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MISHOUは世界の合言葉

先日の種蒔きの余談です。

我が家には年に数度、海外からのお客様がいらっしゃるのですが、彼らとのお話の一つに、「ヨーロッパではヤマドリ素材が無数にあるため、実生は根付かない」との事でした。

日本から海外に仕事に行かれる人の多くのお話を伺っても、海外のヤマドリ素材のレベルを見るに、海外の技術が上がれば将来は日本の盆栽は海外に追い越されるだろうと、みんな口をそろえて仰います。

確かに、向こうの盆栽雑誌を毎月拝見しても、毎度のごとく日本では見たことの無い、或いは戦前にしか存在しなかったような幹骨の盆栽素材が出てきて、まったく感嘆してしまいます。

「こんな素材で仕事が出来るヨーロッパの愛盆家さんは、うらやましいな。」

職人としての正直な意見です。

けれど、向こうの方は、盆栽の幹骨の良し悪しだけではなく、日本の文化としての「盆栽」にも興味を持っていただいているというのも事実だと思うのです。

ならば、実生はどうでしょう?

実生が単に素材を得るだけの手段にすぎないなら、たしかに山に入って100年以上の古木を掘ってこれる人たちにとっては、無意味な行為に過ぎないかもしれません。

けれど、先日の日記に書いたとおり、実生は単に結果を得るための手段ではなく、その行為自体が、盆栽遊びの一つになりうるというお話しをしました。

そして、無意味なことに本気になれるのが、本物の大人ではないかと。

考えてみてください。

盆栽そのものが、人間が生きるために何故ひつようなのでしょうか?

盆栽がこの地球上に存在しなくても、死んじゃう人なんていません。

文化って何でしょう?

僕の知りうる限りでは、無いと人類が滅んでしまうような文化はありません。

考えてみれば、ヤマドリどころか盆栽だってそもそもが無意味な存在かもしれません。

けれど、僕は、僕たちは、それに何故か出会ってしまった。

そして、それに本気になる。ふしぎ、ふしぎ。

だとしたら、実生だって、立派な文化じゃないですか。

無駄なことをやってる人たちから、さらに無駄扱いされるなんて、なんて澄み切った文化でしょうか!

しかも、盆栽にするためだけに種から素材を作るっていうのは、純粋な日本発。

だから、世界に伝えてみたい。日本の「盆栽素材の実生」という文化。

そういうおもいから、うちの親父に頼んで、イタリアの愛盆家さんからヨーロッパ赤松の種をいただけないかと、数年前に交渉していただきました。

むこうの原種で、盆栽素材を作ることで、海外の方により身近に実生という文化を感じてもらいたい。興味を持ってもらいたいからです。

そして、実生の思いに興味をいだいてくれたイタリアの愛盆家さんから、ヨーロッパの赤松の種を提供していただき、去年と今年、早速実生にチャレンジしました。

・・・前置き、なげーんだよ!!

去年はバットにごっそりまいたのですが、今年は畑に播いてみました。

Dsc02042

おととい播いた畝に、五葉松と区切って播いてみました。

書いてある文字は、向こうの言葉で赤松ってことです。

「PINUS SYLVESTRIS」

なんてかいてあるんでしょうね。

「ぴぬす しるべすとりす??」

Dsc02056

五葉松に比べると、随分小さな種です。

この種は、五葉松とちがって、乾燥しても発芽率はほぼ100パーセントになります。

Dsc02059

これは、去年播いた実生苗です。

こんなに出るとは思わずまいたので、えらい込み合ってます。

来年にでも植え替えて、小品、中品サイズに仕立てていく予定です。

この種類は、日本の赤松と違って、かなり葉が短いです。

しかも五葉松みたいに芽が込むので、盆栽素材としてはかなり適した種類となります。

さあ、果たしてMISHOUは世界の合言葉になるのでしょうか?

