« 2011年3月 | トップページ | 2011年5月 »

NHKカルチャーセンターでの講座

今日は福島市のNHKカルチャーセンターでの盆栽教室でした。

正直、今回の事態で中止を覚悟しましたが、NHKカルチャーセンターさんが、文化を通して復興を応援したいということで、講座の開講を決定してくれました。

001全3回で、今回が初回です。

我が家の得意とする、五葉松、苔玉、山野草の寄せ植えを行います。

1回目は五葉松のミニ盆栽つくりです。

004 これが一応僕の見本です。

バサバサの素材の荒作りから、針金をかけて整形し、植え替えてポットから鉢に入れ替えます。

002これが受講生の盆栽です。

003こちらも受講生です。

経験に差があり、初めての針金掛けと、心覚えがある方の両方でしたが、お二人とも飲み込みが良く、針金掛けが上手で、うまく樹形がまとまったと思います。

盆栽じゃない素材を盆栽のスタートラインに立たせる大事な初めの一歩。

ここから盆栽を育てると、愛情の度合いもまた違います。

また持ち込んでくると、さらに良くなる一方です。

次回は苔玉教室になります。とても楽しみです。

今回の講座は途中参加できませんが、実は先日、次の3回の講座が決定しました。

7月、8月、9月の三ヶ月3回講座です。日程は第四水曜日になると思います。

平日の昼間なので参加できる方は限られると思いますが、興味のある方はぜひご参加くださいませ。

詳しい案内や募集はまだ先になりますが、その時はまたブログでご案内させていただきます。

福島の復興を考えた時、多くの方が文化を楽しめるようになって、初めて復興したといえるのかもしれません。

その日がくるまで、福島の文化を守り抜くのも、ぼんさいやの大事な仕事だと思っております。

がんばってるじゃないか、福島。

あきらめないよ、福島。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

最長老逝く。

日曜日、盆久楽会の最年長会員さんの菊田清治さんが亡くなりました。

88歳です。

爺さんの代から始まり、親父があとを継いだころから実に50年近いお付き合いになります。

元国鉄員さんで、とてもパワフルな方で、クワ1つで山を切り開いて、盆栽の実生を楽しんでいられました。

また僕が子供の頃から、まったく印象がかわりませんでした。

会員さんもその年にかかわらず、皆さんまさか亡くなるなんて思わなかったくらいです。

どんなに暑かろうと寒かろうと盆栽の手入れを欠かさなかった方でしたが、去年の末には盆栽をいじる気がおきないといっていたのを思い出します。

沢山の素材を持っていたので、年のせいかと思い、少し数を減らして手入れしてもと、その時はそんな会話だったのですが、

今回の地震の翌日、倒された盆栽を家族と起こしているとき体調不良を訴えて入院、

検査の結果末期のすい臓がんだったそうです。

その後も体調が良くなり一時退院の話も出たほどだったそうですが、突然体調が急変して、そのまま眠るように安らかに逝かれたそうです。

まさに大往生、今わの際までまともに、そして家族に心労かけることなく人生を生き抜いた菊田さん。

戒名にも「松」の名が記されるほど、盆栽に人生をささげた一生でした。

斎場の入り口には子持ち双幹の文人木が飾られ、その横には家族との思い出の写真、

そして息子さんがたしなむ立派な書が軸になって飾られて、書かれていた言葉。

「盆樹生涯楽」

まるで生きているかのように静かに眠る菊田さんに、手を合わせながら心の中でしっかりと「ありがとうございました。」とお礼を言わせていただきました。

阿部家の歴史に菊田清治さんあり。

本当に長い間、ありがとうございました。

あっちに行っても、うちの爺さんや婆さんと盆栽を楽しんでいただくことを願っています。

余談ですが、僕の好きな歌をうたうアーティストさんが、被災者の応援メッセージを添えて動画をアップしています。

ぜひご覧下さい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

一瞬忘れることが出来れば、リズムは生まれる。

今日は午前中から天気が良くて、お客さんの盆栽の植替えをしていました。

午後からおじさんが来て、おじさんはマンションの11階で、家財からマンションから地震でめちゃくちゃにされて、1ヶ月ほど我が家で過ごしていまして、ようやく生活のめどが立って先週マンションに帰ったところでした。

