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気分は小学生。

Ts390205y Seiunnn1 Seiunnn 夏休みの自由研究のような、絵日記のような。

もはや、そんな気分で草遊びの観察を続けています。

子供の頃は、うちの爺さんとの大事なコミュニケーションの機会でもあった夏の自由研究。

思えば、その頃の体験が、人と人とを繋ぐ命のリレーの始まりだったのかもしれません。

去年、今年と、ツル性の植物を育てて思ったのは、前回は出てきた芽を早めに芽摘みして、枝分かれを増やした分、花が来るのが遅くなったので、昨年の朝顔は、葉っぱが散ってから花が咲く自体になりました。

そういうわけで、今年は芽摘みではなくて、葉刈りで枝を増やそうと試みたところ、思いがけずワンサカ枝分かれが出来て、収集つかない感じになってきました。

長く伸びたツルの先に花芽が来やすいので、花のタイミングと、枝数を増やしてボリュームを作るのを上手に同時進行させるのは、まだまだ研究の余地ありです。

これからまだまだ伸びるとなると、逆に形が乱れすぎるので、タイミングで芽を摘んで、大きくなり過ぎない配慮も必要かと思います。

今年は、先端についた花芽を楽しみたいので、あえてこのままお化けになるまで、伸ばしてみようと思っています。

朝顔物語の続きを楽しみたいと思います。

繰り返しになりますが、

どんな草ものでも、それは単なる朝顔かもしれません。

でも、こうやって人が積極的に関わって、1つの朝顔の物語を作っていく。

僕は以前の日記で、盆栽は人の心だといいました。

それだけでは、鉢に植えられたツル性のヒルガオ科の植物ですが、そこに人が関わり、日々の丹精の中で起きた小さな出来事が繋がって、朝顔にまつわる多種多様なエピソードが生まれるわけです。

これが、僕たちより長生きする樹木であれば、長編大作になる可能性も秘めているわけです。

一本の樹をめぐって、様々なエピソード、「章」ができあがったり、或いは1人の人物と様々な盆栽達との一期一会が物語りになる事もあるでしょう。

僕たちが何故、単なる植物を水をあげて培養する事にこんなに夢中になるのか?

それは紛れもなく物語りがあるからです。

僕たちが生まれたのは、精子と卵子が授精したからですか?

僕のお婆さんが死んだのは呼吸不全だからですか?

僕たちはその誕生や死にオリジナルのエピソードが生まれて初めて、この地球上で僕たちなわけです。

僕の誕生には遡って両親のはじまりがあったり、祖母の死には十年前から認知症だったエピソードがあったりするわけです。

皆さんの目の前にある盆栽は、生物学的に説明して愛情がうまれますか?

現在の相場で金額的な価値をつけられて、愛情が一気に冷めますか?

そうじゃないはずです。

なぜなら、今この瞬間もあなたと愛樹たちの物語が生まれていからです。

その「章」がどういった結末(たとえ枯れようとも、訳あって手放そうとも)、盆栽を続けていく限り、物語には山もあれば谷もあります。

盆栽で繋げなかった命は、僕たちの心を通して、また新たな命、「章」に託す。そうやって、盆栽たちの物語の灯りを消さずにいけたら、凄いことだなって思います。

いつかみなさんと出会う機会があったら、沢山の物語、エピソードを聞きたいな。

そんな想いです。

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