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理想と現実の話

今日、某SNSでお世話になっていたビンチョさんとお会いしました。

会った瞬間、いや正確に言えば、お電話を頂いた時に、楽しくお付き合いできるなって、思いました。

いつも理屈っぽい記事を書いていますが、私生活においては、ほぼインスピレーションを信じているわけで、

実際お会いしてみると、やはりといった具合で、わずか二時間程度でしたが、楽しい時間を過すことができました。

ビンチョさんとの会話の中で1つテーマになっていたのが、理想と現実の話です。

僕はどうやら「生き難い」人に映っていたようで(納得なのですが)、僕がおかしくなりやしないかと心配していただきました。感謝です。

そこで僕の理想と現実に対する考え方をここでもう一度いたしたいと考えています。

そうすることで、このブログもより有意義なものになると信ずるからです。

まず、このインターネットという世界に住まう「ちどり」という人間は、言うなれば、本来の某から、盆栽に対する心を抽出したもであり、その主張はあくまで理想に徹しているわけです。

それは、盆栽を趣味とする皆さんに、盆栽を楽しんでいただく以外の道理は無いという、単純な発想であり、

僕の個人的な盆栽の主張に触れるという事は、それだけで、盆栽を考えるという事になるし、主人公は僕ではなくて読み手である皆さんとその盆栽であるわけで、僕はその「調味料的存在」をちどり君に担ってもらっていただいているのです。

そういった思いですから、僕が食えてるとか食えてないとか、業界がどうとかこうとか言うのは、SNS時代から徹底して触れる事が無かったというわけです。

じゃぁ、現実はといえばどうかというと、必ずしもちどりの主張どおりに行っていないわけですね。

このあたりを人はギャップというでしょうか。葛藤というでしょうか。だれしもがここで悩むわけで、僕とて例外ではありません。

ただし、僕は理想が実現するとかしないとか、そんなことよりも、今ここにある現実を楽しく乗り切るためには、理想は持ちつづけたいと考えています。

だって考えてみると、悲しくなるじゃないですか。

「甘いな、もっと現実をみなさい」なんて、夢をあきらめたところで現実は変わらないし、僕がその現実を生きていくために、つらい、悲しいと思うか、いつか叶うかもしれない理想を思って楽しく思うかは、あくまで僕自身の感受性の問題じゃないですか。

結局のところ、この世界は僕の心の中にあると思えば、僕が変われば僕の目に映る世界は変わるわけですね。

僕の中にある大切な一本筋は、たとえ状況に応じて、現実をもっともらしく生きたとしても、しっかりと理想の中に息づいていれば、僕の精神は壊れないし、死なないのです。

ましてや、盆栽というあくまで趣味という世界にあって、職人である僕が理想をもって盆栽ライフを楽しまなくて、どうして愛好家さんたちが盆栽を楽しむ事が出来るでしょうか?

僕が、生活や業界の愚痴をこぼしたところで、はたして盆栽という素晴らしい趣味の素晴らしい魅力は増すことになるのでしょうか?

そういった理想のエッセンスを抽出して生まれたのが「ちどり」であるわけですね。

だからこそ、僕は現実といわれる社会において、たとえ僕自身が挫折と感じる状況に遭遇しても、僕は理想を失いそうになったことは一度もないし、かといって現実から逃避した事も一度もない。

それってば、その理想を持ちつづけることが、僕自身の現実を生き抜く力であり、すべてにおいての源泉であるからなのです。

僕の座右の銘は「死ぬまで生きる」です。

ならば、その理想においても、その理想が死ぬまで持ちつづけるでしょうし、挫折するまで夢をあきらめないでしょうし、ご飯が食べられなくなるまでご飯を食べる事でしょう。

仮に余命を宣告されても、人生を投げずに生を全うしたいし、そのときに実際発狂しても、そういったスタンスがあるという事が僕にとっての鎮静剤であることを信じています。

話は飛躍しましたが、僕は決して生き難い生き方を「苦」とは思ってないし、むしろ「楽」と思っています。

そしてこれからも精神が壊れるまでは壊れないという安易な発想で楽しく困難と付き合っていこうと思います。

みなさん、これからも面倒くさい男のややこしいブログでも読んで、悩んでくださいね。

それでは、また今度から盆栽の夢物語を語っていくのでよろしくお願いします。

最後になりますが、ビンチョさん、「柿安」の牛肉しぐれ煮、めっちゃおいしかったです!

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コメント

>理想は持ちつづけたいと考えています。

大事なことだと思います。理想や目標を描いてそれにむかって何かをしている人というのは人間的に非常に生き生きしていて魅力的になるものだなと、中学生の頃はさっぱりわかりませんでしたが大人になってみて、こうして陶芸や盆栽で色々な世代の人と接しながらその意味を理解することができました。

つい惰性で何かを続けてしまいがちですが自分なりの理想や目標、信念を持ってやり続けてる人の方が遥かに楽しんでそれにむかって突き進んでる感じがします。そして私もそうやって年をとっていきたいなと思います。私は大きな人生設計の理想はあるのですがマッタリ進めすぎなのでもう少し猪突猛進くらいの勢いがほしいなとおもいつつ今年ももう既に4月です。反省しきり。

投稿: 夢湖 | 2007年4月17日 (火) 20時53分

そうですね、理想っていうとかっこいいけど、僕のはもっと噛み砕いていうなら、「生き甲斐」みたいなものかもしれません。

夢湖さんも、沢山の葛藤や悩みがあるかと思いますが、それでも少なくとも僕は夢湖さんの作品を見て何か植えてみたい!って思ったし、実際に手にとった時は、不思議な感覚になりましたよ。

もちろんそんな事が夢湖さんの理想にとってどうなるか僕の察することではないのかもしれないけど、

かげながら応援しているというのは確かなわけです。

投稿: ちどり | 2007年4月18日 (水) 21時03分

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