帰ったあとも震度4の地震が2度あって、覚悟決めないと最上階にはすめないよといっていましたが、

我が家で過ごしている間、随分と盆栽の畑仕事を手伝ってもらい、お礼に僕が帰ってきた年からずっと言っていた満開の三春の滝桜を見に行こうといっていたのですが、

中々タイミングが合わずいけずにいました。

行くなら夜明けと共に行くつもりでしたが、昼食後、母親が今から行ってくれば、と唐突にいうもんですから、唐突に行ってきました。

普通なら我が家から三春まで、1時間半で行ける道ですが、今日は3時間かかりました。

006 三春町役場から5キロほど長蛇の列で、全く車は進みません。

殆どが福島ナンバーでしたが、県外ナンバーもちらほら。

元来こういった列に並んだりすると、途中で引き返すのが出来ない性格で、

この時間も含めて滝桜の価値なんだ。と自分に言い聞かせていました。

滝桜の駐車場に付いたのは5時を過ぎていました。

009 夕方からあいにくの雨ににもかかわらず、沢山の人たちが滝桜を見にやってきてます。

025こちらが満開の滝桜。

013

幹の太さ、古さ、枝のしなやかさ。どれをとっても納得の横綱級でした。

みんなこの1本の桜の樹に癒されていました。

色々と考え込んでしまうのは悪いことだと思いません。だって確かにこんなに悲しい出来事は在りがたいことですから。

ただ悪いことを考え続けることがいけないんじゃないかと思います。

この滝桜が、一瞬でも悲しいことを忘れさせてくれるなら、その人の次の音符は、優しい音を奏でるかもしれません。

リズムが大事、間が大事。いってみれば人の心も空間有美。

盆栽で世を救う、音楽で世を救う、そんな大きなことができなくても、その一瞬に存在する価値があるのかもしれません。

ともかく滝桜に、自然に感謝します。

ありがとうございます。

帰りに滝桜と同じ性の苗木を買ってきました。

震災と原発事故のあった年に、我が家の滝桜の歴史が始まります。

次の1000年は、果たして地球があるんでしょうか?

僕らはこの時代、ほんの少しだけしか生きることは出来ません。

都路の仲間は厳しい意見をいっていました。

「どんなに頭が良くたって、災害時役に立たなきゃ、馬鹿と一緒だ。」

家が警戒区域に入ってしまった彼だからこそ言える意見だと思います。

親方が言っていた「名木は、誰が作っても名木。」

平和な日本は誰が采配しても、平和なんですね。

最後にカニグズバーグの「ジョコンダ婦人の肖像」からサライの言葉を引用します。

「あいつら、馬に小便ひっかけられたって、どうして濡れたのか、本で見なくちゃわからないのさ。」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

もちろん今年も蒔きました。

五葉松の種、もちろん今年も蒔きました。

今年は例年以上に数が少なかったのですが、選んだ種は、非常に葉性のいい親木から厳選していますから、発芽が楽しみです。

種蒔きの様子は昨年のブログで→

それで今年は、2月にきたフランスのルイスからのプレゼントで、アルプスやモンブランの高山帯に自生する松の種をまきました。

002

名前は、ピヌス・アンチナタ(Pinus uncinata)。

むこうのネイティブでは「う○んちなた」と聞こえるのですが、日本人的にアンチナタと呼ばせていただくことにしました。

ルイスが言うには、福島で五葉松から葉性の良し悪しを教わって、ヨーロッパの松を見てみると、やはり葉性の良し悪しがあることがわかったそうで、彼の仕事柄高い山に行くことが多いので、そこから葉性の良い固体種を選抜して種を採取したそうです。

