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肺。

以前、人体の不思議展を見に行った時に、一番感動したのは毛細血管だった。

キレイにほぐれた枝のよう。

僕らの胸の中には、やはり花が咲いていたというわけだ。

Photo

という訳で、さくらが咲く頃になれば、盆栽の芽はグングンと伸ばし始めるのですが、それと同時に盆栽の手入れにとっては、もっとも大事な作業「芽摘み」の時期の到来を告げるサインでもあるわけです。

大きく言えば、芽摘み、植替え、水やりは程度の違いはあれど、盆栽が盆栽であるための大事な作業というわけですね。

芽摘みをする上での注意点は、芽摘みの方法もそうだけど、どういった状態の芽が芽摘みの対象になるのか、木の状態を見てしっかり判断してください。

例えば、伸ばしたい枝はつまないとか、元気のない枝は摘まずに、元気のある枝を摘んで、枝の力の平均化をはかるとか。

その状態は、やはり普段の観察のなかで培っていただきたい。枯らして覚えるっていうのは、このあたりも踏まえての事なのです。

そして、一本一本に対して、あなたがどういった育て方をしたいのかしっかり考えて欲しいのです。

ただ水をあげてるだけに終わらず、もっと密に樹とコミュニケーションを図って欲しいと願います。

「強きをくじいて、弱きを助ける。」

盆栽のお手入れの基本です。

これが実際むずかしい。

だから面白いんだけどね。

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老いて、美しい。

48_1 左の写真は、ご存知の方もいらっしゃると思いますが、屋久島の宮之浦岳山頂付近に佇んでいた、屋久杉の舎利(枯れた幹)です。長い間、厳しい自然とともに生きてきた証が、ここに刻まれています。

25 この写真は小石川後楽園のケヤキです。スッと品よく伸びた幹と、細かく繊細にほぐれた枝が、とても優しい風情をかもし出しています。

29 これは、五葉松の自生地、吾妻山の吾妻小富士付近に自生する天然の根上がりの五葉松です。枝の流れと、晒された根が風の強さを物語ってます。

Buna この写真は、秋田県白神山地内で出会った、ぶなの枯れ木です。まさに鎮守の森の出来事を綴った歴史そのものが、ここにありました。

46_1 これは屋久島のヒメシャラです。ヒメシャラ独特の冷たい肌、力強くそそり立つ幹、しなやかにむちうつ枝、天然の名木です。

71 このご神木は、熱田神宮内にある大楠です。くすのきは各地の神社仏閣にご神木として見かけることがありますが、このどっしりと大地に根ざした姿がまさに、神さまの木と良いた感じです。

Zk1 ソメイヨシノの古木です。これは去年の姿です。毎年この樹の下でお花見をしています。もちろん花より団子でございます。ソメイヨシノは短命の木で大体寿命は100年前後だそうです。この樹はそういった意味でもこの樹種のなかの古木といえるでしょう。爛漫。

26 この樹は面白いですよ。通称「不老の松」。木としてはとっくに古老の域に達していますが、いまだに幹や元のふるい枝から新しい 芽が吹いてくるのです。ですから、他の木とは違い、枝元まで葉をたたえた独特の樹姿を見せてくれるのです。この木も老いてこそ、その特徴がまさに個性として際立っているのですね。

3_1 小石川後楽園の黒松です。盆栽としては文人木なんて感じでしょうか。盆栽ならもっと枝を抜かれてしまいますが、この木にはこの木の風情があります。お団子が食べたくなってきます。

45_1これも屋久杉です。長い人生の中でその苦労が体に刻まれています。こうやって人生の苦楽を知った老木は、その存在そのものが僕達に生きることの不思議を問い掛けてくれる老賢者のようであります。

73 熱田神宮内の黒松の一枝です。こうやって、大木の一枝をとっても、そのリズミカルな動きにこちらの心も躍動せざるえない。盆栽の枝の出入りはハズミといいます。リズムであり、音楽なのですね。「千両役者と雷様はナリもよければ、フリもいい」