実生の持つ可能性は、まだまだ無限です。

冒険はまだまだ始まったばかりなのです。

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ようやくうちでも。

五葉松の種を播きました。

うちでは数が数ですから畑に播くのですが、花さか爺さんのように、ただブワッとばら撒いても上手くはいかないものです。

というわけで種蒔き作業の手順を、写真で紹介していきたいと思います。

Dsc02040 写真は、耕した畑を線でくぎり、その中を踏み固めているところです。

こうやって踏み固めた土壌に播くことで、発芽した実生苗の根が、下方に走り過ぎないようにします。

直根の走りを抑えることで、横根の成長を促し、根張りを出来るだけ良くする為の配慮です。

Dsc02041 今回まく、五葉松の種です。

種に関しては下のURL参照↓

http://philosophy-of-bonsai.cocolog-nifty.com/blog/2008/09/post-2056.html

http://philosophy-of-bonsai.cocolog-nifty.com/blog/2008/10/post-790d.html

もっと大きくて深い容器に冬の間埋めておいたのです。

あまり浅く植えると発芽してしまいますが、深く植えておくと発芽せずに保存できます。

が、今回はすこし遅かったので、芽が出始めているものも多数ありました。

しかしながらそういったものも、そのまま播くと、立ち上がりに面白い曲のついた素材になるものですから、怪我の功名といえばそうなるでしょうか。Dsc02043_2

先ほど固めた土の上に満遍なく播いていきます。

土がついたままですが、洗ってしまうと、畑では水遣りが出来ませんから、かえって乾燥してしまうので、湿り気のある土がついたまま播いています。

Dsc02047

種を播いたら、もう一度種を踏んで土の中に押し込みます。

これは、雨や風で種が動いたり、日照りの乾燥を防ぐ意味があります。

Dsc02052 土をふるって、種の上に覆土していきます。

大体種の三倍くらいの深さでしょうか。

あまり被せすぎても、顔を出す前にヒョロヒョロと伸びすぎてしまうので、気をつけてください。

Dsc02058 板をつかって、表面を軽く固めています。

乾燥や土が風や雨で流されないようにするためです。Dsc01253_5

最後に鳥に食べられないように、ネットを張ります。

今日は風がとても強く、ネット張りは明日に延期になりましたので、写真は去年の様子です。

よく見るとネットの下で芽が起きているのがわかると思います。大体芽が発芽しきる秋ごろまではネットをかぶせて起きます。

というわけで、今年の種蒔きはお仕舞いです。あとは発芽をワクワクと待つだけです。

81年間、変わらず続けてきた種蒔きです。

それは、ある意味では80年以上色あせず多くの愛盆家さんを魅了してきた、吾妻五葉松の魅力をあらわしているのではないでしょうか。

僕は実生という行為は、単に素材を得るだけの行為ではないと思います。

僕の爺さんたちは、実生からヤマドリにまけないような素材を作出するという、未知の世界に挑む冒険者たちでしたが、

そのおかげで、僕たちはその行為は大分「楽しむ」ことができるようになりました。

僕の好きな児童文学の作家さん、E・L・カニグズバーグさんが、著書の「ぼくと(ジョージ)」でこう記しています。

「ジョージは、ただものを知るだけでなく、ものを知るまでの過程を楽しまなければいけないと信じていた」(岩波少年文庫)

実生は結果ではありません。実生から始まる丹精の物語です。

実生から作った、皆さんの可愛い盆栽たちを見て、人は言うかもしれません。

「買ったほうが早い。」「ヤマドリには敵わない。」「樹が若い。」

そんなとき、皆さんはどう考えますか?

実生の面白さは、必ずしも結果に表れるものではありません。その面白さは、共に歩む実生愛盆家さんの心の中にあるものです。

そしてもうひとつ、結果に表れないのは、結果が表れる前に止めてしまうからです。

すぐに結果が出ないからこそ、面白いのです。すぐに結果が出ないからこそ、その物語はより深く豊かになっていくものなのです。

爺さんはいいました。「実生は三代かけてつくる」

父もいいます。「わがやの盆栽棚場には、出来上がった樹は一本も無い」

僕もまた、結果というものを知りません。先の見えない冒険を続けている旅の途中です。

いまだに実生五葉松に対する偏見は残っています。

それでも、実生のたびを続ける理由は・・・、

ここまで僕の日記を読んでこられた方には、もうわかると思います。

みんさんも、はやく終着駅に着こうとばかり考えずに、たまには列車の車窓から、旅の景色をのんびりと眺めてみてはいかがでしょうか?