008 採取場所は2箇所。

アルプスとモンブランの麓の町シャモニです。

ぼんさいや的に言えば、「アルプスアンチナタ」と、「モンブランアンチナタ」でしょうか。

今からどんなふうに芽が吹くか楽しみでなりません。

ちなみに黒松系や赤松系は、種が乾燥しても大概は発芽するのですが、五葉松は一度完全に乾燥してしまうと発芽率はかなり落ちてしまいます。

我が家から種を購入した方はご存知かと思いますが、冬の間、乾燥させないように管理しないといけないので、種の販売の時期がごく限られているというわけです。

乾燥している五葉松の種は買うな。と言っておきます。発芽率がかなり低いです。

というわけで、次の100年のスタートを切りました。

今年の大震災や原発事故の今後、僕たちの子供たちや孫の時代を、僕たちの代わりに見続けてくれることを祈りながら、大切に育てていきたいと思います。

そしてこの苗木たちがまた福島や全国、世界に旅立つ日の事を夢に描いています。

009 去年から、大きな素材あった山の畑の斜面に桜を植えています。

娘が大人になる頃には、我が家の花見山ができてるはずです。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

飯舘にいってきました。

毎日全国版で流れる飯舘のニュースに矢も立てもいられず、とにかく飯舘に住む友人、本人にあいたくなって、今日飯舘にいってきました。

012

ここは彼の住む比曽地区。

原発から35キロのところにあります。

ここで和牛の繁殖と農業を営んでいます。

今日は昨晩の寒さで雪が積もっていました。

011

ふたりで写真をとってきました。右が菅野牧園の菅野さんです。

僕の二つ先輩です。

計画的避難と言っても、何も計画は決まっておらず、村の人たちは困惑しています。

牛の行き先も未定の農家さんが多く、今後の見通しも立たない状態です。

菅野さんは知人を通して、飯舘にいる人じゃないとわからない現状を各地で伝えています。

北海道や、今度は東京で。

たとえば、飯舘の子供が避難先でいじめにあったり、畜産家や農家の苦悩など、そういった事態に胸を痛めています。

正しい知識も間違った知識も、その情報を得た人の心遣いで態度が決まります。

現状飯舘に残っていることで、心無い言葉であったり、人の気持ちを推し量らない善意によって、随分辛い思いもしたといっています。

菅野さん含め飯舘に残っている人たちは、放射能の危険を知らないから残っているのではありません。

かえって僕ら以上に放射能のリスクや知識をしっかりと学んでいました。

本人たちにとって残るべき理由があるから残っているのです。

けれど、現在マイナスのことばかり考えていても仕方ないので、前向きにやるべきことを考えているといっていました。

発すべき問いは、「なぜ、こうなのか?」ではなく、「さて、どうするか」なのです。 (日野原重明)

僕も何も役に立てないですが、こういった飯舘村の悲しみを風化させないためにも、これからもずっと菅野さんの生きる道を応援していこうと思いました。

「飯舘で自分たちが農業ができなくなっても、例えば子供たちや孫の代に、また飯舘で農業が出来るようになればいいくらいの長期的な感覚で考えていくことも大事」

僕ら飯舘好きの人間も、しっかりと孫の代まで、こういった事態を乗り越えて生きていく新しい飯舘の歩みを、伝えていかないといけないなとおもいました。

016_2

飯樋地区です。田んぼは作れないので放置状態です。

018

ここは草野地区です。

サンザンお世話になった中村さんの奥さんが管理人していた公民館から、南相馬に続く県道を撮りました。

便利な道で、南相馬に向かう車が何台も通っていました。

013

比曽に行く途中で立派な赤松を見つけました。

枝性がいいらしく、天然の樹としては非常にまとまりのある樹姿です。

飯舘の歴史をここでずっと見てきた松なんでしょうね。

隣りの墓地は随分倒されていました。

ご先祖様を置いて避難するのも辛いことです。

お盆までに帰られることを祈ります。

010

菅野さんの自宅の裏にあるため池です。

手前に水芭蕉が咲いています。

ここでも静かに春が始まっています。

菅野さんの牧場では、3月11日以降に生まれた子牛がいるそうです。

とても可愛いといっていました。

僕もかつて和牛の肥育の仕事をしていた嫁さんから、さんざん子牛の可愛さをきかされ、実際に菅野さんや、都路の仲間、山形の川西町の方の家など子牛鑑賞に連れられた経緯があり、子牛の可愛さは少しは見てきたつもりです。

