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ぼんさいや「あべ」的ひまわり。

わがやでも、ようやく復興のシンボルが咲きました。

こちらは採用と教育の半田さんが立ち上げたプロジェクトです→

017ひまわりの盆栽仕立ては、実は今回が初めてではなく、過去に何度か作ったことがあります。

初めてのときは、薄い鉢に仕立てたくて鉢に種を直播したら、ひまわりの根が鉢を押しのけて、でんぐり返したようになりました。

ひまわりの根は結構な直根性で、勢いも良く、薄い鉢での培養は困難だと、そのとき失敗してわかったので、

それからは深い鉢で仕立てるようにしました。

根っこ自体も地中深くまでのびないと、あれだけ巨体をささえきれないのでしょうね。

このひまわりは本当なら2メートル以上になる種類なのですが、小さな鉢で本数多く植えられているため、このような優しい雰囲気に成長します。

さらに、種をとるなら、肥料食いなので、おそらくこの花には種はならないでしょう。

このように、限られた環境で育てると、単なるひまわりでもいろんなことがわかってきます。

019室内でひまわりを飾って楽しむのも粋なもんでした。

元来、こうやって自然の生き物と一緒に生きてこその文化なのでしょうが、今は人間だけが上手に自然と付き合えなくなってしまいました。

自然を除け者にして、都市や経済が発展してきたという見方もありますが、

実際には除け者にされてきたのは僕たち人間のほうなのかもしれません。

それと同じことで、美しい福島の自然が汚染されたといいますが、放射能がくっついたことと、自然が美しくないことはまるで別問題です。

福島の自然は、にもかかわらず美しいのです。

人が住めないから、汚れているなんて表現は、僕は好まない。

確かに健康を害するリスクはあっても、ものを美しいと感じるとる心まで否定してしまったら、結局は何も信じられなくなるじゃないか。

毎日犬の散歩しながら頭を垂れてきた稲穂をみていると、秋の気配を感じ心がワクワクしてきます。

空たかくに雲をみたり、かえるの音がいつの間にか虫の音にかわったり、肌の乾燥をかんじたり。

そういった一つ一つが、素直に喜べないなら、カレンダーがなんて無機質にみえてくるでしょう。

僕は福島なんて大きな単位で復興するかどうかなんてイメージがもてるほど、想像力豊かではないけど、

自然をみて美しいと思う心が、多くの人に戻ってきたときこそ、本当の復興といえるんじゃないかと、

今日も、明日も、明後日も、植物たちと語り合いたいと願うのでした。

「本当の幸せは自然から得られるものなのです。勲章やお金をもらうことも幸せかもしれません。でも虫の面白さ、夕焼けの美しさと、どちらが本当でしょうか?」(養老孟司)

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