« 今年ももちろん、やるよ、やるよ、やるよ! 盆久楽展。 | トップページ | 盆久楽展、沢山の来場者!ありがとうございます!!会場編① »

昭和赤玉と会津豪雨の風化の話

先日、奥会津の昭和村にある土やさん、今土石産さんに、昭和赤玉土を買いにいってきました。

ここの旦那さんは、もとは栃木の方なのですが、全国に良質の赤玉土を探し求めて、ついに福島の昭和村に納得のいく土を見つけ、そこで赤玉土一筋で作り続けているわけです。

旦那さんも奥さんも息子さんも、とても穏やかで、人の良さがにじみ出ています。

そして確かに、ここの土は超硬質で、植え替え後しばらくたっても団粒が崩れずのこり、水はけよく、まさに五葉松には堪らん土なのです。

福島が世界に誇る最高品質の赤玉土、特に福島の愛盆家さんには、ぜひ試していただきたいものです。

僕のワークショップで使っている土も勿論昭和赤玉土です。

以前は業者さんにトラックを頼んで運んできてもらったのですが、

今では自家用車でのんびり奥会津路を眺めながら買いに行く、ぼんさいや「あべ」の恒例になっております。

ところで、昭和村に行く途中、柳津の町で只見川に初めて出会うのですが、いつもと違う感じがして、なんとなく気になっていましたが、

三島に向かうあたりから、あの深緑のまるで止まっているかのようにゆっくりと静かに流れる只見川が、すっかり変わり果てていて、とても驚きました。

川底が、川原が見えるのです。

当たり前と思うかもしれませんが、只見川は田子倉ダムをはじめとして、大小のダムが途中にいくつも点在し、まるで大蛇のように長いダム湖のような景色をしているのです。

それが、川岸がえぐられているのはともかく、水自体がまるで少なくて、言ってみれば普通の川に戻っていました。

昭和赤玉の旦那さんの話では、電力不足を補うためにダム湖の水位を上げていたところに、あの大雨が来て、あわてて放水したときには間に合わず、ふもとの只見町と金山町の川口あたりまで、飲み込んでしまったということなのです。

金山町から国道252号線をまっすぐ行く只見なのですが、途中スノージェットを抜けてL字に曲がり、只見川を渡る橋があり、そこがダムになっていて、そこをわたると只見に入っていくようになっています。

そのダムそのものが無くなってしまったそうで、金山と只見は連絡路を分断され、金山から向かう道は、一度国道400号に入って昭和村に向かい、喰丸郵便局の脇の道を右に入って行かなくてはいけません。

ちなみに、その道の途中キャンプ場に入っいく左へ曲がる道があるのですが、その道に入り、キャンプ場の入り口のすぐ反対側が今土石産さんになります。

というわけで、今も只見町の皆さんは大変不便な想いをされているとのことでした。

旦那さんが話の中でポツリと話した言葉が印象的でした。

「みんな、只見の豪雨のことなんて、もう忘れてしまったんだろうね。」

僕は、この言葉に頭をハンマーでぶっ叩かれた思いがしました。

確かに福島じゃ震災、原発、放射能、豪雨にしても紀伊半島で沢山の犠牲者が出ました。

そして何より実際に只見川を見るまでは、豪雨のことをすっかり忘れていたのは、まさしく僕自身でした。

災害の大小や、犠牲者の多少で、知らず知らずの間に差をつける。

自分自身の心の奥深さ、わかっているようでわかっていない自分に気づかされる瞬間でした。

そういわれてみれば、会津豪雨の起きた日さえもわからない。

阪神大震災だって、中越地震だって、チェルノブイリだって、東海村のJOCだって、広島長崎だって、その日さえ忘れてしまったものがあるじゃないか。

僕は今まで、数え切れない悲劇の風化にどれほど加担してきたのだろう。

それなのに自分たちの身に降りかかったことは忘れないで、なんていって本当に伝わるのだろうか?

実際に身に降りかかった事でしか、人は風化に立ち向かえないんじゃないだろうか?

想像力だけでは、毎日泣いて暮らせないだろう。

そもそも、本当に忘れるということが「悪」なのだろうか?

忘れたくても忘れられない、って事のほうが実際なんじゃないだろうか?

他県に行って人の話を聞いて、しみじみ、人によっては、今回の震災が他人事なんだなぁ、と感じたし、

僕自身も、そこではそう思っても、ほかではそう思われるんだろうなと、思いました。

悲しんでいても解決はしない。

修行時代、僕は親方とお酒の席で、格好つけて「食えなくてもいい」と言った事があります。

そのとき親方は

「お前が食えなくなったら、お前の家族や、仲間がお前を放っておくわけないだろう。食えなくてもいいなんて、甘えたこと、二度と口にするんじゃねぇぞ!」

と、言ってくれました。

だから、僕は今こう考えます。

「僕は必ず誰かに想われている。」

自意識過剰かもしれません。

ただそう信じることで、風化や孤独を受け入れることができるかもしれない。

そして続けてこう考えます。

「だから僕は誰かのことを想い続ける。」

こうやって社会的な「風化」とは違った形で、一人ひとりの魂は守られていくんだと感じました。

風化防止も心がなければ、実際に訳もわからない子供たちに、ただ憎しみや悲しみの観念を押し付けてしまうだけになってしまうかもしれない。

僕は少なくとも、自分の娘に、誰かを憎んだり許さないといった感情を持って成長してほしいとは思わないし、そんなことをしたくない。

それが風化させないということなら、僕は全部、忘れてやる。

「悲しい思い出を消すことは出来ないけど、楽しい思い出を1つ増やすことは出来る。」(怒髪天 増子直純) 

|

« 今年ももちろん、やるよ、やるよ、やるよ! 盆久楽展。 | トップページ | 盆久楽展、沢山の来場者!ありがとうございます!!会場編① »

「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

とても心にしみるちどりさんの御話を読む事が出来て、ありがたく思います。拝礼。
ああ、ありがとうございます。
悲しい事も(も)あるけれど、そっと微笑んでいたい今日この頃です。

私事ですが、
いわき市に親戚がいます。
予定が立てば、うちの家族でその親戚一家に会いに行こうという話になっています。
会って来れるといいです。

吾妻五葉のうちのちびちゃん達は、芽吹いた4本皆が元気に夏を越しました。
そうですから、秋が深まり、冬支度にさしかかります。
長い冬を越すために、気力も蓄えたい秋です。

ちどりさん御家族も、風邪など召しませぬように。拝礼。

投稿: 広茂 | 2011年10月 6日 (木) 15時42分

>広茂さん

書き込みありがとうございます。

つらいこと、悲しいことは苦労せずとも考えが浮かんでくる状況で、

自ら前向きな思いを掴み取る生き方が求められるのかもしれません。

考える余裕がないなら、植物でも眺めて、一瞬でも間を作ることからはじめてみるといいんじゃないかと、そう思っています。

投稿: ちどり | 2011年10月 8日 (土) 21時05分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/209438/42156039

この記事へのトラックバック一覧です: 昭和赤玉と会津豪雨の風化の話:

« 今年ももちろん、やるよ、やるよ、やるよ! 盆久楽展。 | トップページ | 盆久楽展、沢山の来場者!ありがとうございます!!会場編① »