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春風マシンガン。

  ぼんさいや「あべ」にも、例外なく春風が吹き抜けていきました。

まったくやつらのマシンガンは本物です。庭には色とりどりの花たちが咲き乱れてはじめています。

Dsc02009 仕事場の裏山は、ソメイヨシノが終わり、小道には桜の花びらが。

今は枝垂桜と、濃色のオオヤマ桜がみごろです。

Dsc02001 オオヤマ桜の花びらは大輪で、新芽は赤く、山中ではとても目立つ存在です。

Dsc02000  もみじだって、可愛い花を咲かせます。

これはハウチワの紫色の花です。新緑に濃色の紫が映えますね。

Dsc02003_2

山もみじのオレンジ色の新緑は定番ですね。

もみじは種類によって、新緑の色は様々です。

春の芽吹きの代名詞はやはりもみじに軍配が上がるんじゃないでしょうか。

Dsc01992 こちらは、福島の県花「しゃくなげ」です。

大輪の花は、福島に春の知らせを運んでくれます。

Dsc01994 これはガマズミの仲間、オオカメノキです。吾妻山の標高の高いところでも見受けられます。

アジサイみたいな花ですよね。この手の種類は山野に結構あります。

秋には赤い実をつけます。

里では中々根付かないそうですが、我が家のオオカメさんは今年も元気に花を咲かせました。

Dsc01995

これは西洋ザイフリボク。ジューンベリーなんてもいいます。

この木の赤い実は、酢漬けにするとおいしいんですよ。

これは寄せ植え盆栽に使った樹の花です。

爽やかな白といった印象でしょうか。

Dsc01997 キブシです。

黄色い鈴なりの花が山林の中で静に咲いています。

夏場は大きな葉っぱであまり見た目はよろしくないのですが、

さしずめ醜いアヒルの子。

大事に育てれば、春には最高の恩返しがまっています。

Dsc02016 ヤブレガサです。

このきの一番の見所は、この可愛らしい芽吹きにあるのではないでしょうか。

子供たちが、長い眠りから覚めてゆっくりと起き出して来たようです。

Dsc02021_2 イカリソウです。

日本の山野草は、こうやってひっそりと佇む感じのものが多いようです。

こうした姿はいつまで見ていても飽きがこないですね。

Dsc02024 五葉松の実生畑です。

この時期に、実生三年目から毎年のように植替えをします。

大、中、小と苗の生長にあわせて分別し、植えなおします。

こうして根が走らないように作っておけば、すぐに鉢に上げられるし、

植替えをすると、幹が柔らかくなり、針金で曲付けする時に、曲げやすくなるのです。

ただ取って来た種を適当にまいてそのままにしても、丈夫で健康な苗を作ることはできません。

実生は単なる行為に終わりません。

それは、明らかに継続する文化です。

こうして一手間もふた手間もかけて、命は繋がれていくものなのです。

Dsc02019 二年もの、三年もの、さらに年上の苔玉たちです。

ようやく苔の中から、新芽が顔を出し始めました。

それにあわせて、液肥でうすめた水に漬け込んで、綺麗に掃除をして並べ始めました。

丹精こそ、盆栽の醍醐味。

作ったばかりの苔玉では決して体感できない春の訪れを、ビシバシ肌で感じています。

Dsc02030 こちらは、北海道の桜です。

我が家の畑に大木が2本、見ごろを迎えています。

この木の下で一服は至福です。

すこし紫が入っていますね。

というわけで、春の機銃掃射、あなたは無事にかわすことができましたか?

