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バナナはおやつに入りますか?

まだまだ残暑がきびしいですよね。

連日の真夏日に身も心もぐったりしちゃいますよね。

でも、盆栽たちは働きもんですよー。

ここ数日で、日よけの下にある盆栽君たち芽が動き出している事に気がつきませんか?

僕達人間にとってはまだまだ夏まっさかりですが、彼らにとってはもう秋のお仕事が始まっています。

夏の猛暑で一時的に芽が休んでいた盆栽たちが、もう一度伸びる時期になったのです。

でもよく考えてみると、夏前に春までに溜めたエネルギーを使い込んだ彼らが、これからのもう一頑張りをするためには、やはり栄養の補給をしてあげたいものなのです。

九月の終わりごろから、秋肥といって、来春の芽だしに使うエネルギーを蓄える豪華なディナーの前に、少しばかり小腹の空いた彼らにおやつを上げましょう。

注意点としては、

  • 分量は春の半分。できれば、液肥ではなく置き肥にして、秋口までゆっくり効くようにする。
  • 弱っている樹は控える。液肥をあげてじっくり様子をみる。
  • 炎天下中の根元への液肥も濃度に注意する。(効きすぎることがある)
  • この時期に芽の変化があまり見られない樹(五葉松など)にも効果がある。

大事な事は、盆栽と人間じゃ「秋の始まり」が少し違うってことです。

愛盆家の皆さんは、世の中より少しばかり早い秋を堪能してくださいね。

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イニシエーション

イニシエーション(通過儀礼)。

僕は、自分自身に起きた納得のいかない事実や、目的や意味の見出せない行為に対して、この単語を呪文のように心の中で言い聞かせています。

そりゃ生きてりゃどうしても逃げ出したい事や、頭に血が上ってしまう事がいくらでもあるんですが、

僕自身もこういった事に対しての「処理」が下手くそで、イチイチ振り回されてしまい、ぐったりと疲れてしまうので、

さすがにこんな事でイチイチ「目的」や「意味づけ」を考えて、自分の正当性を追及していたら、身体的にも精神的にももたないんじゃないかなって感じるようになっていました。

そんなとき出会った言葉が「イニシエーション」です。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%9A%E9%81%8E%E5%84%80%E7%A4%BC

マサイの戦士がライオンと戦ったり、密林の部族が樹のツルを足に巻いてバンジージャンプしたり、

あんな命がけの儀式に正直意味をみいだせませんよね。

だって、成人式をぶち壊す若者がいるくらいなんだから、そんな儀式で大人になるわけ無いって、そう思うのも当然だと思います。

けれど、このイニシエーション自体の意味や目的が無くても、それを通過する本人にとって自分自身が成長する手段となるかどうか?って事が大事だと思うんです。

ましてや、成人式みたいに同窓会みたいな楽しい行事ではなく、実際にイニシエーションと言えば、未知の世界に足を踏み入れ、その中で恐怖や困難にぶつかりながら、自分自身を乗り越えていくわけですから、おそらくはライオンと戦う前と後では、確実に本人の心の中では何かが変わっていると思われるのです。

たかだか日本での社会生活ごときで、大袈裟かもしれないけど、そうやって考えていくと、案外と自分の気持ちを納得させるというか、自分の成長のためには欠かす事が出来ない儀式だと思うと、不思議と覚悟が決まるみたいになるし、

他の人がやっていることが、僕自身イラついたり、納得いかなかったりしても、それを受け流す事も少しずつ出来たりします。

それに、そういった目でみていくと、何かに挑戦する人や静かに耐える人をみると、僕はその背景や目的や意味とは別に、この人にとっては避けて通る事が出来ない事なんだなと思って、その覚悟や決意を考えると、

その行為そのもに尊敬と感動を覚えるのです。

そんでもって、そういう人ってよく目を凝らすと案外と多くて、僕自身の気持ちを省みると言うか、自分の立ち位置を見直す機会になったりするのです。

かといって、ここまで述べた気持ちにならないのではなくて、いくらでも沸き起こってくる感情を、そういった「イニシエーション」という単語を心の中で唱える事で、いったん整理する事ができるというわけです。

