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仙台で、ぼんさいや「あべ」展

6月の25日、26日に、仙台市泉区にあります、陶芸喫茶&ギャラリー「拓坊」さんで、ぼんさいや「あべ」展が開催されます。

詳細は↓。

Img_0001jpg1 Img_0006jpg2

拓坊さんのご夫婦共に、僕が修行時代から福島の我が家に通っていただき、僕も地元に帰ってから、両親と共に大変お世話になってきました。

今回は、福島の文化たる我が家の盆栽、山野草寄せ植えを、多くの方に知ってもらいたいと、特別展を企画していただきました。

静かな住宅街にあるお洒落なお店です。

どうぞ一時でも植物に、自然に癒されたいとお思いの方は、当日足を運んでください。

また、ぼんさいや「あべ」といいますと親父と僕のことかと思われますが、我が家の山野草の寄せ植え、苔玉にかんしてスペシャリストは母親です。

ぜひ、デモンストレーションもご覧頂きたいとおもいます。

それでは、みなさん仙台でお会いしましょう。

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空カフェで、オンツァマな僕

本日、空カフェマーケットでした。

あいにくの雨模様でしたが、沢山のお客さんが足を運んでくださいました。

007 aveさんが、特別ライブをしてくださいました。

やっぱり、福の歌、元気が出ますね。

008外からの立ち見も出る盛況ぶり。

みんな元気をもらっていました。CDも出るようです、買いましょう。

001 朝は外にディスプレイしていたのですが、ご好意で中に入れてもらいました。うれしかったー、これは。

002 五色ヤナギ、アワモリショウマ。

003イチョウ、ノウゴウイチゴ、黄金チリメンかずら、

004山もみじ、ノウゴウイチゴ、浜なでしこ、斑入りの?

というわけで、大盛況の空カフェマーケットでしたが、

帰りに駐車していた車が、泥にはまって抜け出せなくなり、空カフェの旦那さんや手打ち蕎麦の吉成さん、もんぞう農園さんに助けてもらいました。

空カフェの奥さんの車どろだらけにしてしまい、大変申し訳ありませんでした。

自分の車が2駆か四駆かもわからない、 オンツァマな僕でした。

本当ぼんさいややってなかったら今頃、側溝にはまって死んでたんじゃないかと自分で思うくらいです。

みなさん、ご迷惑おかけしました。

ありがとうございました。

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空カフェマーケット、出店します。

今週末29日、日曜日、空カフェマーケットに出店します。

詳しくは→

今年になってはじめての苔玉販売ですので、今から楽しみであります。

山野草的には、五月後半から6月後半の一ヶ月は、まさにゴールデンシーズンですので、色彩的にもバリエーション豊富で、楽しめると思います。

当日はかなり雨が降りそうな予感ですが、苔玉はしっとり濡れて美しさ倍増です。

もちろんヨリドリ選びたい方はお早めに。

それでは、空カフェマーケットでお待ちしております。

004 クロニガナ、カピタンギボウシ

005 もみじ(サンゴカク)、キジムシロ、クロニガナ

006

斑入りヘンリーヅタ、乙女ギボウシ

019ツボサンゴ

013 シオリ、ホウノキ。

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感受性までわからない。

今日は、お客さんの五葉松の針金による整姿をやっていました。

茨城から団体さんがきてくださり、気がつくと今年になってはじめての団体さんだったことに驚きました。

それにしても、盆栽の好きな人ばかりで、本当にうれしくなっちゃいました。

五葉松の手入れも、芽つみも終わり、緑の新葉が開き始め、いよいよ6月、梅雨のシーズンも近くなっていました。

この頃になると、五葉松も殺菌、殺虫と草むしりに気をつけるだけで、大きな仕事は出来なくなります。

ひらいたばかりの新葉に触りすぎると、痛んで真っ赤になりますから、どんとタッチです。

それにしても何年たっても難しいのは、植え替え後の後管理です。

植替え自体よりも、その後の後管理で木を痛めたりすることがありますが、どうしても難しいといえるところは、かなり無理した仕事なのに全く元気な木もあれば、全然無理していないのに何故か痛んでしまう木もある。

