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盆栽仕事で疲れた夜は。

盆栽の仕事というと、どうしても手先の細かい仕事が多いので、

腱鞘炎や肩、首のこりなんかになってしまう人もおおいのではないでしょうか?

僕は以前、バネ指の一歩手前になったとき、理学療法士の先輩に、「小手先を使っているんだよ」と言われてショックだった事があります。

針金もそこそこに巻けて、仕事もできるようになったころだったので、そんな事は微塵も考えていませんでした。

ようするに理由はこうです。

人間の体は、指先での動きが、何処にも滞らないで対角線の足の親指あたりから抜けるのが理想なのですが、体のどこかの部分で、無理な使い方や動作をすると、そこに力が滞ってその部分を壊してしまう事になるのです。

僕はそのときは、手だけで仕事をしていたから、手を痛めたのですね。

それがキッカケで、体の使い方を日々研究しています。

針金掛けもただ巻くのではなくて、体の使い方からじっくり考えています。

ハサミもただ持つのではなくて、疲れない持ち方や、切る大きさや、位置によるハサミの入れ方の違いとか。

こうやって研究していくと、次第に技術も向上していくし、なにより自分の体をケアしやすくなっていくものです。

ただでさえ、無理がたたって腰と首に爆弾をかかえているので、こういったアプローチは必至なわけです。

そして、最近わかった事は、「天才と達人は違う」ということです。

天才は心身の強さがなくても、いけるところまでいける事です。

しかし、よほど心身の強さがなければ、途中で必ず壊れるそうです。

例えば鳴り物入りでプロになった投手が途中で肘をいためて引退とか、天才画家なんてのも、精神的に不安定な人がおおかったり。

達人は、その道をいく為に、工夫の道を歩んで来た人だと思います。

体の使い方だけではなく、人間性ももちろん。

武術の達人は、典型ですよね。老齢に達した方が、若い男をバッタバッタと投げ飛ばす姿は、痛快です。

そして、武道は人間性も求められるものですよね。

勘違いしないで欲しいのは、天才と達人は全く別のモノではなく、その双方の可能性を誰しも持っていて、その分量をその人がどれだけ有しているか、という事なのです。

天から授かった才能ってのは、かならず頂点になる事とイコールじゃないと思います。その本人がもってる天の才にどれだけ達人としての道が含まれているか、という事なのです。

そして、達人の道は、考える道ですから、誰しもが達人になれる可能性を持っていると思います。

天の才なんて、言わば偶然の産物じゃないですか。

そんなもの有るとか無いとか、言ったところで何が変わるっていうんです。

じゃぁ、あなたは才能が無いって言われて、今歩んでいる道を今から捨てる事ができるんですか?

僕は、僕にとって自分の才能なんて推し量ったところで何の意味も無い事を知っているから、最初から天才を目指さないし、なれるもんじゃない。

あるいみ畏敬であっても、自分の目指すところが達人だから、日々の研究は楽しいし、体を痛めると、次の課題として、また考えたくなる。

よく手先が器用、不器用を言いますが、盆栽のように、自分の作った姿を半永久的に留める事が出来ない表現の場合、いくらキレイに樹を作ったところで、それは樹の一生からすれば一瞬です。

