど、

そいつが出ると、がっくり「さく」(樹勢)が落ちます。

だから、今この時期が適期。さらに言うと今年は暖かいから尚更です。(南関東の話)

桜が咲く頃、松柏(しょうはく)の植え替えの時期ですが、シンパクは今の方が良いのです。

ただ、植え替えても、すぐに外に出さず、他の保護している樹同様、乾風に気をつけて、葉水を打ちながらゆっくり外の空気になれさせましょう。

植替えしてからの2、3週間は特に注意がひつようですよ。

以上、ちどりのお手入れ適期情報でした。

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ちらほら植替え、ちゃっかり挿し木

国風展が終わりました。

盆栽屋さんが一年で一番活気づく時、また来年、みんさん遊びにきてくださいね。

さて、国風展も終わり、梅の花が散りゆく頃(今年は早いけど)、雑木の冬芽がほころびはじめます。

雑木の植え替えは、ほころび始める前が適期です。今年はこの時期が適期になりますね。

るねさんすでお世話になった方は、以前のコミュの植替えトピを参照にしてください。コピーし忘れた方には送るんで、連絡ください。

そんで、植替えでの注意点は、やはり乾風ですね。春一番ってのはほんとデンジャラスな風ですね。

雑木の場合、できるだけ古い土を落としてあげるんですが、水の管理に自信が無い人は、周りの伸びた根っこだけ崩して植替えるといいですよ。元までほぐすと、それだけ後管理も難しくなります。

それと、いまどきな仕事として、挿し木なんていかがでしょう?

樹種にもよりますが、どうせ捨てる枝ですから、思い切って芽だし前のこの時期にチャレンジしてみましょう。

僕は普段の仕事とは別に、アパートのベランダで盆栽を楽しんでいます。将来増えるであろう、盆栽ベランダ-さんに色んなアドバイスができるかなと勝手に思い込んでいるので・・・。

ってなわけで、シンパクを挿し木しました。↓

070216_211901 暗くて見えないのは、シンパクが霜焼けしてるから。

冬のスギ林が赤茶けているあれと同じ事です。

ビニールを二重にして、乾燥と乾風から守ります。そんで、日光があたると中の温度が上がりすぎるから、上から黒い薄布か寒冷さ(Hセンターで売ってるヤツ)かぶせて、温度調節します。