というわけで、たくさんの老木、或いはその命が尽きてなお、その姿を変えつづける木々をいくつか紹介しました。

写真は使いまわしですが、今の感覚でコメントしてみました。撮りためている写真をCDにしないままなので、新しい写真はしばしおまちください。

自然と盆栽は必ずしも一致するとはかぎりません。でもこの手の話では、いわゆる「形態」に限った部分が多いと思われます。

ここで言いたい事は、盆栽は、自然が出発点である以上、決して自然から切り離して考えられるものではないのです。

そこから放たれる雰囲気、空気感が大事なのだと思います。

目の前に何があるのか?ではなく、何を感じるか?

もちろん僕もその答えはわかりません。だからこそ多くの自然、盆栽、人間とのあらゆる関わり(当たり前ですが、失敗も含めて)のなかでしっかりと考えていけたらいいなと思うのです。

そして、この写真の木々のように、老いた時にこそ、その輝きを増す人間でありたいと、そう夢見るのです。

大した事の無い事を自覚する。だからこそ成長がある。

ちなみに写真は植物流転でみれますが、コメントは記事に書いた通りです。

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ベランダっ子と遊ぶ。

今日も穏やかな天気、今日の午後は久しぶりに時間がとれたので、我アパートのベランダの住人たちと戯れました。

普段つかず離れずのいい距離感で彼らとつきあってます。朝と晩に水の渇きと最低限の手入れを確認するだけで、べったりとベランダに張り付く事はほとんどありません。

大概はそういった関係の方が多いのではないでしょうか。

盆栽の手入れの大前提は仕事の後の管理です。どんなに姿を変えても、どんなに根っこを切り詰めても、枯らしてしまってはその仕事はいい仕事とはいえません。

植替えも同様で、根と葉のバランスや時期の違いによって、その後の管理の難易度が変わってきます。

ですから、盆栽技術の優れている人は盆栽の培養もまた優れているという事なのです。

もちろんそれまでには相当な研究と経験を積んでいらっしゃる事も付け加えさせていただきます。

話はそれましたが、時間があるときにと思い、去年挿し木した素材を何本か植替えました。

まずは津山ヒノキHinoki1_1 Hinoki2_1

左の写真は、挿し床から根をほぐした直後です。一年で旺盛な発根を見せてくれました。ただ、右端の苗はまだ十分な発根とはいえません。

右の写真は、植替え直後、バスルームに並んだヒノキッズです。一本ずつ仕立て鉢に入れてあげました。今年から盆栽としての躾がはじまるわけです。

右端の鉢はさっきの根の少ない苗と、殆ど発根の見られなかった苗をもう一度まとめて植え替えました。こいつは、ビニール袋に包んであげて、気候が安定するまで挿し木と同じような管理をしようとおもいます。

他も、乾風のあたらない場所に置いてあげます。

植替え直後は、土を乾燥させすぎると、たちまち根が弱って衰弱してしまうので、芽が動き出すまでの間(僕の住む環境ならあと2週間ほど)集中管理をしてあげます。これは常緑の樹のほうがより気を使うものです。

今は盆栽としては、まったく鑑賞段階に至っておらず、舞台(化粧鉢)にあがるのは随分と先の話で、それまでしっかり丹精してあげようと思います。

次に屋久島ヤブコウジYabukouji_3

これも去年大量に挿し木して箱に入っていたんですが、そのままにしてもしょうがないので、一部鉢に納めてみました。

しかしながら、ヤブコウジは丸い鉢の方が合うようですね。どうも鉢が強く見えてしまう。

でも、まあ他に鉢もないし、長く丹精して持ち込めば、若干樹が鉢にあってくるかもしれないので(それまで我慢できなくて植え替えるかも)とりあえずこんな感じでいいでしょうか。

