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飯舘にいってきました。

毎日全国版で流れる飯舘のニュースに矢も立てもいられず、とにかく飯舘に住む友人、本人にあいたくなって、今日飯舘にいってきました。

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ここは彼の住む比曽地区。

原発から35キロのところにあります。

ここで和牛の繁殖と農業を営んでいます。

今日は昨晩の寒さで雪が積もっていました。

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ふたりで写真をとってきました。右が菅野牧園の菅野さんです。

僕の二つ先輩です。

計画的避難と言っても、何も計画は決まっておらず、村の人たちは困惑しています。

牛の行き先も未定の農家さんが多く、今後の見通しも立たない状態です。

菅野さんは知人を通して、飯舘にいる人じゃないとわからない現状を各地で伝えています。

北海道や、今度は東京で。

たとえば、飯舘の子供が避難先でいじめにあったり、畜産家や農家の苦悩など、そういった事態に胸を痛めています。

正しい知識も間違った知識も、その情報を得た人の心遣いで態度が決まります。

現状飯舘に残っていることで、心無い言葉であったり、人の気持ちを推し量らない善意によって、随分辛い思いもしたといっています。

菅野さん含め飯舘に残っている人たちは、放射能の危険を知らないから残っているのではありません。

かえって僕ら以上に放射能のリスクや知識をしっかりと学んでいました。

本人たちにとって残るべき理由があるから残っているのです。

けれど、現在マイナスのことばかり考えていても仕方ないので、前向きにやるべきことを考えているといっていました。

発すべき問いは、「なぜ、こうなのか?」ではなく、「さて、どうするか」なのです。 (日野原重明)

僕も何も役に立てないですが、こういった飯舘村の悲しみを風化させないためにも、これからもずっと菅野さんの生きる道を応援していこうと思いました。

「飯舘で自分たちが農業ができなくなっても、例えば子供たちや孫の代に、また飯舘で農業が出来るようになればいいくらいの長期的な感覚で考えていくことも大事」

僕ら飯舘好きの人間も、しっかりと孫の代まで、こういった事態を乗り越えて生きていく新しい飯舘の歩みを、伝えていかないといけないなとおもいました。

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飯樋地区です。田んぼは作れないので放置状態です。

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ここは草野地区です。

サンザンお世話になった中村さんの奥さんが管理人していた公民館から、南相馬に続く県道を撮りました。

便利な道で、南相馬に向かう車が何台も通っていました。

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比曽に行く途中で立派な赤松を見つけました。

枝性がいいらしく、天然の樹としては非常にまとまりのある樹姿です。

飯舘の歴史をここでずっと見てきた松なんでしょうね。

隣りの墓地は随分倒されていました。

ご先祖様を置いて避難するのも辛いことです。

お盆までに帰られることを祈ります。

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菅野さんの自宅の裏にあるため池です。

手前に水芭蕉が咲いています。

ここでも静かに春が始まっています。

菅野さんの牧場では、3月11日以降に生まれた子牛がいるそうです。

とても可愛いといっていました。

僕もかつて和牛の肥育の仕事をしていた嫁さんから、さんざん子牛の可愛さをきかされ、実際に菅野さんや、都路の仲間、山形の川西町の方の家など子牛鑑賞に連れられた経緯があり、子牛の可愛さは少しは見てきたつもりです。

その子のこれからも心配していました。

嫁さん曰く、「愛情持って育てた牛はおいしくなる。いずれ肉になるからといって愛情もなく育ててる人なんて畜産家にいないよ。まして繁殖ともなると実際にお母さん牛から産ませて育てるし、すぐに出荷しないで10ヶ月くらい育ててから出荷するから、愛情だって当然わくよ。」といっていました。

川西の農家さんも「母牛も最終的には肉になってしまうけど、さすがに10年以上も面倒見た牛の肉はたべれなかったよ。」といっていました。

ようするに皆さんが食べてる和牛には、愛が詰まっているということなんです。

以前東和の畜産家さんが親父に

「牛も盆栽も同じです。愛情持って育てれば育てるほど、それに応えてくれる。」

僕は牛を育てたことがないから、菅野さんや都路の仲間の気持ちのどれほどもわかってあげることができないけど、

少なくとも同じ生き物を育てるものとして、その生き物に生かされて来たものとして、

この事態を必ず乗り切る、そして決して心を失ってはいけないと強い思いに駆られました。

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牛に願いを、牛に祈りを。

やらなきゃならないことをやるだけさ、だからうまくいくんだよ。

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帰り足、川俣町の駒桜を見てきました。

「今まで見た中で一番姿がいい。」と親父が感動していました。

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どうやら、春は必ずやってくるようです。

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コメント

この日記、ツイッターで飛ばしても良いかしら。
>飯舘に残っている人たちは、放射能の危険を知らないから残っているのではありません。
>かえって僕ら以上に放射能のリスクや知識をしっかりと学んでいました。
>本人たちにとって残るべき理由があるから残っているのです。
ワタシのフォロワーさん少ないんだけどさ、それでも皆に知ってほしいと思いました。@keicontinue

投稿: サワコ | 2011年4月21日 (木) 13時48分

さわこさん、是非お願いします。

彼も飯舘に残る人の気持ちを知ってほしいと願っています。

ありがたいです。

投稿: ちどり | 2011年4月21日 (木) 19時47分

川俣町の駒桜はエドヒガンですか?桜といえば染井吉野が多く植栽されていますが、樹齢は短く、毛虫、天狗巣病に弱いのになぜもてはやすのかと思います。九州の山野はヤマザクラがほとんどですが、芽吹きの葉色がさまざまで個性があります。エドヒガンは各山体に数本づつありめずらしいです。近くの福智山にピンクの濃い源氏桜と白い平家桜があります。源平の紅白が逆なのは花の世界くらいは仲良くからだそうです。オオヤマザクラが大好きで信州の山林苗木業者から購入し200本山に植えてます。今年はエドヒガンの種子を採種し苗を育てる予定です。

投稿: 宮本良治 | 2012年1月19日 (木) 19時40分

こま桜はエドヒガンかアズマヒガンか?といわれているそうです。

僕の実家でも近くの雑木林にあるのは山桜ばかりです。

里山よりも標高の高いところにいくと大山桜が主になってきます。

大山桜は枝が立ち上がって箒立ちになり、山中でも樹高の高い樹はとても存在感があります。

わざわざ春になると山に自生樹を見に行きます。

我が家の庭にも大山桜があり、毎年濃色のピンク色の花がとてもきれいです。

エドヒガンを山で見分けるだけの知識もないのですが、三春の滝桜も確かその系統だったと記憶しています。

地元の人が接木をしていますので、庭の隅に一本買ってきて植えました。

せっかく植林なさるのですから500年生きる桜を植えるというのは素敵なことですね。

名古屋城から輪島まで桜を植えた佐藤良二さんの映画「さくら」はとても感動します。

お時間があるときにぜひごらんになってください。

投稿: | 2012年1月25日 (水) 20時42分

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