もう少し暖かくなると、温度が上がりすぎるので、風の無い日は空けてあげます。

ベランダ-なら、初めから風が当たらない工夫も大事です。

管理が五月一杯まで続きますが、その間、気が置けない状況が楽しいんです。

秋か来春に、根っこが生えたベイビーたちに出会えた時の歓びったらありません。なんせ、新しい物語が始まるんですから。

ってなことで、そういえばあれから一年経つんだなーって思います。毎日色んな質問に答えるのが楽しくて、あっという間の一年でした。

先日、みっちゃんから、去年送ったうちの働く盆栽園で成ったサンザシの種が、芽を出したってメールがきました。

こうやって、友人から届く感動の一つ一つが、とてもうれしいです。

僕の知らないところでも、新しい物語が始まっているみたいです。

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盆栽のお蔭様です

昨日国風展の会場で、以前からネットでお世話になってる方とご一緒にまわりました。

はるばる東海地方から、国風展を見にきてくれるなんて感謝です。

というわけで、午後会場でその方とご友人と待ち合わせ、3人で会場へ入りました。

僕のツタナイ解説ではとてもチンプンカンプンだったと思いますが、こういった機会に恵まれて僕自身も至らない部分を痛感し、また勉強させていただきました。

その方の夢は、盆栽をリハビリの患者さんとのコミュニケーションに役立てたいとの事で、その話を聞いて僕もとても感動しました。

たしかに障害者やお年寄りのかたに、太い針金を巻けったって大変ですが、本人の腕が動かなくったって、その人の腕に変わってあげる事は出来ます。

共同作業で樹を作っていけば、必ず本人も楽しんでくれるのじゃないか?そう思っています。

もちろん現場を知らないぼくの意見ですから、あくまで想像でしかないですが、せっかくの志を応援したいなと勝手ながら思ったのでした

話はそれてしまいましたが、国風展を楽しく鑑賞して、またいつか会う日を約束して駅で別れました。

こうやって色々な人としかも全国規模でやりとりできるのも盆栽のおかげ。

そして、僕のつまらない話に耳を傾けてくれる皆さんのおかげだと感謝するのです。

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夢湖鉢っていうんです。

ついにYumekobachi2Yumekobachi1  国風展の売店でゲットしてきました↓

不思議なもので、本人には会えなくても、作品を前にすると直接対面しているような気持ちになるものです。

どんだけ夢湖さんの事知ってんだよ!って突っ込まれてしまいますが、そういう事じゃなくて、なんかこう「こんにちは」みたいな。

盆栽に対面したとき、その樹の自生する風景と出会うあの感覚にもにたものでした。

種類はたくさんあったので、迷ってしまいましたが、選んだのは上の写真の二枚でした。

どちらも急いで樹を植えるのはもったいないので、ゆっくりと待って樹と鉢の一期一会の瞬間に出会いたいと思っています。

夢湖さんの鉢は、今までの鉢と違って、とても個性的な印象をもちます。

それだけに鉢合わせも考えさせられるものもあるのですが、それが楽しい。

「そうきましたか!」「これでどうだ!」

僕はイメージの世界で夢湖さんの感性と語り合っているのかも。  至らない美意識で恐縮ですが。

なんともキモイ妄想族のおじさんのお話でした。

ちなみに植物流転にも写真載せました。                

それとリンクの「Bornsaiな人々」で夢湖さんのサイトにもお邪魔できます。

ぜひどうぞ。

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命だよ、それ。

僕は最近疑問に思うことがある。

ブログやSNS内では、盆栽に針金をかけたりして、すぐに写真を載せる人が結構いるんだなと思いました。

針金をかけて、姿を変えるのは楽しいです。僕は、あるいみそれでご飯頂いてるわけです。

でもどうでしょう?                              その前に何故針金をかけるか、もう一度考えてみましょう。

結論から言うと、樹の成熟をはやめるために、針金掛けがあります

まず若い枝は本能で将来優位なポジションを得るために、上へ上へと伸びます。

そして、盆栽は殆ど樹としては青年期です。黒松でも、成熟に至るまで自然環境では大体100年前後かかりますが、樹齢100年を経た盆栽は黒松に限らず殆どありません。

ですから、何らかの仕方で枝を下げても、本来の潜在能力が表にでて、枝がまた上がってきてしまいます。

盆栽は以前の記事「大樹の相」で書いたように、自然の老大樹の姿をたのしむためには、この性質は不都合なわけです。

ですから、この性質を抑制するためにも、枝きり、芽摘み、根きり、そして針金があります。

だから、枝を針金で下げると、枝の成熟が早くなり、花や実つきが良くなります。

枝で作られた栄養分が、枝に残るわけですね。

そして、自然な状態だと、優位なポジションを取れなかった枝が弱ってきます。

針金で枝をひろげてあげると、枝に満遍なく光が当たるので、弱い枝が助けられたり、フトコロ部に芽をもつことがあります。

盆栽は小さな鉢で長い年月大きさを維持するわけですから、こういった元の芽を充実させて、先に行った芽を追い込み、その繰り返しで大きさを維持するわけです。

簡単に言うと、グ-にした腕を電気や日光の前でパーにしてください。手のひらにたくさん光が当たるでしょう?そういう事です。