無理してないと思っていると、養生も甘くなるので、しっかり養生すると、かえって過保護でいためてしまう。

本当に一本一本が全く違うし、毎年の気候も違うし、仕事の頻度も違う。

それだけにそれ以上の引き出しとアイデアが求められます。

要するに経験ということ、経験とは盆栽歴の話ではなくて、観るということの連続の話です。

枯らして憶えるなんていうのがありますが、あまり好きな考え方ではないですね。

枯れないようにするにはどうしたらいいか、常に考え、行動するから憶えるというのが正確な表現で、枯らした盆栽の前でお客さんに対していったら、いいわけこいてんなってひっぱたかれますよ、きっと。

というわけで、いくつか今年植え替えた盆栽の写真を載せます。

030 実生53年目ですね。

ここの土地はもともと五葉松にあった土壌なので、根っこの元土に畑の土がそのまま残っているものが結構あります。

ただ、そのままずっと付けて置くと培養上芳しくない時は、外側の土を残して、真ん中の土を取り除いたりします。

この木は足元に畑の土が付いていますが、鉢あげは10年以上ですので、培養上問題なく作も良好です。

009

この株立ちは、ずっと石についていたものを初めて石から外して鉢に植え替えました。

一時期畑からあげたばかりの木を随分石につけましたが、畑あげのころは枝がまだ大きく、景色も広く作っていたので、石に丁度合っていました。

長年の培養で懐の枝が育ち、樹もしまってきて、石に合わなくなってきたので、石から外す盆栽が増えてきました。

普通石に付けると、木が大きくなったので石から外したなんていいますが、我が家の作風的には、その逆が多いのです。

次の盆栽も同じパターンで石から外したものです。008以前は左の差し枝の下にもっと大きな枝があったそうです。久しぶりに仕事させてもらいました。

012わかりづらいかもしれませんが、足元に太い根が正面に来ていて、上の流れからすると強すぎる感じでしたが。間にノミで舎利をいれて、太さを和らげたおかげで、だいぶ立ち上がりの違和感が解消されたと思います。

何とも吾妻山らしい樹形です。

そんなわけで今年も春は畑も含めて怒涛の植え替えシーズンでした。

植替えが終わりホッとすると、あたりは草の海。

早速先週は、三つある畑の境周りに除草剤をかけてきました。

松は日当たり命ですから、草に覆われるとたちまち弱ってしまいます。

特に実生苗の畑は、出来る限り草をはやさない様にしなければいけないので、来週ぐらいからは毎日畑で草むしりの予定です。

確かに地面に這いつくばっての草むしりは足腰に響きますが、草むしりはやる前とやった後で仕事がはっきり見えるので、実はやりがいのとても感じる仕事なのです。

正直今の福島で子供に草むしりは、被爆天国になってしまいますが、中々ここまで忍耐力を養える作業もないなと、常々感じています。

この普段の地味な仕事の連続が、お客さんへの感動に繋がっていると思うと続けられるものです。

だってそうじゃないですか、今日も団体さんから、「もうこれからずっと福島だからさ、よろしく頼むよ。」なんていわれたら、うれしいじゃないですか。

草ぼうぼうの、全く手入れしてない盆栽並べて、誰がココロをうごかされるんですか。

言葉なんて、感動の産物でしょ。

言葉が、感動を生むんじゃないんでしょ。

確かに人は観念で生きているけれど、そう信じなければ職人なんて出来ないですよ。

茨木のり子じゃないけれど、自分の感受性くらい自分で守らなきゃですよ。

草むしりしながら僕はいつも考えます。宮沢賢治の「告別」の一節。

「みんなが町でくらしたり一日あそんでいるときに おまへはひとりであの石原の草を刈る

そのさびしさでおまへは音をつくるのだ

多くの侮蔑や窮乏のそれらを噛んで歌うのだ

もしも楽器がなかったら

いいかおまへはおれの弟子なのだ

ちからのかぎり

そらいっぱいの

光でできたパイプオルガンを弾くがいい」

017

藤の花と、やたらうるさい色彩の娘。春の一コマ。

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「星の国から孫ふたり」こんどこそ上映決定!!