盆栽は自然の景色を借りてしか、俺の作品なんていえないから、そういった高い水準の仕事を持続できなければ僕は満足できない。

僕は、できるだけ長い間、樹とコミュニケーションをとれる体の使い方を身に付けたい。

地味でもいいから、コツコツと樹を丹精する道もまた魅力的だ。

だからこその、達人の道なわけだ。

ちなみに、手仕事をする人にお薦めなのは「肘湯」です。

45度くらいの熱めのお湯に、大体4、5分、肘(僕の場合、肘から下)つけると、肘が真っ赤になってきます。

このとき、血流の悪い場合はあまり赤くなりません。

そこで血流の悪い側だけをさらに4、5分肘湯して、体のバランスを整えます。

これをやると、腕や肩のトラブルだけでなく、喉の痛みや花粉症にもまじで効きます。胸の凝りにも効きます。僕はね。

手を多く使う仕事の場合、肺や心臓、呼吸器全般のトラブルを抱えやすいので、こういったケアをして、達人への道を目指そうと思っています。

肩こりに悩むクリエーター諸君!達人への道はまだまだ遠いと心得よ!って、生意気か。

ごめんなさい。

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因果

四月の終わりですかね、園の物置に野良が子供を産んだのは。

野良ですからね、人に慣れてないもんで、いずれいなくなるって思っていたのよ。

甘かった。

あるんですね、育児放棄。

お客さんやうち等も出入りの多い場所の子供を運んでたんですよ、六匹。

そしたら、ママが人嫌いだもんで、こども置いていなくなっちまったい。あの白黒のオス猫と逃げちまったみたいさ。人間のエゴですかね。

はじめそんな事知らないから、ほっておいたのよ、みんなで。

夜になれば、かあちゃん帰ってきて、乳やってんだべさーって。

そしたら今日、もう衰弱はげしくなっちゃって、鉢置き場の隅で、小品盆栽の鉢の中で丸くなって、虫の息。

里親に電話しても、あくまで見つかるまでは自分たちが育てる事が前提。そりゃそうだ。そんな都合いいわけない。

しょうがないから保健所に電話したの。だって、盆栽屋さんってば、猫のおしっこ嫌うから、猫をかうってのはあまり聞かない話。このまま死をまつだけなら、保健所でのわずか数ヶ月に望みを託そうとしたの。

しってました?野良は野生だから、鳥獣保護かなんかで飼育を禁止されてるんだって。保健所もっていくと、すぐに殺処分なんだって。

誰かが捨てた捨て猫は二ヶ月ほどあずかるけど、捨て猫は預かれないんだって。

殺す事以外の選択肢がないってのは、ある意味それを決定しているのは、俺じゃね?

しかたない・・・。衰弱していくのをまって、あとは川にでも流して弔ってやるか・・・。

そういう考え。「にゃー!」って乳を求める野良の声。

でもそのとき、ずっと忘れていた記憶が思い出されたんです。

高校のとき、偶然見つけた死にかけの野良を、見なかったことにして去りゆく時、そのうちの一匹が最後の力を振り絞って、ずっと追っかけてきた事。

あの時以来、動物を安易に飼う事に非常に攻撃的になった。一人暮らしの寂しさって理由や、かわいそうだから避妊しないとか、ステータス代わりの流行の犬種とか・・・。

今思えば、自分のやった事を、そうやって他人のせいにして、ごまかしていたんだと思う。

僕は、このままでは、結局一番命を弄んでいるのは僕じゃないか?

さっきから一度でもこいつらの事考えていたのか?

死んだこいつらに対する自分自身への言い訳ばかりじゃないか?

そう思った。

たとえ、こいつらがもう助からないところまで衰弱していても、目の前で消えていく命に僕なりに出来る事はあるはずだと思った。

最期に、ミルクのいっぱいでも飲ましてやりたい!

その思いで、仕事中にもかかわらず動こうと思った。

そんで、平日なのに獣医の先輩に連絡して、細やかなケアの話を聞いて、奥さんにこういうわけだからナントカしたいって相談して、職人さんに無理言って時間作ってもらって・・・・。

それからだけど、どうなったかって言うと、

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とりあえず、動物病院につれていって、目の治療やら点滴やら色々やってもらいました。

六匹中、二匹は相当衰弱していて、今夜が山だそうです。判断が遅かった。

残りの四匹は一応元気です。よほど腹が減っていたのか、離乳食を与えたら、となりの仲間の耳まで喰らいつくほどでした。

餌は六時間おきで、おしりを刺激して、うんちを出してあげるのと、目薬を挿してあげるのが、当面の世話だそうです。

そんで、早速里親探しをはじめて、もしかしたら二件くらい決まりそうです。

親方も仕事から帰ってきて、うちじゃかえないけど、里親決まるまではちゃんと面倒見ようってことになりました。

僕らのやっている事が「正義」だなんていいません。

ただ、目の前で消えていく命に対して、何かしてあげたかっただけです。

それは、知らない国で沢山の人が死ぬ事よりも、もしかしたらずっとリアルな命だったかもしれません。

毎日保健所で死んでいく犬猫の事を思うと不憫でなりませんが、もしかしたら、その事よりココできえゆく小さな六つの魂のほうが、リアルだったのかもしれません。

もしかしたら、消えてしまうかもしれない二つの命のほうが、僕にとっての二人称の死なのかもしれません。

だからといって、高校時代に見殺しにした猫にたしして、償いになったなんてこれっぽっちも思ってない。

ただ、あの経験が、今回の行動のすべてだった事は確かで、僕にとっての生きた歴史になっているのも確かです。

里親探し、がんばります。

最後になれけど、今日ある客がいってました。

「盆栽ってペットと同じだよね、こんなに手間がかかるなんて思わなかった。」

それを聞いた職人さんが

「その木も誰かが丹精してきた命ですから、大切にしてあげてください。」

といいました。

そしたら、「いいよ、これ俺気に入ってないし。」

目の前で枯れゆく命。

盆栽とはなんぞや?

