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Remember you

屋久島の翁杉が倒れてしまいましたね。

屋久島に上ったのは8年前、あの時でさえもはや枯れているのか生きているのかわからない、まさに異形でした。

けれど、このニュースは、やはり「自然とは何か?」を考えさせてくれるものになりました。

先日の「盆栽世界9,10月号」で特集していただいた吾妻山の自然風景と五葉松、そして名松「日暮しの松」、

その記事の内容がとても素敵だったので、あえて同じようなレポートではなく、僕が感じた日暮しの松について書きたいと思います。

まず最初に僕が日暮の松を見たのは、小学生に上がるか上がらないかの頃です。

記憶の中では小さかった僕は大人の背について笹藪を抜けると、大きな松があった事、そして枯れて横たわった泳ぎだしの3幹目の幹の上を登って歩いたことを今でもはっきり憶えています。

森を抜けて平石山方面に戻る途中、野うさぎに出会い、空を見上げると赤とんぼで一杯でした。

それから20年以上経って、去年のTUFの特集の取材で出会った日暮しは、盆栽をまるで知らなかった時と違い、物凄い威光を放っていました。

この深い森に、偶然空いた空間に、奇跡的に佇む老松。

その幹、その枝、その姿にただただ感動を覚えた瞬間でした。

その時に、このまま朽ちてゆく老松を助けられないか?

後世にこの松を残していけないか?と考えるようになりました。

ただその思いは僕が初めて考えたことではなく、発見当初からそういった話はあったのですが、場所があまりにも正規ルートから離れていること、国立公園内であることから、実現には至らなかったそうです。

1つだけ当時は黙認という形で、周辺の笹を刈り払うことだけは許されたそうです。

盆栽ブームも手伝って、日暮しの松は多くの人の目に触れる事になったのですが、

そんな話は昔話になり、今では福島の人でさえも、その存在を知る人も少なく、日暮までの道中も笹や五葉松が大きく育ち、日暮しが生きる森の中もアオモリトドマツが覆いかぶさるように育ち、平石山から頭が見えた日暮しも、その姿は森の外からまったく確認できないほどになってしまいました。

というわけで、その思いを募らせながらも、このたびの日暮し登山となったのですが、

僕の考えはまるで違う方向に向かうことになりました。

雪の無い道中は、雪の頃とはまるで違い、非常に危険なものとなりました。

まず熊との遭遇。

熊の目撃情報は多かれど、実際に目の当たりにする事は今まで無かったのですが、丸腰で近くに熊がいると、もうこれは恐怖でしかありません。

笹薮を掻き分けているときが一番怖かったです。

そして、笹薮も足元の地形がわからないくらい深く、過去に帰り赤とんぼを眺めた登り斜面も、まるで方角がわからないほど、笹と空以外の情報が入ってこない世界でした。

029 (この斜面を抜けないとひぐらしのいる森にたどり着けません)

そして、僕が一番ショックを受けたのは、日暮しの松がもう保護を必要としないくらい、昔と状況が変わっていたということです。

もともと斜面に生えていたとはいえ、雪の重みで幹は大きく傾き、倒れたアオモリトドマツが日暮しに覆いかぶさり、このまま行くと、この場所からしても、そう長くは無いことは、僕が見てもわかるほどでした。

060 (幹の傾斜が進んでいて、雪の重みに耐え切れず倒木する可能性が高いと思います。ここは多い時で6メートル以上の積雪があり、先に枯れた二本も、斜面に積もった雪に押し倒されたと思われます。)

僕はそれを見て瞬間、

「これほどまでに厳しい環境で800年以上生きてきたじゃないか。それを僕が生かしてやるだなんて、なんておこがましいんだろう。人の保護云々をはるかに凌駕している。これが自然じゃないか。この樹の死を受け入れるのも僕たちの使命じゃないか。」

と感じてしまいました。

「僕たちはこの樹から沢山の事を学んだじゃないか。日暮しも「俺は十分生きた。」そう言っている。ここまでの道がそうだった。そして今日僕たちは、その生き様を多くの人に伝えるために、ここに来たんじゃないか。」

たとえ日暮しがなくなっても、その姿は決してなくならないのです。

なぜなら、日暮しの生き様、その姿こそ「空間有美」そのものだからです。

阿部倉吉がこの樹から教えてもらった大事な大事な表現です。

今この長い一生を終えようとしている老松に、この場所でその生を全うして欲しい。

僕の一生と、日暮しの一生はどちらが後か先か。

この地での再会を約束して、その場所を後にしました。

ここから変態じみた意見になりますが、

僕らが吾妻山の日暮しの松を含め、その自然から受け取った感動を、あの庭を通じて伝えていくことが、僕たちの大事な仕事だと思っています。

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Dh000062_1

(日暮しから自然の厳しさを教えてもらいました。上は日暮し、下は実生52年の盆栽。)

それが文化であり表現です。

そんな必要がないといわれるかも知れません。

けれどこれだけは言えます。

人には無駄が必要です。

無駄とは即ち、自然だからです。

思い通りにならないからこそ、偉大なのです。

だからこそ、手を合わせて人は祈るのです。

「ありがとうございます。全ての自然に感謝します。」

感謝が無くても、機械は動きます。

ただし人の気持ちは動きません。

僕は盆栽で人の心を動かしたい。

800年間、一時もその場所を動くことの無かった日暮の松は、その厳しい自然を生き抜いた姿で、阿部倉吉や親父を含め多くの人の心を動かしました。

ぼんさいや「あべ」もそうでありたい。

僕は祈ります。

「盆栽の神様、俺におりてこい!そして、俺の頭の中に日暮しの全てを焼き付けてくれ!」

最後に好きな歌から引用します。

「Remember you 全て無くしたとしても

 Remember you 僕は憶えているよ。

 君の目を耳を口を胸を そうさ今も忘れられないのさ」

Remember you 忌野 清志郎) 

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