針金掛けのもっとも大事な意味は、この上に上がってきて、グーのようになった枝先を、パーのようにひろげて、枝に満遍なく光をあてる、この作業なのです。

人間だってアンチエイジング、大好きじゃないですか。

でも、実際この仕事をしている人って少ない。

盆栽の手入れは使い方によっては、愛のムチにもなるし、体罰にもなる。針金掛けは特に厳しいしつけである。

興味本位の針金掛けは、なんで廊下を走ってはいけないかわからない子供を、いきなり殴っているようなものである。

だいたい「改作しました!」って、それが原因でその後枯れちゃったら、それは失敗だよ。

載せたい気持ちはすごくわかるけど、ちゃんと芽が動いて枯れなかった事を確認してから、載せるべきだと思う。

雑誌で仕事の後すぐに載せる場合は紹介されてる仕事は、あくまでそれを熟知しているプロだからである。

しかもプロだってギリギリの仕事をすれば枯れることはある。そんな仕事は普通記事に載せない。

興味本位で真似されたら困るからである。

樹は生き物だから、いずれ必ず枯れて死にます。「真似したら枯れた!」って苦情を言う人もいます。考えてください。なんて悲しい事でしょう。

大事なのは大仕事の後の後管理であって、曲げるだけなら誰でもできます。

その誰でもできるが落とし穴なんだ。

針金掛けで興味をそそって盆栽を広げようという考え。        

僕は反省しなければならない。

どうしても掛けたいなら、しっかりとしたアドバイスをしてくれる方(プロ、アマ問わず)にちゃんと指導を受けるべきではないでしょうか。

針金かけなんて出来なくても、芽摘みや枝抜き、植替えで自然態の樹形は維持できるわけだし。

第一さ、命だよ、それ。 

↓参考にしてみてはいかがでしょうか?

http://www7.ocn.ne.jp/~toyoan/index.html

http://www.iris.dti.ne.jp/~kyukaen/index.html

       

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早くもムロだし

こうも暖かい日が続くと、ムロの中で木々の芽が動き出してきます。

今の時期に芽が動いてしまい、寝ぼけ眼の樹をいきなり春先にムロから出すと、春一番や遅い霜にやられて、芽がいたみかねません。

ですから、芽が動きださないように、ムロより寒い外にだしたというわけです。

逆にいえば、去年の今ごろでいうところのムロよりも、外の方が暖かいんじゃね‐か?という状態です。

「二月だからムロ」これはやめましょう。盆栽は数字にとり憑かれてはいつまでたっても上達しません。あくまで状態で観察し、自分の頭で考えることが大事なのです。

ただし、今回外に出したものは、植替えしていないものに限ります。それと、元々寒さに弱い樹種もまだ早いです。

土がしまってない状態で鉢が凍ると、表土が盛り上がり、鉢内がグスグスになってしまいます。さらに、植替え時に根を捌いた樹は上下のバランスが上手く取れない状態で乾風にあたると、一気に枯死する恐れもありますので。

もうすこし、もうすこしだけ、眠っておくれ!

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雪の降らない日々

これは去年の実家の写真です。

去年はこの時期こんなにたくさん降ったのに・・・・。

今年は田舎も雪が無いそうです

ちなみに、この写真は植物流転でみれます。

先日、三井記念美術館で、念願の円山応挙の「雪松図」を見てきました。http://www.mitsui-museum.jp/collection.html

テレビで見たときから、その印象に衝撃を受けて、是非生でみてみたいとずーっと前から思っていたのです。

芸術に疎いので、素人解説は省きますが、とにかく感動して、勝手に色んなイメージを膨らましながら、屏風の前に一時間以上立ってました。妄想族ってやつです。

僕なんてのは所詮美意識なんてもってませんで、こういった見た瞬間ブワッと自分の中でイメージが広がったらそれが好きなのです。

雪松図をみて、東京のど真ん中日本橋で、田舎の盆栽棚にシンシンと積もる盆栽を思い起こし、ど田舎の冷たく透明な朝の静寂に浸る。

あー、母ちゃんの作った漬物くいたくなった。   

トラックバックさせていただきました↓

http://star86.cocolog-nifty.com/blog/2007/02/post_d41f.html

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次なるチャレンジ

先日、日本園芸福祉普及協会に入会しました。↓

http://www.engeifukusi.com/

休みは殆どとれないけれど、そんな理由を頭で考えているうちはいつまでたっても頭でっかちのままだと思い、思い切って入会したのです。

時間が合えば、可能な限り活動に参加していこうと考えています。

あまり大きな志で先行せず、まずはそういった未知の分野を知る事だけでも十分入会の価値があるなと思っています。

入会理由としては、

偶然図書館で見かけた協会の図書を拝見させて頂いて、僕が携わる盆栽が、園芸福祉というカタチで何か貢献ができるのではないかと思い、この協会に入会をしたいと思いました。正直、まったく勉強不足で、実際の現場も体験したことすらないので、園芸福祉の現場で活躍する多くの方々との交流を通して、いろいろと学ばせていただけたらいいなと思っています。どうぞよろしくお願いします。

