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福島のターシャ・テューダ。

高湯街道を登っていって最後の信号を左にまがり、ふじ林さんという器のお店を過ぎてすぐ、道路沿い右手に広がる50メートルくらいの雑木林の手前、

そこに彼女の庭があります。

十年ほど前は、荒れた雑木林だったのですが、気がついたら少しずつ開墾されていて、気がついたら花木が植えられていました。

いつも車で通る時、手押し車が道路脇においてありました。

注意深く見てみると、腰が90度に曲がった齢80をこえていそうなを小さなおばあさんが、一人で草むしりをしていました。

どうやら、向かいの家のおばあさんが、たった一人で荒地を開墾してお花をうえている様子でした。

修行中なんかに、たまーに帰省してそこを通っていたもんですから、一年一年が見違えるように変わっていって、次はどうなってるのかなって楽しみにしていました。

今日、うちの嫁さんが仕事の帰りにそこを通ったら、アジサイが凄かったって教えてくれて、僕は無性に見たくなって夕方でかけて行きました。

Dsc02395

農道の右、青く見えるのはアジサイです。季節季節で色々な花がひっそりと咲いています。

Dsc02397 青一色に咲き乱れた大きなアジサイです。

土手の下に植えてあるので、丁度いい高さに青いアジサイが見えて、とてもダイナミックな景色にみえます。

実際には、土手の下にもっと咲いていてるし、ここの庭を歩きながらみていると雑草が生えていないことに驚きます。

おばあさんに声をかけてみたかったのですが、手押し車は自宅と思われる玄関においてありました。

ちょっと残念でしたが、前にここを通った時、おばあさんが藪の中でしりもちをつきながら、シノダケの大きな根っこをお腹に抱えて、全身で抜き取ろうとしていた姿を見て、猛烈に感動したことがありました。

このおばあさんの思い(それは特別な表現でないとしても)を聞いて、僕の生きる教科書の一つに是非したいとそういう思いでいます。

僕はどんな些細なことでも続けることの出来る人をとても尊敬しています。

この庭を見た人のすべてが、必ず感動してくれるとは思っていません。

ただ、以前の荒地を知っているものとして、その荒地をたった一人の腰の曲がったおばあさんが長い年月をかけて、少しずつ、一つの庭を作り上げていったということに、一人の表現者としての彼女に、尊敬の思いを抱かずにいれないのです。

僕は以前、盆栽もインスタントな表現になってきているとブログで書いたことがあります。

そして僕の思いは、「盆栽を通して丹精することの素晴らしさを知って欲しい。」ということです。

僕たち世代の人に特に伝えたいのは、「続けることでしか、個性は生まれないし、表現者としての骨格はできないんじゃないか?」ということです。

だからこそ、どんなに小さなことでも、どんなに意味の見出せないことでも、続けていくしかないんじゃないかと思うんです。

誰よりも目立ちたいというなら、そんな奴はテロリストにでもなりゃいいんです。

そんなことで世界は変わらない。爆弾一つで変わる世界なんて無い。

だったらそこのお兄さん、お姉さん、

草むしりから世界を、むしろ自分を変えてみてはいかがでしょうか?

ちなみに僕の今一番実現したい夢の一つは、実生畑の草むしりを終わらせることです。

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