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感受性までわからない。

今日は、お客さんの五葉松の針金による整姿をやっていました。

茨城から団体さんがきてくださり、気がつくと今年になってはじめての団体さんだったことに驚きました。

それにしても、盆栽の好きな人ばかりで、本当にうれしくなっちゃいました。

五葉松の手入れも、芽つみも終わり、緑の新葉が開き始め、いよいよ6月、梅雨のシーズンも近くなっていました。

この頃になると、五葉松も殺菌、殺虫と草むしりに気をつけるだけで、大きな仕事は出来なくなります。

ひらいたばかりの新葉に触りすぎると、痛んで真っ赤になりますから、どんとタッチです。

それにしても何年たっても難しいのは、植え替え後の後管理です。

植替え自体よりも、その後の後管理で木を痛めたりすることがありますが、どうしても難しいといえるところは、かなり無理した仕事なのに全く元気な木もあれば、全然無理していないのに何故か痛んでしまう木もある。

無理してないと思っていると、養生も甘くなるので、しっかり養生すると、かえって過保護でいためてしまう。

本当に一本一本が全く違うし、毎年の気候も違うし、仕事の頻度も違う。

それだけにそれ以上の引き出しとアイデアが求められます。

要するに経験ということ、経験とは盆栽歴の話ではなくて、観るということの連続の話です。

枯らして憶えるなんていうのがありますが、あまり好きな考え方ではないですね。

枯れないようにするにはどうしたらいいか、常に考え、行動するから憶えるというのが正確な表現で、枯らした盆栽の前でお客さんに対していったら、いいわけこいてんなってひっぱたかれますよ、きっと。

というわけで、いくつか今年植え替えた盆栽の写真を載せます。

030 実生53年目ですね。

ここの土地はもともと五葉松にあった土壌なので、根っこの元土に畑の土がそのまま残っているものが結構あります。

ただ、そのままずっと付けて置くと培養上芳しくない時は、外側の土を残して、真ん中の土を取り除いたりします。

この木は足元に畑の土が付いていますが、鉢あげは10年以上ですので、培養上問題なく作も良好です。

009

この株立ちは、ずっと石についていたものを初めて石から外して鉢に植え替えました。

一時期畑からあげたばかりの木を随分石につけましたが、畑あげのころは枝がまだ大きく、景色も広く作っていたので、石に丁度合っていました。

長年の培養で懐の枝が育ち、樹もしまってきて、石に合わなくなってきたので、石から外す盆栽が増えてきました。

普通石に付けると、木が大きくなったので石から外したなんていいますが、我が家の作風的には、その逆が多いのです。

次の盆栽も同じパターンで石から外したものです。008以前は左の差し枝の下にもっと大きな枝があったそうです。久しぶりに仕事させてもらいました。

012わかりづらいかもしれませんが、足元に太い根が正面に来ていて、上の流れからすると強すぎる感じでしたが。間にノミで舎利をいれて、太さを和らげたおかげで、だいぶ立ち上がりの違和感が解消されたと思います。

何とも吾妻山らしい樹形です。

そんなわけで今年も春は畑も含めて怒涛の植え替えシーズンでした。

植替えが終わりホッとすると、あたりは草の海。

早速先週は、三つある畑の境周りに除草剤をかけてきました。

松は日当たり命ですから、草に覆われるとたちまち弱ってしまいます。

特に実生苗の畑は、出来る限り草をはやさない様にしなければいけないので、来週ぐらいからは毎日畑で草むしりの予定です。

確かに地面に這いつくばっての草むしりは足腰に響きますが、草むしりはやる前とやった後で仕事がはっきり見えるので、実はやりがいのとても感じる仕事なのです。

正直今の福島で子供に草むしりは、被爆天国になってしまいますが、中々ここまで忍耐力を養える作業もないなと、常々感じています。

この普段の地味な仕事の連続が、お客さんへの感動に繋がっていると思うと続けられるものです。

だってそうじゃないですか、今日も団体さんから、「もうこれからずっと福島だからさ、よろしく頼むよ。」なんていわれたら、うれしいじゃないですか。

草ぼうぼうの、全く手入れしてない盆栽並べて、誰がココロをうごかされるんですか。

言葉なんて、感動の産物でしょ。

言葉が、感動を生むんじゃないんでしょ。

確かに人は観念で生きているけれど、そう信じなければ職人なんて出来ないですよ。

茨木のり子じゃないけれど、自分の感受性くらい自分で守らなきゃですよ。

草むしりしながら僕はいつも考えます。宮沢賢治の「告別」の一節。

「みんなが町でくらしたり一日あそんでいるときに おまへはひとりであの石原の草を刈る

そのさびしさでおまへは音をつくるのだ

多くの侮蔑や窮乏のそれらを噛んで歌うのだ

もしも楽器がなかったら

いいかおまへはおれの弟子なのだ

ちからのかぎり

そらいっぱいの

光でできたパイプオルガンを弾くがいい」

017

藤の花と、やたらうるさい色彩の娘。春の一コマ。

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