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雪かき三昧

毎日朝起きると30センチ近く降っています。

いつまで続くかわかりませんが、もっとすごい降ってる地域の方たちはたくましいと感じています。

というわけで、毎日雪かきが仕事みたくなっています。

市内では一番雪が降る地区ですが、それでも豪雪とはいえず、五葉松の多くは冬でも棚場で管理していますから、雪下ろしは大切な仕事です。

今年は寒さが厳しいので、屋根の雪が融けず、ハウスの雪下ろしを数年ぶりにしました。

120130_155602 うえに上がっているのは親父です。

お袋と僕が周りから棒でつついて降ろしていたのですが、真ん中はさすがに下ろせないので、親父がしびれをきらしてハウスに上がり雪を下ろしました。

だいぶ雪を下ろした後の写真ですが、実際には氷のように硬くなった雪が40センチ以上つもっていました。

春になるとこの中で接木した素材の管理をしなくてはいけないので、つぶれでもしたら大変です。

吹雪が収まった隙をねらって、一気におとしました。

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ここに並んだ素材は、荒作りから2度目の針金掛けをした素材です。

無理な仕事はしていなので、小屋には要れず風の当たらない軒に並べています。

雪があまりにおおいので、仕事をする素材を棚から仕事場に取り込むのも雪かきから始まります。

小屋には雑木や小物がビッシリ入っているので、大きな素材は取り込んでおきませんでした。

こんなに雪が降る、というか雪が融けないくらい寒いなら、もう少し小屋に大きな素材も取り込んでおくべきだったと、いまさらながらに反省しています。

あー、春が待ち遠しいです。

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寒い日が続いています。

寒い日がずっと続きます。

ほんとう日本の四季といいますが、情緒なんてどこかにいってしまったんじゃないですかね。

雑な天気ですね。

仕事場にこもって毎日針金をまいています。

外は雪のうまってしまい、外仕事は一切できないので針金仕事はハイペースで進みます。

とはいっても根つめてると、知らぬ間に疲れがたまってしまいますから、仕事の合間に犬の散歩にでかけるのが、僕の気分転換になっています。

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道路がつるつるなので、思い切りダッシュして、犬に紐をひかせて滑るのが最近の流行です。

そのうち痛い目みますね。

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オンリーワンっていうけれど・・・。

先日2歳になる姪っ子がブッロクで遊びたいって言うから、一緒にブロックで遊んでいたんですが、

おそらく世界中の大人たちが見ても、見分けがつかないと思われるキテレツな形を、「でんでんむし」っていってのけました。

それを見てふと思ったのですが、「誰にも伝わらないデンデン虫なんだけど、この子にとっては紛れもないデンデン虫なんだよなー。」と妙に感心してしまいました。

そう思うと「個性的な表現で認められたいっていうのって、なんだかおかしな言葉だなー」って感じてきました。

だって姪っ子の作ったデンデン虫は誰にも解読不能なくらい個性的な表現なんですもの。

でも伝わらないんだよねー。少なくとも大人には。

そうおもうとピカソの絵がなんだか簡単に思えてきました。

たとえばピカソが見ると戦争も「ゲルニカ」になるけど、まぁ僕たちがみるとあの絵はわからない絵になりますよね。

ところがあの絵がどういう意味でどういう風に書かれたか解説されちゃうと、たちまち個性をなくしますよね。だって世間に伝わっちゃったんだもの。

僕らって、本当はわかんなくても解説聞いて感動してるんだから、個性よりも世間の意思疎通のほうがはるかに大事だと思ってるんだとおもいます。

よく初代や2代目と同じことやってるだけじゃだめだっていわれます。

そして、「あえて自分はこうしている部分はありますか?」とも聞かれます。

僕はいつも決まってこう答えます。

「相手が生き物ですから、同じように作ろうと思ってもまったく同じようにできないものです。

あえて、なんて意識しなくても個性なんて勝手に出てくるものです。」と。

僕は以前ブログに書いたように、個性は精神ではなく、体にあると信じているといいました。

違う体で同じことやろうとしても、まったく同じにならないなんて、決まりきったことです。

僕が振り子打法を完全コピーしても、イチローになれないってことです。

もちろんそれ以上になる可能性も入れて。

僕らは手や目を使って盆栽を作っています。脳みそで何考えていても、目と手が盆栽を追っていれば、盆栽は出来上がっていきます。

僕なら、本当に認められたいとおもうなら、個性的な作りだとか、考えなんてことよりまず、今我が家に足を運んでくださる愛盆家さんが、祖父や父の表現に感動してくださるなら、それを徹底的に真似するしかないと思っています。

そして、その表現ですら自然樹形の模倣からうまれたのですから、姪っ子の作ったデンデン虫のように個性的なものとは言い切れないのです。

良識は万人に与えられている」(デカルト)