だから、怒りや不安、その他様々な感情が、自分の中で蓄積しすぎて、どんどんマイナスの方向に気持ちが進まない1つの手段が、この呪文だということなのです。

ただしあくまで、「僕の場合」の話でして、そういった考えが正しいともおもわないし、それぞれの考えで色んな物事に対処していく事が大切だと思います。

けれど僕にとっては、ライオンはアフリカの草原に行かないと戦えないなんて事はないのです。

実は僕自身、知らず知らずのうちに目の前のライオンとの戦いから逃げていたんだなって思います。ライオンの倒し方を語れても、戦った事は無いみたいな。

遅れて来た思春期というのは、10代という大事な時期にライオンとの戦いから逃げてきた僕は、大人になる沢山のチャンスを自分自身の問題で逸してきてしまった訳で、

今更かも知れないけど、ちゃんとライオンと正面から向き合って戦っている状態なのです。

これは大人になるための通過儀礼に限定すればそうだけど、これから色んなハードルにぶち当たっても、その都度この呪文を唱えていきたいと思っています。

「イニシエーション!!」

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夏のちょい雨にはご用心。

今日はてっきり1日中雨が降るとばかり思っていたけど、一時間も降らなかった。

それでも、ザッと降ったんで、水やりの心配が無くなったと思ったら、大間違い。

確かに一回分の水やりはやらずに済んだけど、鉢面は案外と乾いていたりします。

何故かと言うと、

1つは、葉っぱがついているので、鉢面に水が当たらない。

2つは、この時期は少しくらいの雨でも、その後の天気次第ではすぐに乾いてしまう。

ということなのです。

だから、雨が降って水やりしなくて済んだって喜んでいても、実は葉水程度で全然雨が染みてないとか、

安心して出かけたけど、そのあと急に晴れて、一気に乾いてしまったとかして、

こういった雨の日は、樹を知らず知らずの間に傷めてしまう事があるんです。

秋以降、樹勢が落ちた頃に原因を考えていても、本人としてはこの雨が水やり完了にカウントされているもんだから、水切れですといっても、「心当たりがない」という具合になる訳です。

もちろん雑木の場合は水切れの影響が、葉がふるったり、萎れたりしてすぐに出るけど、松やヒノキの仲間は、秋以降とか、もっとあとに影響が出てくるので、余計原因がわからないのです。

ですから、雨が降っても油断せずに、毎日愛盆たちを観察するようにしてあげてください。

自動潅水も同じことです。水やりの意義は、ただ水をあげるだけでなくて、盆栽の健康チェックも兼ねた大事な回診だと思ってください。

盆栽の培養管理の上達、いろはの「い」、基本の「き」ってわけですね。

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毒へび対毒あり。

自称毒ヘビのCHIDORIです。

いきがってる男’07です。

ここ1週間ほど草むしりが続いてい、地べたにしがみついていると、結構色んな小動物とご対面するんだけど、

イモムシ、けむし、ミミズ、なめくじ、だんごむし、はさみむし、やすで、などなど。

みんな見慣れた連中だから、そんなの特別目に留めずに作業は進んでいたのですが、

昨日突然、太ももに刺すような痛みが走ったので、慌てて患部をみたら、虫に刺されたような後がありました。

でも、ズボンの上からだから、トゲが刺さったのかなって、色々調べても、どこにもそれらしきものも無いし、痛みとしては、蜂に刺された感じの軽い状態だったから、服の上から蜂に刺されたんだという事で、勝手に納得していたんですが、

