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どんなに小さな展示会でも・・・。

10月は、自分とこの盆久楽展も含めて、沢山の盆栽展が開かれました。

明日は、茨城空港の近くに大変お世話になっている愛好会さんがあって、そこの展示会へ行く予定です。

大きな展示会もそうですが、各地の小さな展示会も、とても魅力的で勉強になることが沢山あります。

ただ最近、特に強く感じることは、どんな小さな展示会でも、出展する人たちが共通の目標なり、表現、あるいはルールを持ったほうが良いんじゃないか、ということです。

確かに大きな展示会なら、文句なしで持ち込み古く、幹骨がいいものが集まりますから、それだけで説得力がありますが、

すべての愛好家さんが、そういった盆栽でしか、納得してくれないわけではありません。

表現は、星の数ほどあるから、盆栽の深みもましてくるし、何も古さ”だけ”が感動ではないと思いませんか?

だからこそ、どんな小さな展示会でも、銀河系一の感動が起こる可能性があると思うのです。

じゃぁ、その目標とは何か?

それはそれぞれの展示会で考えることですが、唯一共通して言えることは、丹精ではないでしょうか?

丹精とは何か?

丹精とは、その人がその木に愛情もって接しているということが、その木を見ればわかるということです。

展示会に、カイガラムシがビッシリついたままの盆栽や、苔が適当に張っていたり、雑草が生えたままだったり、鉢をきれいに掃除していない、赤い枯葉がついたまま、針金がくいこんだまま、太い針金がとても目立っているのにそのまま。

皆さんはどう思いますか?

展示会は「ノルマ」になったらお終いです。

丹精の積み重ね、自分ひとりでは抑えきれない感動を表現する舞台が、展示会です。

同じ舞台なら、やはりそこには同じ目標で盆栽展を成功させよう、見に来てくださった人に喜んで頂こうという思いが、あるべきなんじゃないかと、そう感じるのです。

愛好家さんは、それぞれ好きでやってるのだから意思の共有は難しい、といわれるかもしれません。

実現するかどうかは結果ですが、目標を持たなければ、そもそも実現の途中にもなりません。

針金かけや、枝抜き、植え替えなど、特別なテクニックばかりに目を奪われがちですが、僕は修行中、親方にこういわれました。

「どんなにすごい仕事をしたって、その後にその木が枯れたら、それはすごい仕事って言わないんだ。」

要するに、その後の後管理や、日々のお手入れがしっかり出来てこその、大仕事なんだということです。

「最小限で最大限。」

丹精についての勉強会をひらく必要性を感じる、今日この頃です。

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