以前ブログで紹介したパオさんの映画、「星の国から孫ふたり」が福島フォーラムで上映されることになりました。

詳細です。↓

上映日:2011年05月29日(日)

作品名:星の国から孫ふたり

上映形態:劇場


−当日のスケジュール−

5/29(日)、30(月)、31(火)の3日間
1日1回、モーニング上映

①10:00 映画「星の国から孫ふたり」上映

※最終日5/31(火)に、槙坪夛鶴子監督の舞台挨拶と、講演会があります

劇場アクセス
>>劇場のホームページはこちら



前売券・・・一般1000円(当日1500円)

チケット取り扱い場所・・・劇場窓口・福島市役所・福島大学
お問い合わせ:フォーラム福島(024-533-1717)



主催:ファーラム福島
共催:福島自閉症協会、福島自閉症児・者親の会

上映会場:フォーラム福島【再開】 会場サイトをGoogleで検索

会場住所:福島県福島市曽根田町6-4

連絡先:Tel.024-533-1717


チケット&お問い合わせ窓口:フォーラム福島

窓口連絡先:Tel.024-533-1717 Fax.024-533-2025

映画について詳しくはパオさんのHPをご覧下さい。→

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写真いっぱいアップしました。

左のリンクからいけるアルバム「植物流転」に、写真を大幅にアップしました。

とりあえずアップしたはいいものの、やたらデカイ画像もあり申し訳ありません。

大体が、以前ブログに載せたものですが、そうでないものもあります。

以前の話ですが、飯舘の菅野さんのお母さんが、僕らが菅野さんちから帰るときに、家の奥にあるため池に水芭蕉が咲いたから見て行って欲しいといいました。

親父も僕もてっきり咲き乱れているのかと思っていたのですが、咲いているのは2,3株でした。

「こんな放射能や原発の問題で騒いでいる時でも、水芭蕉は綺麗に咲いてくれる。心を癒してくれるんです。」

菅野さんのお母さんは、そんなことを仰っていました。

010 手前に見えるのがその水芭蕉です。

このけなげな花が、ここで暮らす人の希望なのです。

そういえば、先日警戒区域の小高のおきゃくさんが見えました。

近くの避難所にいるそうで、盆栽たちはすべて置いて来ざるえなかったそうです。

水をあげられない盆栽たちは、おそらく夏を越せずに枯れてしまうでしょう。

「私はやっぱり、盆栽をやめられません。」

「また戻ることが出来たら、五葉松を2,3鉢買って、盆栽を始めたいと思います。」

そんなことを言って、早速近所の生産者さんのところで盆栽を予約したそうです。

「あべさん、絵をかかせてください、イメージになるから。」

その方は、一生懸命我が家の盆栽をスケッチしていました。

今日は、大熊町の愛盆家さんがお友達と会津の避難所から来てくださりました。

自宅は被害がなかったそうですが、盆栽はめちゃくちゃだそうでして、それでも着の身着のまま逃げてきたから、そのあとどうなったかわからないそうです。

それでも、盆栽を眺めてホッとしたいとわざわざ足を運んでくださいました。

僕らは正直、今、その存在に疑問すら感じてしまっていました。

「盆栽は別になくても誰も困らないし、必要のないもの。」

自分でもうすうす感じていても、人から言われると、悪意がなくても傷はつくものです。

けど、これほどの状況でも盆栽を求めてくれる方がいるということは、もはや奇跡です。

盆栽の意味とは、菅野さんちの水芭蕉のようなもではないかと思いました。

というわけで、今はぼんさいやあべに来れないかたもいると思い、写真をアップしたのでした。

少しでも心を癒していただけたなら、幸いです。

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30年前の写真

先日、盆久楽会の会員さんが、昔の写真を整理していたら、懐かしい写真が出てきたということで、その写真を頂戴しました。

Img_new 帽子をかぶっているのが会員さんの佐藤さん、左のサイグラスが親父、小さいドングリが僕です。

おそらく3歳になっていないくらいなので、正確には28年ほど前の写真です。

この五葉松は、一切経から日暮しの松に向かう途中に生えているものです。

もちろん僕は覚えていません。

それにしても、ここに来るまでには相当急な斜面を登っていかなくてはいけないので、とんでもないところに幼児を連れて行ったものだと思います。

ちなみに、この五葉松、昨年登山した時に写真に収めていました。

10930年経つと、周りの小さな五葉松も相当育ったことがわかります。

この根上がりの五葉自体も、風の影響でだいぶ右側に葉が移動したのがわかると思います。

