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にもかかわらず、福島。

今朝まで嫁さんのお母さんが名古屋から遊びに来ていました。

出産後福島に戻ってきてから初めて会った孫娘の成長に驚いていました。

うれしいことに、昨日のよる初めて寝返りを打つことが出来ました。

こうやって娘の成長をみることができることが、どんなに在り難い事か強く感じてしまいます。

福島は、子育てには随分リスクの高い土地になってしまいましたが、それでも僕たちは福島で子育てをしていくことを選んだ以上、しっかりと娘の放射線対策をしながら、元気に明るく育てていこうと思っております。

ところで、昨日半田さんと京都ののぞみ整骨医院の小嶋先生とスタッフのかた2名が、我が家を心配して訪れてくださいました。

前日にいわきの被災地に治療のボランティアで訪れ、津波で流された街や残されたランドセルなどをみて何ともいえない気持ちになったそうです。

そこで実際に被災された方から、「こんなところに来てくれて、ありがとう。」とお礼を言われ、とてもショックが大きかったそうです。

というわけでして、色々な状況の中、それでも福島に残り生活していくことを選んだ人たちが、その不安と対話しながらも、例えば他県から応援にこられたかたや、身を案じて来てくださった方に、そしてなによりそこで生活していくことに迷いを感じている自分自身たちにも、少しでも勇気が湧いてくるような、そんな福島で、そんなぼんさいやでありたいと、そう感じています。

僕が好きな言葉に、「にもかかわらず笑う」があります。

一時期、終末医療の本を読みまくったことがあり、そのなかでアルフォンス・デーケンさんのお話として載っていたのをみて、いい言葉だなぁと思っていました。

普段は忘れがちですが、こんな時こそこの「にもかかわらず笑う」ってことなのかなと思いました。

「私たちは、欠陥があるにもかかわらず、健やかである、という生き方を求めていくべきだと思います。(日野原重明)

僕は世界的に広まってしまった悪いイメージとしての「フクシマ」は、もはや歴史の教科書から外れることのない重大な事故だと思っています。

そして確実に放射線は浴びているわけですから、どんなに少ない人数でも、誰かが放射能の影響で死ぬと思います。

そういった重く悲しいイメージを持って福島を訪れた人々が、驚くような福島。

「あれだけの悲劇が起きたにもかかわらず、福島の人たちは明るく元気に生きている」

「外で遊べないにもかかわらず、子供たちはすくすく健康に育っています。」

そんな噂が日本を、世界を埋め尽くすような福島。

「与えられるのはいつも片方ばかりでないこと、そして、人は生の最後の瞬間まで人に与えるものを持っている、ということです。」(日野原重明)

まさに福興です。

リセットを押したように都合よくイメージは消えません。それなら「にもかかわらず」の精神で強く生きることを選ぶのも1つだと思うのです。

放射能の話題が尽きないのは仕方ありません、ただ放射能の話題だけしかしないのはもはや精神的な内部被爆みたいなもので、これではあまりにも悲しい。

なぜかというと、嫁さんに放射能の話をしていたら、

「あたしはそんなことより、栞が寝返り打てたことがうれしくて、頭が一杯だよ。」

といい、僕は我に返りました。

親としてかっこ悪かった。そしてこのままではいけないとも思いました。

「にもかかわらず笑う。」

当たり前が在り難いことに感謝して、娘の成長に感動していきたい。

娘の前で本当の笑顔を絶やさないお父ちゃんでいたいものです。040ハイハイの練習で疲れてしまった栞。もちろんすぐに助けましたよ。

ちなみに僕ここで言っているのは、放射能は関係ない無視しようではなくて、対策は可能な範囲で子供に被爆させないようするべきだと思います。

ここまで読んでくださった方には不要な注釈でしたが、念のため。

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