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フランスで、ヨーロッパで吾妻山の五葉松

2月の10日から14日の間、フランスからお客さんが我が家を訪れました。

彼は昨年の五月に吾妻山の取材に来たルイスさんです。

彼の取材した記事が「bonsai focus」に掲載されました。

また去年盆栽世界さんで取材された記事が「France bonsai」に転載されました。

066

左からbonsai focus、France bonsaiです。

左はヨーロッパ各国、アメリカで、右はフランスの専門誌です。右の表紙は日暮しの松の幹です。

067 彼の取材していった記事のページです。

次に彼の友人が翻訳してくれた記事の内容を転載します。

「今回、福島県の有名な「盆栽作家」である阿部健一氏(先代:阿部倉吉、フランス語、イタリア語、スペイン語に翻訳された「五葉松盆栽の作り方」の著者)、息子の大樹氏、そして彼らの友人である佐藤隆夫氏の素晴らしいガイドが同行してくれた。

五葉松を観るには、

福島市

から火山を通過する磐梯吾妻スカイラインという有料道路を利用するのが一番容易な方法である。日本の五葉松が、赤松や様々な落葉樹と交じり合っている様子をすぐさま観ることができる。五葉松は、美しい深緑色の針状葉と明灰色の樹皮で容易に識別することが出来る。樹形は高度が高くなればなるほど複雑になるが、高いところに行けば行くほどその形に魅了される。

最も驚くべき木は標高の高いところで観られる。私たちのハイキングは、吾妻山の山腹から噴気孔が見える、道の最も高いイチにある巨大な駐車場から出発した。ここは、寒さと風に支配されている。5月というのに、そこにはまだ雪が多く残っていた。多量の雪の残る山腹をみれば、かなりの雪が降ることが想像できるであろう。しかし、これらの松の木は、我々の静かな環境において見慣れているようにここに存在している。適度な高さの、時には木の茂ったところに観られる松の木が、樹木限界線のこの最も高い位置に観られる。

てっぺんだけが雪の中から現れているという有名な木である「日暮しの松」を観るためには、時には良く整備された道を通ることを諦めなければならない。

阿部氏の庭にある美しい盆栽を造るのに必要とされるものは、すべて「荘厳なる美」をもつ人里離れた山々にあるということがはっきりとわかる。

―最初に種がある、ここで集められ、庭にまかれる。

―これらの木を育てる自然環境に対する思いやりのある手入れ:火山灰や険しい岩肌の小片からなる土(水はけが良い)、そして厳しい対照的な気候

―最終的に終わることのない感動の源、複雑で感動的な枯れ木の森を伴う木々が、優雅さや甘い香りの群葉の完全なるハーモニーとともに、いたるところに観られる。

しかし、私は最も重要なことを忘れそうになった。なぜならば、「人」の手と心が伴っていなければ、盆栽はありえない!そして、ここに創作工程に携わる家族と友人たちがいる。親切、人間味、魂の高貴さ、心の優雅さ、飛びぬけた美的センスを伴うすべてのこと、そして、阿部倉吉氏の優しさと精神は他の多くの人たちの中にある。

ハイキングをしながら、丘陵、平野、雪谷などで多様な形状を観ることが出来た。それらは盆栽作家である阿部倉吉氏によって影響をうけている。しかしながら、わたしはヨーロッパの山々の木々を賞賛してきたが、吾妻山で観た木々は全く異なる美しさである。それは、新しい、異なった種類の美であった。

そして、あえて次のような描写をしたい。

木々は指揮者であり、自然のシンフォニーを奏でる。彼らのそれぞれの形の美しさ、彼らの魂、文化、環境に対しての繊細さ(背景)をもとにして奏でる。それぞれの解釈や表現は異なるが、共通するものはたった一つだけ:「美」

最後に、英国の詩人ジョン・キーツが書いた美しい詩を引用し、阿部さん家族と過ごして感じたことをまとめたいと思う。

<美は真実、真実の美、-それはこの世において最も知るべきものである>      」

たった数日の滞在でしたが、このような捉え方、文章を書いていただきとても驚きました。

また、ヨーロッパに吾妻山の自然が紹介されたことは、福島市に根を張るものとして大変ありがたくうれしいことになりました。

そして、今回の旅の目的は、まず福島、そして国風展の取材だそうです。

なぜ何もない冬の福島を訪れたかと言うと目的は二つ。

1つは前回我が家でとって言った盆栽の写真を、むこうの人が誰も実生から育てたものだと信じてくれず、実生から盆栽を作るテクニックや畑の様子を取材に来たこと。

もう1つは、福島の人間が好きになってしまい、みんなに会いに来たということでした。

そういうことなので、日中は盆栽の荒作り、実生苗の曲付け、取り木、衣替えを取材したり体験したり、畑の実生苗や大物素材を写真に収めたり、盆久楽会の講習会を取材したりと毎日盆栽三昧の日々でした。