その日の午後に、今度はわき腹に同じ様な刺す痛みが走りました。

慌てて服をめくると、小さな蟻が一匹いたのですが、蟻にしてはそのあと、刺された周辺がビリビリといった痛みが持続するので、まさかこいつとは違うと思ったのですが、

近くにいた親方が、「それ蟻だよ。そういう蟻がいるんだよ。」って教えてくれました。

ここいらでは「しど蟻」っていうそうですが、赤蟻より若干大きなやつでして、こんな威力があるとは到底想像つかない容姿をしています。

刺されると、3日くらい痛くて、体質によっては、相当腫れるそうです。

幸い僕は刺された日だけ痺れがあったのですが、今日は虫刺され見たいにポッコリ腫れた程度でした。

でもネットで調べる限り、蟻の正体は特定できなかったので、もしご存知の方があれば、詳細を教えて欲しいなと思っています。

しかし、何ですね、一番堪えるのは、そんな小さな蟻に同情されるかされないかのギリギリの痛みをくらうことですね。

なんだか、それにへこみます。

今まで同じ所サンザン草むしりしてきて一度も刺されなかったのに、一日で三箇所もさされるなんて。

「蟻かよ。」といって、1人で笑けてしまいました。とほほ。

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猛暑にまけるな!

暑い夏、とろけちゃうんじゃんねーかよ。

だからこそ、汗だくに働いた後の生ビールがうまいんだな

盆栽だってさ、夏には夏の楽しみがあるんだよ。

というわけで、夏に出来るちょっとした仕事で、実りある秋を迎えたいものですね。

簡単な説明になるけど、

まずは五葉松や真パクなんかの、葉っぱが混みこみしてるなら、古い葉っぱを透かしてあげて、懐の通風と日照を確保してあげましょう。(下の写真:五葉の葉すかし)

もちろん、外側の葉っぱが大きくて、フトコロに全く風が入らない雑木なんかも、葉っぱを半分にカットしたり、対生の葉っぱの一枚を切り取ったりと、色々手をうちます。

フトコロが蒸れると、中の小さな芽が弱ったり、中まで日が当たると、中の元気のない芽が元気になったり、新しく来年の芽を元にもってくれたりというわけです。

もちろん弱ってる樹や、そんなに葉が密集していない樹はやらなくてもいいんですよ。

そして、もっさい髪の毛をすっきりさせたら、盆栽へ夏のご褒美だ。

以前もかいたけど、この時期の熱帯夜対策のために、夜に盆栽たちへ葉水をかけて上げてるです。

まあ、これが盆栽達にとって、生ビールと言うわけです。去年もこんな話をした気がするので、実践している人もいるんじゃないでしょうか?

そんで、この時期でも、液肥なんかで活力を与えてあげると夏バテ予防になったりします。

もちろん、根が弱っている樹は、葉面散布程度に留めて、様子をみてあげましょう。これも以前の記事に書きましたが、根は人間にとって胃腸と一緒ですから、夏バテしているのに無理やり食べさせると余計に調子を崩してしまいます。

というわけで、水やりが忙しい時期ですが、自分ばかり涼しい部屋でくつろがないで、しっかり盆栽達にも夏の「涼」を堪能させてくださいね。

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遅れてきた思春期。

僕はこの歳(もうすぐ27)になって、ようやく思春期を迎えたんじゃなかろうかと、そう思えてなりません。

家業を継承するという立場を受け入れるのに、随分と沢山の葛藤があった気がします。

社会にでるまで、僕にとって祖父や父はある意味神様だったのかもしれません。ですから、父親に逆らう事もなかったわけです。

もちろん反抗期もあったかどうか定かじゃなく、むしろその当時、父親や母親にたてつく兄や姉に対して、そういった感情があった気もします。

でも、縁あって他人の釜の飯を食って、沢山の価値観に触れることで、そういった人間の息子である自分自身にオゴリみたいなものがあったのだなと、気付かされました。

仮想的有能感みたいなものです。

医者の息子がえらいわけないのと一緒です。七光りを自分の光と勘違いしていたのだと思います。

その身の程を知ると、とたんに怖くなってしまいました。虎の衣を剥ぎ取られた狐状態です。

とてもじゃないけど、俺には出来ないと、逃げ出したくてしょうがない時もありました。

家も、業も継承することは、当然僕にとっても未知の領域で、嫌だ嫌だと、自分の意識しないところで拒否反応がおこっていたんだと思います。

体の不調も、そういった心の変化する過程でおきる反応なんだと、勝手にこじつけています。

けれど、多くの尊敬できる方々との出会いで、少しずつではありますが、事業を継承するという事は、経験や努力によって先代を精神的に乗り越えていかないといけないのだなと、感じるようになりました。