あくまでそこに自然を求める人あれば、僕はそのメッセンジャーとして、草や樹と協力して、なにかのお役に立てたらいいなと思っています。

もちろん、僕が盆栽で食べていくその事とは、また関係のない話だと、そう解釈されても仕方ありません。僕自身も、これで食べてくとかそういった事を考えているわけではありません。

まずは知ること。そして、その状況にたいして「考えるキッカケ」との出会いを求めているわけです。

僕は何度もいうように、盆栽は晩年にこそその楽しみがあると思っています。

今回の入会は、そういった意味でも、生の現場に飛び込んで汗して得るものがあるのではないかと、

今からドキドキしているのです。

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国風展

明日から来週の金曜日まで東京都立美術館で日本で唯一、選考審査のある展示会、国風展が開催されます。

戦前から開催される歴史の古い権威ある展示会です。

何はともあれ、いくべきでしょう。

千代田線の根津駅近くにある上野グリーン倶楽部では、新春盆栽大市も同時開催されるので、ぜひのぞいてみてください。

僕ももちろん行きます。

お祭り気分でいらしてくださいね。

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イメージの旅2007

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闇夜のシンパクの画像を反転してみました。

水墨画のようなタッチになって、おもしろくなりました。

先日、知人に頼んでいた、某SNS内で楽しんでいたBornsaiるねさんすの全記事のコピーが送られてきました。
10年前のパソコンでは、CDにデータを焼くなんて、随分とハイテクノロジーな事であったと思われ。

こんな時に頼りになる仲間がいる事に、感謝。

しかし、冷静に今読んでみると、あくまで楽しみを提供する側にあるにもかかわらず、まぁ、なんといい加減なことでしょう。今更ながらに、自分勝手な振る舞いと責任の無さに反省しきりであります。

こうやって、画像を加工して遊んでいたのは、緑青さんのアイデアであったわけですが、今は一方的な記事に終わってしまうのは、正直寂しい気持ちになる事もあるのです。

しかし逆にいえば、バーチャルな世界の怖さを今まさに痛感しているわけでもあります。

盆栽は、そこに実体として確実にあるものですが、鑑賞の楽しみ型は大きく分けて二つです。

1つは、その物体としてある盆栽の希少価値、時代性、などモノとしての鑑賞です。

2つめはその盆栽が映し出す景色を楽しむ事です。

懸崖の樹を例にあげると、上の場合、この大きさで、忌み形のあるなし、この葉性で、これくらい丹精されていて、など、そこにある実体をあくまで相対的に比較していくものです。ここには樹の種類や性質、技術、流行がかかわってきます。

下の場合、この樹があるような場所は千尋の谷で、常に強風が吹き荒れて、その谷には仙人が住んでいて、、、というように、それを鑑賞している人の内なる自然によるわけです。イメージの世界ですね。

ただ、この2つはまったく別の道にあるわけでなく、どの樹を鑑賞するにおいてもこの両方が複雑に絡み合っているのです。

黒松の芽きりによる短葉法ができる以前、葉の小さいエゾ松や五葉松を、白砂青松の遠景として鑑賞したりしていたそうです。昔の方の感性に頭が下がります。黒松や赤松と違い、すくなくとも五葉は高山帯の植物。いまでも五葉松に「春の海」とか「白砂青松」なんて名前がついていますが、なんで高山帯の樹木に海の名が?と思いますが、じつはそういった先人たちの感性が隠れていたわけです。

というよう、にその性質がイメージに及ぼす影響は色んな意味で当然ながら大きい。

僕たちはエゾ松を黒松の遠景として楽しもうとしても、「いや、これえぞまつでしょ?」というだろう。

以前養老タケシが、彫刻家の船越桂との対談で、「具象をあつかうと、非常に抽象的になる、それが人間」と仰っていました。

もちろん、意味はわかりません。でも、この言葉に盆栽を考えるヒントがあるのではないか?

そう思えてならないのです。

話はもどりますが、ネットをやっていると、ここにある某おっさんボデーからきりはなされた自分がこのブログにいるような体験をする事があります。

精神はどこに宿るの?