盆栽の素材はそれだけでは個性的だから、万人がそれとわかるような表現を枝を使って作り上げていくわけで、個性的な表現を意識するなら、最初から個性的なんだから、僕らの手なんて加えないほうがよっぽど個性は失われないと思います。

うちの親父が以前「自然が基本だから、自然は決して裏切らない。」といっていました。

要するに僕たちは燃えるような夕焼けに感動したりするじゃないですか。

それだけ自然の美しさは万人の心を捉えて離さないというわけなんじゃないでしょうか。

個性的な子供を育てたいっていうなら、言葉を一切おしえないで、誰ともコミュニケーションをはかれなくすれば、随分個性的に育つかもしれませんね。

でも、世間や社会と交わる中でも、どうしたって交わらないグレーな部分(たとえばコンプレックスみたいなもの)は誰だって持っているし、そういった部分を受け入れられない人が、個性的な表現で認められたいとか、オンリーワンとかいうと、考え方の違いかもしれないですが、

なんだか妙な気持ちになってしまうのです。

僕らが中学、高校のころに「個性をのばす」なんて教育を受けてきて、今頃になってなんて無茶苦茶なこと言われてきたんだろうと思います。

だって精神の向かうところが一緒じゃなければ、戦争なんて未来永劫なくならないし、がんばろう、東北なんてスローガンでみんながんばれないじゃないですか。

個性とは、与えられたこの体で、何ができるか考えて生きることだと、再度言わせてもらいます。

人間らしくありたいだなんて、

それは人間のせりふじゃないだろ。

僕らしくなくても、僕は僕なんだ。

キミらしくなくても、キミはキミなんだ。」(「№1」ザ・ハイロウズ)

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今日で17年です。

今日で阪神大震災から17年目たちました。

正直あんな地震がこなければ、忘れたまま過ごしていたと思います。

人間の奥深さに気づかされる一日です。

今日生かされている有難さをじっくりと考えたいと思います。

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未来の友達

あけましたね。

うれしいですね。

ところで、大晦日の夜から風邪を引いて年明けから寝てましたが、せっかく里帰りした仲間たちと飲もうとか、消防の出初とか、お酒を飲む機会に風邪薬飲みながら参加していたら、ここ最近は胃がやられてと、今年も上々の滑り出しを見せています。

それでも、盆栽いじってないと不安になっちゃうオタクなので、毎日針金掛けをしていました。

今年の冬は、寒さが一層強くて、何故か福島市内でも我が家の在る地区だけ雪が毎日降り続き、大雪はないのですが、初積雪から一度も畑の土を見ていないという冬になっています。

郡山に用事で出かけたとき山にも雪がなくて驚きました。

福島は広いといっても、こうも局所的に雪が降るのは珍しいものです。

003同じ福島市内の人でも、雪の多さに驚いています。

さて、話は変わりますが、昨年クリスマスのとき、海外の方にメッセージを贈らせていただいたのですが、そのなかでスイスのドルダーさんから、素敵な歌を教えていただきました。

未来の友達→

関連記事→

ドルダーさんについて過去の日記→

ドルダーさんの奥さんは福島市の方で、昨年の原発事故の際にも大変心配してくださり、家族一同とても心が救われました。

苦しみや悲しみは当事者にしかわからないといいます。

確かにその通りかもしれません。

けれど、わかってあげられなくても、何とか笑顔になってもらいたいと思う気持ちまでは否定できないと僕は思います。

常に誰かを思い続けるというのは、簡単なことじゃありません。

風化っていうけど、忘れたくても忘れられないっていうのが、本当だと僕は思っています。

だからさぁ、俺おもうんだぁ。

悲しくて頭にきてしょうがない毎日送ってたってよ、あんたが一瞬でもそんなこと忘れて大笑いできる日をさ、今はまだあったこともないような、どこかの誰かが待ってるとしてだよ、

じゃぁ、その人がずっとこの歌みたいに未来の友達だったとしたら、

そこにいたるまでの時間そのものが、共感とか共有とかいうんじゃねーかな。

「わかるよ、わかるよ。」なんて言葉よりもずっとありがてー、何かなんじゃねーかな。

僕はあえて言います。新年だからいっちゃいます。

でぃあー未来の友達、愛盆家さん。

悲しかったこと、つらいこと、一緒にずっと忘れないでなんていいません。

想像だけで痛みを背負わせることなんて出来ないよ。

忘れたってかまわない。

だけど、いつか僕や僕の子供たちと出会うときがあったら、そんときは一緒になって、大笑いしようよ。

それで十分だよ。おれ、フクシマなんてどっかに忘れ去られてもちっとも悲しくね。

そんときまで、今自分に出来ること一生懸命やって、元気で会いましょう。

では、未来でよろしく。

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