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夜露よ、今夜もありがとう

だいぶ初夏ね。

暑いったらありゃしない。

ここ数日の暑さで芽も動き出してはいるのですが、今年は春先の天候不順で、芽だしの悪い樹が多かったです。

雑木でもそろそろ、葉刈りできる時期なんですが、今年はまだ随分遅れています。

今いる園の棚場は、風の通り道で、非常に乾燥します。

乾燥につよい五葉松にはもってこいの環境ですが、雑木やシンパクたちには、ちと厳しい環境になっています。

だからって、雑木もシンパクも扱いたいのはもちろんの話です。

この時期、芽だしが悪い樹を、肥料無しに元気にするテクニックとして、二つ書いてみたいと思います。

1つは、強い風に当てない事。

強い風に晒されつづけていれば、樹は芽をあまり伸ばしません。

答えは簡単です。折られると分かっていて、芽を伸ばすほど樹もお馬鹿じゃないって事です。

樹がする事は決まっています。「生き延びること」です。

かといって、日陰や、蒸れ蒸れのビニルハウスに密封では、この時期は逆効果ですが、せめて風邪の強い乾燥する日は、風の当たらない工夫が必要です。

棚場が限られている人は、風の当たらない場所に置くのは難しいでしょうから、ヨシズや、道具を使ったり、色々とアイデアを絞ってみてください。

二つ目ですが、夜露にしっかり当てる事です。

夜露が、樹をすっかり包み込んで、優しくいたわってくれるのです。

といっても、夜露なんて田舎の現象、都会のど真ん中では、たいして期待できないのもわかります。

そこでアイデアですが、夜にこまめに霧吹きで葉水をあげてください。

テレビのCMの合間や、寝る前なんかに、葉がしっとりと濡れるまであげてください。

それだけでも、効果は期待できます。

さらに、樹勢の悪いものは、葉面散布の液肥をあげてもいいと思います。

なんと、このテクニックは、スプリンクラーで夜に自動散布している人もいるくらいです。

以上の二つを試して欲しいと思います。

ただし注意点。

丹精の計画上、芽をあまり伸ばしたくない樹にあまりやりすぎると、枝先がゴツゴツして繊細さがなくなったりします。

それと、逆に湿りすぎて、すぐ根腐れを起こすような場所では、必要ないと思われます。

風通しのいい場所での培養は盆栽管理の基本ですから、風通しの悪い場所というのではなく、風に強く晒される場所を避けるという発想で取り組んでください。

自分の棚場が、毎年しっかり丹精しているつもりでも、芽の伸びが今1つだなと感じているのなら、試してみる価値はあると思います。

夜の葉水は、真夏でも、火照った木々に対して有効です。

それでも、夏場は特に風通しのいい場所を確保してほしいです。

余談ですが、蒸れ蒸れの棚葉で、一晩中扇風機を回して、樹の蒸れを防いでいた人がいました。かなり本気モードですね。

最後に当然の話ですが、これだけが盆栽の好不調の理由ではありません。

最近は虫も一気に増えてきたし、病気もチラホラ出てきています。水やりの加減で、根が弱っているものもあれば、そもそも日当たりが悪いといった原因もある。

はるの植替えで無理したもの、冬の針金掛けでいじめすぎたもの、葉刈りできる状態じゃないのに無理やり葉刈りしたもの。

原因がたった1つである事はまずないし、何か1つ条件が悪いにしても、他の方法でそれを補う事も出来ます。

根を切りすぎたら、その後の後管理に集中するとか、虫が発生しやすいなら、棚場の環境改善や、予防の薬を使うのも手でしょう。

特に失敗した時に状態をしっかり覚えておくといいと思います。仕事の写真をとってみたり、作業日記をつけるのもいいでしょう。

何度も言いますが、盆栽は丹精する命のバトンです。

単なるインテリアか何かと思っているのは、大きな勘違いです。床や席に飾るのは、たしかに楽しいですが、命である事を忘れないで欲しい。しかもとてもデリケートな。

盆栽とは鉢植えに対する、人間の心です。

どんな名盆栽も、それに対する人の心が盆栽の大前提、丹精と自然をまったく無視していれば、それはタチマチ、鉢植えになってしまうでしょう。

だから、今夜も歌うのです。

「夜露よ~、今夜も~、あり~がとぅお~。」

↓流転に追加しました。五月の花たちです。

Sanzasi Sirosanzasi 14 17 58

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