難しい事いってますが、要するに自立ってヤツですね。

先日、夢をみました。

うちのオヤジが枕元に立って、こういうのです。

「○○、おめぇは、人に認められないと、物事に決心がつかないようじゃダメだ。」

現実の父は仕事のことになると、首を立てに振るような人じゃありません。

この夢にあまりに怖くなって実家に電話したら、父は元気でした。

僕は何年も夢を見ていなかったので、余計に驚いたし、今の自分にとって必要な言葉が、このタイミングでしかも親父から言われるなんて、不思議な力を感じました。

でも、この夢をみて、僕はたとえそれが僕の脳みそが見たものだとしても、親父の言葉と受け止め、考え方が随分前に向くようになりました。

ブログも人にみてもらうことばかり考えすぎて、書けなくなっていましたが、いつの日か自分がどんな事を考えていたのかわかればいいやって、ほんとの日記でいいやって、思えたら、不思議と記事も書けるようになってきました。

それでも、僕自身も多くの人がそうであるように、まだまだ色んな悩みの中にあるわけですが、

それも遅れてきた思春期、大切な時期だと思う事で、気持ちが楽になります。

どうやら、思春期は10代に来るというのは、僕の勝手な思い込みだったみたいです。

人より成長が遅いってことは、悪い事ばかりじゃないかもしれないですね。

最後にコブクロの轍から引用します。

「開いた扉通り抜けても、それじゃ強くなれやしないよ。閉じた扉叩きつぶして、行こう、君の未来のほうへ。」

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ちょっくら豊田、どっぷり名古屋。

いってきました。

僕の相方がそっちの人間なので、休みを頂いて会いにいきました。

しかしあっつい!

彼女の車のエアコンが壊れていて、移動するにも窓全開でした。あやうく死ぬところでしたが、ミニストップのハロハロに救われました。

2日間でいってきたんですが、初日は下山町(現豊田市)にいって、ジェラートを食べてきました。ゆるーい田舎町で、ゆるーい物産幹でしたが、自分も田舎モンなんで、なんだか居心地がよかったです。

次の日は名古屋の熱田区にある彼女の実家にいってきました。彼女の両親と4人で金山にある美味しいマグロが出る店にいって、のんびり食事。

そのまま東海道新幹線でこっちに帰ってきたのでした。

何度きても、空気があう街だなって思います。暑いけど。これからも何度もこれるように、色々と頑張らないとなって、そんな気持ちになりました。

そんなわけで、随分会ってなかったので、久しぶりに盆栽のことを忘れて、楽しんでしまいました。

ちなみにベランダの草達は、お風呂場に水を張って、そこに置いておいたので、この猛暑でも2日間しっかり留守番してくれてました。

帰って一番に、おいしい水をたっぷりあげました。

たあいもない、日記でした。

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気分は小学生。

Ts390205y Seiunnn1 Seiunnn 夏休みの自由研究のような、絵日記のような。

もはや、そんな気分で草遊びの観察を続けています。

子供の頃は、うちの爺さんとの大事なコミュニケーションの機会でもあった夏の自由研究。

思えば、その頃の体験が、人と人とを繋ぐ命のリレーの始まりだったのかもしれません。

去年、今年と、ツル性の植物を育てて思ったのは、前回は出てきた芽を早めに芽摘みして、枝分かれを増やした分、花が来るのが遅くなったので、昨年の朝顔は、葉っぱが散ってから花が咲く自体になりました。

そういうわけで、今年は芽摘みではなくて、葉刈りで枝を増やそうと試みたところ、思いがけずワンサカ枝分かれが出来て、収集つかない感じになってきました。

長く伸びたツルの先に花芽が来やすいので、花のタイミングと、枝数を増やしてボリュームを作るのを上手に同時進行させるのは、まだまだ研究の余地ありです。

これからまだまだ伸びるとなると、逆に形が乱れすぎるので、タイミングで芽を摘んで、大きくなり過ぎない配慮も必要かと思います。

今年は、先端についた花芽を楽しみたいので、あえてこのままお化けになるまで、伸ばしてみようと思っています。

朝顔物語の続きを楽しみたいと思います。

繰り返しになりますが、

どんな草ものでも、それは単なる朝顔かもしれません。

でも、こうやって人が積極的に関わって、1つの朝顔の物語を作っていく。

僕は以前の日記で、盆栽は人の心だといいました。

それだけでは、鉢に植えられたツル性のヒルガオ科の植物ですが、そこに人が関わり、日々の丹精の中で起きた小さな出来事が繋がって、朝顔にまつわる多種多様なエピソードが生まれるわけです。