イメージの旅をするなら、やはり盆栽でしたいものです。

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お手紙の話

最近、手紙を出すことがあります。

お世話になってる人に、ご挨拶やプレゼントを添えて。

キッカケは、北海道に住む兄さん(的存在)から頂いた手紙です。樹の種にお手紙を添えていただいたのですが、思いのほか直筆の文章は、その人の空気や体温まで伝わってくるようで、とてもうれしく感たのです。

それから、キッカケがあればお手紙を知人に書いてます。

今日も手紙を出しました。

実家のお客さんで映画の製作に携わっている方がいるのですが、その方に年末夕飯をご馳走になり、その時に、自分の抱えていた悩みを沢山聞いていただき、とても勇気のでるアドバイスを頂いたのですが、

その方にお礼として、屋久島の写真のCDをお手紙を添えて送りました。

実はその時お会いするのは二度目にもかかわらず、その方の製作する映画のテーマに、この人なら僕の悩みを打ち明けてもいいかもと、あつかましくも色々と打ち明けてしまいました。

僕は盆栽はもちろん好きなのですが、それ以上に人間が好きなのです。僕に限った話ではないですが・・・。

だから、今は1つ1つの出会いを大切にしていきたのです。

そうなると手紙ってのは、ありがたい。

これからも、手紙は書いていきたいとおもうのです。

余談ですが、前述のその方もうちの田舎にくると必ずそのときの感想や、お礼のお手紙を送ってくれるのです。

こんな時代だからこそ、手紙ってものをもう一度見直してみてはいかがでしょうか?

http://www.pao-jp.com/

↑ここがその会社のHPです。5月に下北沢で上映会があるのですが、今から楽しみでなりません。

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大樹の相

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盆栽の見所ってば、色々あると思うのです。

もちろん言われるところの「日本の美」とか「わび・さび」っていう言葉が上がると思うのですが、

このブログでは、あくまでそういった「難しい話」は置いておいて、あくまで、僕たちが普段感じる感情や感覚から、盆栽を考える「キッカケ」を綴っていこうと思うのです。

ま、単純に僕自身が「わび・さび」って何だかわかってないんです。

でも、盆栽は楽しみたいではないですか。だから、結果としての「美」より、いまの感覚を大切にしようと思っているのです。

先日、勤め先の娘さんが、小学校のレポートに使うんでと、質問をしてきたのですが、

いきなり「盆栽とは?」って質問でした。

僕的な考えは「僕みたいなペーペーがわかるわけない」なのですが、そんなことは子供に通用しません。

そこで、とりあえず困った末の答えは・・・

「みんなが公園や海や山に行くと、大きな樹や綺麗な花を咲かせる樹があるよね?それを観ると、「きれいだな」、「かっこいいや」っておもったりするよね?

盆栽はね、そのきれいな樹やかっこいい樹を遠足なんかで遠くに行かなくても、そこに行ってその樹を見た気分にさせてくれるものなんだよ。

だから、例えばお年寄りや病気の人みたいに、あまり遠くにいけなかったり、お外で遊べない人でも、盆栽を見ると元気な頃登った高い山の景色や、子供の頃遊んだお庭の樹なんかを思い浮かべて、懐かしい気持ちになったりもできるんだ。」

と答えてみました。うーん、小学校三年生、伝わったかな・・・。

でも、これってば原点なんじゃないかな?

なにも子供に説明する内容に限られてるとは思ってない。

もちろん目指すところ「わび・さび」であったとしても、こういった原点ならみんなが共有できる価値観の1つなんだ。

手前みそだけど、僕の盆栽を小人目線で見上げる写真は、そんな子供たちの感覚に近いと思う。盆栽をみて、「すごいや」「かっこいいや」って思う視線を捉えていると思う。

いってみれば、ワタクシおこちゃまなのですが。

今回の二枚も、そんな感じで遊びで撮ってみた写真です。みなさんも子供にかえって色んな角度から盆栽を眺めてみてはいかがでしょうか?

もちろんこの写真のような見方は、本道からはそれていますが、まぁ、このブログくらいこんな感じでいいじゃないですか。

余談ですが、記事に載せた写真は左のサイドバーにある「植物流転」でみることができるので、ぜひご覧になってくださいね。

はじめてトラックバックしてみました。↓

http://bonsai.eshizuoka.jp/e1069.html

歌を書いている人の感性は、盆栽を楽しむそれと似ている気がします。明治の盆栽名人である三木三樹園さんも仰っています。

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