その子のこれからも心配していました。

嫁さん曰く、「愛情持って育てた牛はおいしくなる。いずれ肉になるからといって愛情もなく育ててる人なんて畜産家にいないよ。まして繁殖ともなると実際にお母さん牛から産ませて育てるし、すぐに出荷しないで10ヶ月くらい育ててから出荷するから、愛情だって当然わくよ。」といっていました。

川西の農家さんも「母牛も最終的には肉になってしまうけど、さすがに10年以上も面倒見た牛の肉はたべれなかったよ。」といっていました。

ようするに皆さんが食べてる和牛には、愛が詰まっているということなんです。

以前東和の畜産家さんが親父に

「牛も盆栽も同じです。愛情持って育てれば育てるほど、それに応えてくれる。」

僕は牛を育てたことがないから、菅野さんや都路の仲間の気持ちのどれほどもわかってあげることができないけど、

少なくとも同じ生き物を育てるものとして、その生き物に生かされて来たものとして、

この事態を必ず乗り切る、そして決して心を失ってはいけないと強い思いに駆られました。

006

牛に願いを、牛に祈りを。

やらなきゃならないことをやるだけさ、だからうまくいくんだよ。

031

帰り足、川俣町の駒桜を見てきました。

「今まで見た中で一番姿がいい。」と親父が感動していました。

035

どうやら、春は必ずやってくるようです。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

初、花見山

福島市民なのですが、はじめて花見山にいってきました。

Img_1443

もともと人が集まる場所が苦手なのですが、前日の新聞に花見山が見ごろを迎えたとのっていたので、思い切って足を運んでみました。

Img_1448000

感動です。この迫力はすごかったです。

一朝一夕では出来ないこの景色に、丹精することの大切さを教わりました。

この地区に友人がいて、この春ふくしまを離れることになるのですが、将来、また福島にかえってくるといっていました。

理由を聞かずとも、この景色をみれば納得します。

赤ちゃんの頃から、毎春この景色を見て育てば、もはや遺伝子にこの景色が組み込まれているようなものですよね。

これからも多くの人たちの心を癒す場所であることを願います。

Img_1451000

はい、ぼんさいやを探せ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

飯舘村の精神。

飯舘村が計画的に避難しなければいけない地域になってしまいました。

何で今更?と、言いたいことは山ほどありますが、

僕は何度も飯舘村に足を運んだし、飯舘村のおいしいものを沢山食べたし、飯舘村には盆久楽会の会員さんもいるし、牛を育てている仲間もいます。

天然のドジョウはうまいし、かにもうまいし、タニシみたいのもうまいし、どぶろくもうまいし、エノハナっていうキノコもうまいし、飯舘牛もうまい。

アグリのコーヒーはお客さんに出していたし、公民館には我が家の盆栽をいつも飾らせていただいていました。

飯舘村の会員さんのご縁で、パオの光永さんともお知り合いになれたし、

牛かってる仲間のおかげで、飯舘村の祭りに参加できたし、

なによりもその仲間の村でやった手作り結婚式の司会もさせたもらいました。

彼も今、自分たちの未来を守るために必死で動いています。

飯舘は村民全体がとてもいい雰囲気のなかで前向きに取り組んでいる素敵な村です。

今日、飯舘村の会員さんが、盆栽を実家の川俣町に運んだそうで、そのまま我が家に足を運んでくれました。

村の特老に両親を預けているから、簡単に移住なんてできないといっていました。

実家も花塚山の麓で飯舘に近く、どうなるかわからないそうで、

「何かあったら盆栽を全部避難させてください。」と仰っていました。

「今までずっと丹精してきて、わが子も同然。福島の実生を頂いていって、このままダメにするわけにはいかないです。」ということなのです。

もちろん答えはイエスですし、この方は我が家の畑番長で、

うちの親父が病気で動けなかった頃、ボサボサに荒らしてしまった畑を、たった一人で整地(ボランティアで)した凄い方で、

僕が今畑の木を再び手入れできているのも、この方なしでは考えられないことなのです。