僕は無理でしたね。もう体中が春の魔力に撃ち抜かれて、春風が吹き抜けていますよ。

ぼんさいや「あべ」にお越しの際は、季節限定のメニュー「春」をご注文ください。

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植替え講習会

毎年冬からスタートする盆久楽会(ぼんくらかい)の講習会も、今回の植替えでひと段落します。

僕も、古い根や土を落として、清潔な土に入れ替えるこの作業は、とても好きな仕事です。

沢山ある根っこを前にすると、初めての頃は怖くてはさみ一つ入れることも出来なかったのですが、盆栽の命に直結する仕事ですから、たしかに難しい作業ともいえるわけです。

それでは、会員さんの素材持込での植替え講習のようすを見てみたいと思います。

Dsc01958 写真は、盆栽の根をほぐしているところです。

Dsc01957 盆栽になって古いものは、根元近くに沢山細かい根が出来るため、底を薄くしたり、小さめの鉢に入れることが出来るようになります。

Dsc01968 畑から上げたばかりの樹は、土の状態によりますが、ほとんどの根があらわになってしまいます。(写真の素材は根上がりです)

こうした樹の植替えが一番樹を枯らしやすい難しい作業になります。

樹が盆栽になるということは、樹にとっては、試練なのかもしれません。

作業中は根が乾燥しないよう、絶えず霧吹きで根を湿らせます。

Dsc01972   植替え終了です。新木の時、沢山の枝がついてるものを、一度に落とし鉢上げすると、その年の葉は生きんがために勢いがついて、とても長く伸びるものです。

この葉も、長く伸びていますが、真直ぐな葉なので、樹勢が落ち着いてくると、短くてスキッとした葉っぱになります。

Dsc01973

講習会がおわると、皆さんで食事です。

実はこれが一番の楽しみなのかもしれませんね。

趣味を通して縁を楽しむ。

素敵なことだと思います。

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イタリアで地震。

先日イタリアで大きな地震がありました。

現地の通訳さんと盆栽芸術学校の校長先生はじめ生徒さんの安否が気がかりでメールしたところ、

地震があったのはローマの近くで、皆さんが拠点にしているトリノやミラノのほうは大丈夫だったそうです。

天災は怖いです。盆栽も当然めちゃくちゃです。

去年、一関でおきた大地震のとき、お客さんの盆栽にも被害があったそうです。

それでも、人命が無事なら、それが一番ですよね。

盆栽は枝がおれても、技術と時間があればまた作れますが、命は作り直せませんから。

昨日、東京から88歳のおじいさんと81歳のおばあさんの夫婦が車で遊びに来てくださいました。

うちの爺さんの時代からのお客さんで、福島一筋で盆栽を楽しんできた方です。

以前ガンをわずらったのですが、「生きてるうちは福島にきます」といって検査の結果が良好とでると、ふたりで東京から運転してくるのです。

途中那須で一泊してくるのですが、その年齢で福島まで運転してくるのですから、その気力にはとても尊敬をおぼえます。(ご家族は気が気でないと思いますが)

昨日はうちの爺さんを偲んで「なかなか帰ってこないところをみると、よっぽど向こうはいいところなんだろうねぇ」と仰っていました。

那須で買った竹と木で編んだ芭蕉さんがかぶるような帽子をかぶりながら、陽だまりの盆栽やさんを歩いていました。

僕の爺さんが昔そんな帽子をかぶりながら盆栽に水遣りをやっている姿を重ねて、懐かしいなというと、奥様が、

「歳をとってくるとね、倉吉先生(うちの爺さん)とやることがにてくるの。そっくりね。」

今はスリランカ人のご夫婦と盆栽を通して親交があるそうで、

「この庭をみせてあげたいなー」といっていました。

帰りがけには、

「昔ね、私が松の葉はチクチクしていやよ。っていうとね、お父さんね、松のほうが大事だからお前はここで降りて帰れ。っていったのよ。」

と奥様が言うと、旦那様は

「そういうことはいわないでくれよ。」

と恥ずかしそうに答えていました。

すべて過ぎれば思い出話。夫婦の絆の強さを感じます。

「長生きしなきゃダメよ。二人で長生きするのよ。」

丁寧に歳を重ねた一つの形がそこにありました。

先週、ご病気で盆栽を手放すことになった方がいて、盆栽を引き取りに伺いました。ご家族が皆さん遠方から集まっていて、盆栽を運ぶお手伝いをしていただいたのですが、

僕はつくづく、命を前にして自分自身の限界を痛感してしまいます。

その方の盆栽に対する想い、ご家族の想いを想いのままに汲み取れない自分の無力さを実感せずにはいれません。

盆栽一本一本に詰まった様々な物語を僕たちが繋いでいくお手伝いができるのか?

まだまだ人として経験不足です。

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