これが、僕たちより長生きする樹木であれば、長編大作になる可能性も秘めているわけです。

一本の樹をめぐって、様々なエピソード、「章」ができあがったり、或いは1人の人物と様々な盆栽達との一期一会が物語りになる事もあるでしょう。

僕たちが何故、単なる植物を水をあげて培養する事にこんなに夢中になるのか?

それは紛れもなく物語りがあるからです。

僕たちが生まれたのは、精子と卵子が授精したからですか?

僕のお婆さんが死んだのは呼吸不全だからですか?

僕たちはその誕生や死にオリジナルのエピソードが生まれて初めて、この地球上で僕たちなわけです。

僕の誕生には遡って両親のはじまりがあったり、祖母の死には十年前から認知症だったエピソードがあったりするわけです。

皆さんの目の前にある盆栽は、生物学的に説明して愛情がうまれますか?

現在の相場で金額的な価値をつけられて、愛情が一気に冷めますか?

そうじゃないはずです。

なぜなら、今この瞬間もあなたと愛樹たちの物語が生まれていからです。

その「章」がどういった結末(たとえ枯れようとも、訳あって手放そうとも)、盆栽を続けていく限り、物語には山もあれば谷もあります。

盆栽で繋げなかった命は、僕たちの心を通して、また新たな命、「章」に託す。そうやって、盆栽たちの物語の灯りを消さずにいけたら、凄いことだなって思います。

いつかみなさんと出会う機会があったら、沢山の物語、エピソードを聞きたいな。

そんな想いです。

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共に生きる。

一昨日の夜、ベランダの朝顔のつぼみが、床屋の前のグルグル回る棒みたいになっていたから、心が高揚してきて、次の日は早起きして、仕事に行く前に朝顔の花をゆっくり鑑賞しようって、そう思っていたら、台風の影響で、咲いた朝顔の花は、ところどころ傷だらけになっていた。

それでも花が咲いたことはうれしいし、なんだか充実感がある。

でも確かに、その日まで欠かさず水をあげながら、その命を絶やさず維持してきたのは僕だけど、

その朝見た朝顔の花をみて、果たして僕は水をあげていたのか?それとも朝顔の遺伝子が、その種を次の世代に残すために、僕に水をあげさせるように操作していたのか?

この花に宿る呪術にはまってしまったようだな。

そんな事を考えてしまった。

誰にだって、もう色んなことが嫌になって、怖くなってしょうがない時ってあるけど、この朝顔たちにとってはどうでも良くて、相変わらず水をもらうのを待っているのを見ると、

くったり萎れた葉っぱが気になって、しっかりと水をあげながら、

とにもかくにも、今やるべき事があるって事は幸せな事だなって思えるから不思議だ。

そうなってくると、もはや朝顔やその他ベランダの植物たちは、僕が育てているペットとうよりは、ともに支えあうパートナーなんじゃないかと思うときがある。

僕の尊敬する人は、「女性の居場所をつくってあげるのが男の甲斐性だ」っていっていた。

僕は、朝顔と付き合いながら、俺が食べさせてやってるんだなんて傲慢な気持ちが融けていく、そんな気がした。

「たくさんもらってるな。」

そうなんだよな。これはあくまで役割で、咲くのを助ける、咲いて助ける。

僕は、その日の夜、彼女との電話で昨日のことを素直にあやまった。

そういえば、犬のお墓を作る飼い主を、冷ややかな目でみていたけど、僕は朝顔のお墓に、また朝顔を植える事にしよう。

そして「また会いましょう」といって、たっぷり水をあげることにしよう。

Ts390198

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