正直、預かるような事態になるということは、さらに事態が悪化することですから、そのようなことにならないほうがいいのですが、

飯舘村や川俣町が報道されていた当初から考えていたことですし、断る理由はありません。

飯舘村のキャッチコピーは「までいライフ」です。

「までい」とはこのあたりの方言で、「丁寧な、手間ヒマ」をかけるという意味です。

まさに盆栽や好みの言葉です。

僕は今原発に対して、これは腰をすえて復興に取り組んでいかないといけないなと思っています。

かなり悔しいことですが、今僕たちが出来ることを続けていますが、必ずしもすぐに良い結果としてあらわれないという状況が長い間続くものだと覚悟しています。

一度しっかり根を張った樹木はいきなり土から剥がされると、弱ったり枯死したりするものです。

今回の原発というものは、被災者にとってそういうものかもしれません。

根が弱った樹木は、いきなりお日様にガンガンあてたり、風に当てたり、肥料をあげたりと、元気な樹と同じ管理をしてはいけません。

始めは半日陰で管理したり、葉水をかけて蒸発を防いだり、風から守ったり、肥料を控えたりして、徐々に回復を待ちます。

ようするに時間をかけるという選択肢は必要です。

4年前に書いた日記を思い出しました。→

僕は飯舘村が好きです。

だけど僕は飯舘村の村民すべてを救えるような力はありません。

ただ1つ僕が出来ることがあります。

それは飯舘村の精神を受け継ぐことです。

それは「までい」。

時間がかかっても、決して焦らず、丁寧に、そして同じ悲劇が繰り返されることがないように、じっくりと復興に取り組んでいこうと思います。

今、祖父の言葉が思い出されます。

「人が3年かけることを5年かけろ。5年かけることを10年かけろ。」

待つとは何もしないことではありません。

人事を尽くして天命を待つということです。

結果を急がないということです。

それはもしかして、自分の孫の代になるかもしれません。

それでも、道はこれまでも、これからも続いているのです。

最後に僕の好きな言葉を引用します。

浄化槽掃除のよしうちさんが、趣味で作っている看板の1つで盆久楽会員さんの庭先に立てた看板の言葉が、今凄く胸にしみます。

「まてぬ文明、まつ文化。」

世界中の皆さん、飯舘村を一生懸命応援していきましょう!

| | コメント (2) | トラックバック (0)

ぼんさいやに春を告げる花。

東京は桜が咲いたのでしょうか?

福島はまだ桜は咲かないようですね。

明日から温かいから、一気に咲くかもしれないですね。

非常に楽しみです。

ところで、春を告げる花といえば「桜」でしょうか?

ぼんさいや「あべ」では桜だけとは限りません。

007

これはショウジョウバカマという里山を代表する山野草です。

田舎の雑木林を歩けば、かなりの頻度で生えています。

この花が咲くと、「準備はいいですか?」と聞かれているようでワクワクしてきます。

005この花の面白いところは実生変化が非常に豊富だということです。

花びらの形、おしべの色、花びらの色、葉の形、花の数など、よくよく観察してみると殆どが微妙に違っています。

そしてさらに増え方も面白いです。

もちろん種でも増えますが、葉の先が地面に触れていると、そこから小さな赤ちゃんショウジョウバカマを作って、隣り伝いに増えていくのです。

ですから一塊の株のところには、同じ色や形の花が集中していたりします。

本当にユニークな花です。

008 こちらは淡い紫色。

006 こちらは薄いピンク

003

これは珍しい純白です。一昨年移植して去年は花が咲かなかったのですが、今年はさいてくれました。うれしい。

こうやって足元から春はゆっくりとやってくるのです。

今年はいつもと違う気持ちで春を迎えることになってしまいましたが、自然は誰に教わったでもなく、しっかりと春を見つけて顔を出してくれます。

やはりここにも感謝の気持ちがありました。

ありがとうございます。

最後に話はかわりますが、猪苗代湖ズの映像を動画で見れるみたいです。→

| | コメント (2) | トラックバック (0)

« 2011年3月 | トップページ | 2011年5月 »