夜は、一日は家族と会員さん夫婦と連れ立って、福島の屋台村に遊びに行きました。

ここでも、採用と教育の半田さん屋台村の五里夢中の浦本さん、はじめ多くの皆さんからジャパンな夜のおもてなしを受けて、お腹一杯胸いっぱい、大変喜んでいました。

011 彼は葉の性質の違いに興味シンシンです。

ヨーロッパでは葉性の選別をする人はまだまだ少ないそうです。

014

取り木に成功した木の植替えです。

015 こちらは実生苗の接木の様子。

019盆久楽会の講習会の様子です。

ワークショップのスタイルも日本と欧州では違うらしく、とても興味深く写真をとったりメモをしたりしていました。

027 最後の日は我が家で送別会です。会員さんや家族が集まっておしゃべりです。

通訳の方がいないので、言葉はどうしたのかと言うと、「伝えたい」と言う気持ちがあれば、下手くその英語でも伝わるし、かれの言葉も大体わかりました。(彼がこちらの英語力に合わせてくれたのは言うまでもなく。)

それに、本気で盆栽を勉強しているので彼曰く、「盆栽を知らない翻訳家よりも、あなたの説明のほうが伝わります」とのことでした。うれしい言葉です。

彼によれば、「フランスの盆栽は、理論(セオリー)ばかりだ。」というのです。

例えば、「日本の先生が、ジン舎利の付いたものは文人とはいえない。というと、ジン舎利の付いたものに価値を見出さない人もいるくらいだ。」ということなのです。

もちろん、すべての人がそうだとは言っていませんが、彼はモンブランの山岳ガイドをしていたくらいで、フランスやアルプス中の山々を歩いて自然を見てきた経験から、

「自然の樹木をみれば、たとえ忌み形だとしても美しいものは美しいじゃないか。」という風に考えます。

「例えば山にとても美しい自然樹があるから見に行かないか。と誘っても殆どの人は、山採りしないなら行かない。という。」

「山を歩いても自然樹を観察することもせずに、山採りの素材を探すため下ばかり見て歩いている。」

「山採りじゃなければいいものが出来ないと言うセオリーがまかり通っている。」

我が家も彼も原理主義者ではないので、国も文化も環境も違えば、山採りを一切否定することではないのですが、

僕が「なぜヨーロッパには素晴らしい山採りの素材があるのに、実生に興味をもたれるのですか?」と聞いたら、

「ここにある実生盆栽は、どれも自然らしい。多くの山採りものよりも美しいからです。」

と答えてくれました。

山採りに負けない素材を、畑でも出来るという阿部倉吉の信念。

「彼らは盆栽を作ることに熱中するあまり、スピリッツ(魂)を忘れている。」というのです。

何のための盆栽か。僕なりに下手くそな英語で伝えたのは、祖父、父と繋いできた信念。

「盆栽の空間有美、自然らしさの表現を通して、自然の美しさを、感動を伝えたい。」

「実生から盆栽を作ることを通して、自然の面白さを、素晴らしさを伝えたい。」

と言うことです。

確かに山に自生する樹木と盆栽の形が瓜二つではないかもしれない。

それでも、自然のいいところを真似したい。

例えば日暮しの松が生える場所は誰しもが行ける場所ではない。

それなら、その感動に負けないような感動を、盆上の松を見た人に体感してもらいたい。

彼の記事を読んで、彼と直接話して、実感しました。

遠く海を渡った異国の地に生きる彼が、それと同じ思いを抱いていた。

思いは通じる。

阿部倉吉の願いは、これほど奇跡的に近い出会いすら現実にしてしまう。

まさに感動です。

この出会いを、とても大切にしたいと思います。

最後に、今回様々な場面でルイスの福島滞在をサポートしていただいた皆さんに感謝します。

ありがとうございました。

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