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古さを書く。

盆栽をやっていると、よく耳にする言葉があります。

「盆栽は古さだよな。古くなくちゃ盆栽じゃないよ。」

僕はこの言葉に対しては、一部で賛成です。

一部で賛成かというからには、一部で反対という事になるのですが、それを今回はお話したいと思います。

まずは賛成の立場からいえば、

僕は何度も繰り返すように、盆栽は命のリレーであり、命をつなぐ過程で、盆栽やそれを育てる人間にはそれぞれのストーリー、「章」があり、それが複雑に絡み合って、愛好家としての個性が生まれてくるのだと考えています。

ですから、その繰り返しが積み重なる事によって、盆栽そのものも年齢を重ねるわけですから、形態的にも「古色」が増し、また長く盆栽で維持されてきたという希少性からも、「古さ」はそれだけで尊く重いものであると考えています。

何度も何度も言いますが、盆栽は丹精の歴史です。丹精の歴史の積み重ねが「古色」です。

もちろん、それまでには、人為的なミス、自然災害、時代の流行などによって、多くの盆栽が姿を消していきました。

しかしながら、そんな逆境の中を、多くの愛好家さんが様々な盆栽とともに、あらゆる役を担ったから、盆栽としての老樹が今ここに現存しているんです。

だから古樹には人をひきつける魅力があるのです。

そんで、反対の立場から意見をするならば、この「古い樹がよい」と言う発言あとに対照として、「この樹はまだ若いよな」と付け加える人がいます。

もちろんその通りのことだし、その発言自体は反論の余地無しですが、

例えば、国風展のような、長く盆栽として丹精されたものが出展の条件ならば、この物差しは非常に大事になってくるのだと思います。

けれども、何度も言うように、その時、その人、その盆栽で、担っていくステージがあるわけで、国風請負人であるなら、こういった厳しい意見も大事なのかもしれないですが、それが盆栽全体の価値を決める基準であるというならば、僕は正直悲しい。

確かに、今は大きな盆栽は殆ど流通がないから、どうしても小さな盆栽の方が、値段は相対的に高いわけだし、同じ古さでも、小さな樹のほうが数の希少性もあって、割高になるのは当然です。

でも、実生や挿し木を楽しんでいる人、剪定整姿の仕事が好きで、荒木を盆栽の型に持っていくのが好きな人、持ち崩された誰も見向きもしない盆栽を改作によって、表舞台に立たせてあげる人、日本文化のを尊重し、侘びさびの世界で盆栽を鑑賞する人、国風展のような大きな展示会で、愛好家としてのステータスに挑戦する人。

盆栽の時代に流されない価値は、それぞれの「章」の中で、それぞれが決める事なんだと思います。

だから僕はみなさんには、

まずは、値段や流行よりも、自分が目標とするスタイルを探す事をお薦めしたいです。

自分が「好き」ではじめたものだから、より本気にもなれるんだと思います。

そこで昨日の日記「好きは世代を越えて」でも書いたように、自分がやってみたいスタイルで楽しんでいる愛好家さんをモデルにすることはどうでしょう?

個性的なスタイルでマイストーリーを描いている愛好家さんは、実は沢山いるものです。

もちろん、幾人かのモデルさんから、自分なりのアレンジを加えても間違った選択だとは思いません。

昨日の繰り返しになりますが、そのスタイルが受け継がれることが、盆栽を媒体とした人間の心と心のリレーにもなるわけで、

だからこそ、今現在も実生を楽しむ人は沢山いますし、若い樹を丹精によって持ち込む事が好きな人もいなくならないわけです。

古い樹だけが価値というなら、とっくにみんな種まきなんてやめてますよ。

僕ははじめ、丹精の積み重ねはそれだけで価値といいました。

でもその丹精は今この瞬間の積み重ねだという事を忘れないで欲しい。

歴史は過去のもではなく、

この瞬間、生まれている事に気付くはずです。

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コメント

丹精の積み重ね、という事からは、少しずれるかもしれませんが、
私個人的には、自分の盆栽(今は、ほとんど素焼きの鉢植えにしていますが)の写真をほとんど撮りません。
それは、今「現在」の姿が私にとっての「真実」、であるからです。
これは、私の暮らしの中でも言えることです。


ちどりさんの言われている事に深くうなずきたいです。
今の積み重ねが未来をつくる、ということでもありますね。

投稿: 広茂 | 2007年7月30日 (月) 06時45分

広茂さん書き込みありがとうございます。

広茂さんのコメントを読んで思い出したのですが、
ある盆栽作家さんは自然の景色を観察にいっても決して写真をとらないそうです。

写真に撮ってしまうと、頭の中でイメージする行為が怠けてしまうそうです。

確かに僕も、写真をとると安心して、その後対象物を見ずに帰って、あとで写真に写ってないディティールを思い出せない事があって、

それ以来、写真はしっかりと鑑賞したあとで撮る事にしています。

広茂さんのように、今をそのまま受け止めて楽しむのは、とても贅沢な趣味なのかもしれないですね。

ちなみに、とてもいい意味で。

だって、隅田川に花火大会のニュース、みんな携帯写真に夢中で、実体をみてないんですもの。

なんだか、寂しさをかんじましたよ。

共感していただいて、うれしかったです。

これからも広茂さんの盆栽ちゃん達、元気に育つよう祈ります。


投稿: ちどり | 2007年7月30日 (月) 18時21分

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