挿した苗を、麻紐で軽く結わいて、植え込みました。

こいつは挿し木すると簡単につくし、地下茎みたいなのでガンガン増えてくれるし、盆栽の下草にも使えるし、多少日が当たらんくても平気だし(実際にうちの田舎では暗い杉林のなかにヤブコウジの絨毯ができるくらいです)、赤い実はかわいいしで、育ててみて損は無い樹だと思います。

あと、報告ですSinpakusasiki ちゃっかり挿し木したシンパクの霜焼けもとれて、鮮やかな緑色になってきました。挿し木苗で、まだ根も出てない状態だから、まだ養生には気を使いますが、とりあえずこういった「良い変化」は些細な事でも嬉しいものです。

日中は風が当たらないようにしつつ、ビニール袋の上を少し空けて、熱気がこもらないようにします。あまり温度があがると真っ赤に葉やけしてしまいます。

かつ温度の下がる夜は、ビニル袋をしめてあげます。

根が無いので、乾燥には特に弱いです。だから水はたっぷり多めでもとりあえず大丈夫。

僕は普段ベランダっ子の管理は1日五分もかかりません。

盆栽忙しい人は出来ない、これ迷信。

盆栽は少ない手間でもよく、しっかり年月をかけることが大事。

これが本当。

何度も言うようですが、丹精こそ盆栽の原点。

この子達は今どう見ても盆栽とは呼べない代物かもしれません。しかし、的確な培養と、将来を見据えた躾で、少なくとも今よりは遥かに素晴らしい姿を見せてくれると思います。

だからこそ、苗木や実生には夢があるんです。

名木は、お金をかけて買うか、時間をかけて作るものです。

どんな樹も初めはみんな僕の写真のような苗だったんだもの。

出来る前に死んじゃうって?

いいじゃない、命のリレーなんだもの。その一時にでも携われた歓びが本物じゃない。

ちなみに写真は植物流転でもみれます。

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人生イロイロ、盆栽イロイロ。

僕は最近、盆栽の楽しさを提供する事とは一体何ぞや?と考えた。

本に書いてあるような理屈は、文字通り本を買って読め、である。僕自身もそんな理屈だけ積み上げて先生気取っていては、あまりにも中身が無いではないかと。

結局のところ、盆栽しか見ていないのである。

それじゃぁ、病気しか見ない医者と何が違うんだろうか?

本当にその人にあった盆栽を薦めるなら、その人の趣向、ライフスタイル、棚場の環境、盆栽に対する関心度、性格的なところまでしっかり見つめて、

かつ、相談しあってからでもいいのではないか?その盆栽を育てる愛好家さんが納得いくカタチで、盆栽を育ててもらうのが、一番愛情を注ぐ意味でも良い方向ではないか?

例えば、育てやすい樹種の1つに五葉松がありますが、どうしたって環境や性格、ライフスタイルで上手く丹精できない人もいます。

「培養がへた」とかで片付けることは簡単ですが、その人がどうしても五葉松を育てたいなら、その方法を可能な限り一緒に考えて、研究、実践していく事の必要性。

培養が下手だなんて、好きな盆栽をあきらめないで!

その気持ちと少しの工夫で必ず丹精上手になれるから!

という訳で、最近具体的に取り組んでいるのが、愛好家さん向けのカルテみたいなものを作成しようと思っています。

まずは、必要事項に詳しく状況を書いて頂いて、それを見ながら愛好家さんの意向と、実際に出来そうな事を相談しながら、可能な限り愛好家さんが楽しみたい盆栽ライフのお手伝いをするようなスタイルを確立していきたいなと思っています。