昔の写真を見た瞬間、山で去年見たこの木だとわかりました。

右上の山の稜線の大きな岩からも、同じ木だとわかります。

不思議なものですね、記憶にないのに記憶には残っている。

こういうのを原風景っていうのかもしれないです。

それにしても、とんでもない格好させられていますね。ミスターいなかっぺ。

ちなみに、うちの娘がそっくりなんですわ。

Img_1510

僕も、こいつが3歳になったら背中に背負って吾妻山に行って見ようかなって思いました。

後付になるかもしれないけど、やっぱり子供の頃に見た原風景が、そのまま僕の感性になっていると思います。

この子の記憶にならない記憶は、美しいものであって欲しいと、親ばかですが思うのです。

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にもかかわらず、福島。

今朝まで嫁さんのお母さんが名古屋から遊びに来ていました。

出産後福島に戻ってきてから初めて会った孫娘の成長に驚いていました。

うれしいことに、昨日のよる初めて寝返りを打つことが出来ました。

こうやって娘の成長をみることができることが、どんなに在り難い事か強く感じてしまいます。

福島は、子育てには随分リスクの高い土地になってしまいましたが、それでも僕たちは福島で子育てをしていくことを選んだ以上、しっかりと娘の放射線対策をしながら、元気に明るく育てていこうと思っております。

ところで、昨日半田さんと京都ののぞみ整骨医院の小嶋先生とスタッフのかた2名が、我が家を心配して訪れてくださいました。

前日にいわきの被災地に治療のボランティアで訪れ、津波で流された街や残されたランドセルなどをみて何ともいえない気持ちになったそうです。

そこで実際に被災された方から、「こんなところに来てくれて、ありがとう。」とお礼を言われ、とてもショックが大きかったそうです。

というわけでして、色々な状況の中、それでも福島に残り生活していくことを選んだ人たちが、その不安と対話しながらも、例えば他県から応援にこられたかたや、身を案じて来てくださった方に、そしてなによりそこで生活していくことに迷いを感じている自分自身たちにも、少しでも勇気が湧いてくるような、そんな福島で、そんなぼんさいやでありたいと、そう感じています。

僕が好きな言葉に、「にもかかわらず笑う」があります。

一時期、終末医療の本を読みまくったことがあり、そのなかでアルフォンス・デーケンさんのお話として載っていたのをみて、いい言葉だなぁと思っていました。

普段は忘れがちですが、こんな時こそこの「にもかかわらず笑う」ってことなのかなと思いました。

「私たちは、欠陥があるにもかかわらず、健やかである、という生き方を求めていくべきだと思います。(日野原重明)

僕は世界的に広まってしまった悪いイメージとしての「フクシマ」は、もはや歴史の教科書から外れることのない重大な事故だと思っています。

そして確実に放射線は浴びているわけですから、どんなに少ない人数でも、誰かが放射能の影響で死ぬと思います。

そういった重く悲しいイメージを持って福島を訪れた人々が、驚くような福島。

「あれだけの悲劇が起きたにもかかわらず、福島の人たちは明るく元気に生きている」

「外で遊べないにもかかわらず、子供たちはすくすく健康に育っています。」

そんな噂が日本を、世界を埋め尽くすような福島。

「与えられるのはいつも片方ばかりでないこと、そして、人は生の最後の瞬間まで人に与えるものを持っている、ということです。」(日野原重明)

まさに福興です。

リセットを押したように都合よくイメージは消えません。それなら「にもかかわらず」の精神で強く生きることを選ぶのも1つだと思うのです。

放射能の話題が尽きないのは仕方ありません、ただ放射能の話題だけしかしないのはもはや精神的な内部被爆みたいなもので、これではあまりにも悲しい。

なぜかというと、嫁さんに放射能の話をしていたら、

「あたしはそんなことより、栞が寝返り打てたことがうれしくて、頭が一杯だよ。」

といい、僕は我に返りました。

親としてかっこ悪かった。そしてこのままではいけないとも思いました。

「にもかかわらず笑う。」

当たり前が在り難いことに感謝して、娘の成長に感動していきたい。

娘の前で本当の笑顔を絶やさないお父ちゃんでいたいものです。040ハイハイの練習で疲れてしまった栞。もちろんすぐに助けましたよ。

ちなみに僕ここで言っているのは、放射能は関係ない無視しようではなくて、対策は可能な範囲で子供に被爆させないようするべきだと思います。

ここまで読んでくださった方には不要な注釈でしたが、念のため。

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