ここで大事になってくるのは、                       僕自身の経験値であることは確かです。

ですから、僕自身の精進はこれからも続くし、それに平行して協力していただける方に、その盆栽カルテの内容を充実できるようにお願いしていこうとひっそり考えています。

盆栽が子供なら愛好家さんは家族です。

その家族が納得いくカタチで、子供の将来設計を描くことが大事になってくるのではないかと思います。

そこにたとえ一時でも介入する僕は、僕自身の価値だけで推し量れない家族にとっての盆栽というものを、可能な限り理解して、その人その人、一人一人にあった盆栽ライフ、命のリレーの物語をサポートしていけたらいいなと、そんな想いを抱くのでした。

これは口でいうほど簡単な事じゃないと思う。

大変な努力が必要だ。

世界は変わらない。

夢をかなえるなら、僕が変わればいいのさ。

がんばろ。

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さあ、種を蒔こう!!

春ですね、今年は何を蒔こうかしら・・・。

というわけで、盆栽といわず植物を愛する人々にとって、春は心踊る季節なのですが、

実生となると、これは本当にドラマチックで、小さく硬い殻を破って芽生える新しい命の誕生の瞬間は、僕たちにも大きなエネルギーを与えてくれるモノです。

そこで、知っている人には申し訳ありませんが、お薦めがあります。それは、盆栽鉢に一年草の種を植えることです。

まずは写真をどうぞ。

これは、紅千鳥という、枝垂れ性の朝顔です。C1_1 C2_1 C3                  

これは西洋の朝顔です。ヘブンリーブルーだったかな?H3_3 H1_2 H2_2

 これは何つったかわからない花。最後の写真は枯れてますね。種ができてますR3_3 R2_3 R4                          

      この草たちの手入れにはポイントがあります。

①初めから、枯れるまで盆栽鉢で育てる。

②芽摘みや葉透かしを行い、枝数を増やす。

③伸びたツルは朝と夜に絡まってるので、丁寧にほぐし、 上につるが伸びてこないので、紐やピンを使って、意図的に姿を 出してみました。あと、手で何度かしごくとクセがつきます。

もちろん殆ど草まかせで、ちょっとした手助け程度。
何もしなくても、かえって面白い姿になると思います。

④浅い鉢だと水が忙しくて、大変です。去年浅い鉢に植えたカスミソウは、仕事で昼の水やりが追いつかなくて、帰ってきたら枯れてました。

⑤種類によって病気になりやすいので、殺虫殺菌はこまめに。ムシもよくつきます。これも、去年はキク科の植物は全部病気にやられて全滅しました。ヒマワリとコスモスです。

今年は、ヒマワリに再チャレンジする予定です。

盆栽と呼べるか否かは別としても、盆栽はちょっと。という人でも楽しめるとおもいます。

そして、大きなポイントとして、一年で確実に「枯れる」という事です。

思いのほか手間がかかるくせに、しっかりと一年で枯れてしまいます。なんとも枯れた後には、寂しさが残るのです。

この子たちは、短い生涯をもって、僕に生きることと死ぬ事の意味を教えてくれたのです。

でも、その後には大抵「種」を残してくれます。

これは紛れも無く、丹精の成果であり、未来へ続くバトンです。

そして、僕たちが普段一生懸命丹精している盆栽たちも、この一年草と同じように、生と死を繰り返しているのです。

もちろん、僕たちも。

盆栽の命は丹精によって、人間より遥かに長く生きるものですから、そういった「当たり前」は案外と忘れているものです。

逆にいえば、僕たちが死んだとしても、その丹精された樹は誰かが受け継いでくれる。

そして、この朝顔たちの種も。

最後にある本の引用をします。吉村正一郎「待秋日記」より

http://www.editex.jp/medinfo/diary.shtml

「例え見ることが出来なかろうとも、花はやはり咲くべきだし、咲かせたいから、いつまで出来るかわからないが、水をやるのを怠るまい。私が見られなくても、私が愛した花を誰かが見るだろう。そして私に代わって愛してくれるだろう。それを望んでいる。」

ちなみに、写真は植物流転もでみることが出来ます。

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