« 2012年3月 | トップページ | 2012年5月 »

立て、立つんだ、すもも。

昨日、倒れかけていた門かぶりのフウムサ(スモモの仲間)を近所の方に助けてもらって、起しました。

005 福島の山くらいになると、ユニックを持ってる人がいたりします。

006 倒れたフウムサの足元に、石をかませて、幹を固定します。

007 ユニックで幹を起していきます。

このあと、さっきの石をマンパワーで足元にかませていきました。

008_2 幹が一メートルほど起きました。

もともとこのくらいで植えつけたらしいのですが、大雪や足元がシャリになってしまったりと、少しずつ寝てきてしまったそうです。

009はい、じいじもにっこりだね。

012仕事の後はみんなで一服。

赤松の文人でホッと一息。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

瞬きしている暇なんて無いよ、電光石火なんですもん、春。

我が家は市内でも桜の開花は一番最後くらいです。

西の果てのどんずまりで(ようするに田舎ってやつです)、例年、市街地より1週間ほど開花が遅れます。

今年は、二日前にようやく花が咲いたと思ったら、たった二日で満開になってしまいました。

しかも、家の前の梅林の花が同時に満開ときたもんで、かなり季節が詰まっていると感じます。

我が家の庭にあるソメイヨシノも満開になりましたが、面白いのが同時に大山桜も、畑にある北海道の桜も5分咲きくらいまで、咲いてしまいました。

これも例年ですと、大山桜がさいて、最後に北海道の桜と順を追って咲くのですが、今年はどれもいっぺんに咲いてしまったのです。

異常気象なんとか、46億年も繰り返せば、このくらいの春なんて大したこたーねぇのか、いずれにしても珍しい春になりました。

11

手前が大山桜です。これは自然に箒立ちになるみたいですね。

近くの林道を随分奥まで入っていくと、この大山桜の一本木に出会えます。

谷の間から20メートル近く、ずーっとまっすぐに生えたその木は、とても美しかった記憶です。今は地震の影響で林道に立ち入りできませんが、いずれまた会いに行きたいですね。

120425_174201 これは夕方畑に用があっていったときに携帯でとったので、ぼやけています。北海道の桜だそうです。

これは、大輪で紫がかった花が、とてもきれいです。実生畑の植え替えが終わった頃にさき、いつも僕らの労をねぎらってくれているみたいです。

今年は桜が咲くのが遅かったので、我が家の盆栽の植え替えもようやく始まりました。

今日は午前中、山形県の小国町の愛盆家さんたちがいらっしゃって、親父が講師で、我が家で植え替えの講習会が行われました。

棚にある84年の実生の五葉松を使って、デモンストレーションを行いました。

午前中は天気もよく、最高の植え替え日よりでした。

午後からはNHKカルチャーセンターで、五葉松の針金掛けの教室にいってきました。

120425_135101 我が家の実生苗を使って、新作りからの針金掛け講習です。

かなり私事なのですが、今日ふとなにげに講習中、今まで自分の中でもやもやしていた幹筋の流れが突然見えてきました。

僕は普段から癖で、頭の中で新作りからの幹筋や枝配りをシュミレーションしているのですが、どうしてもつながらない部分の1つが、ようやく今日つながってしまったのです。

今回つながった部分は、この二年くらいずっとつながらずにいた部分だったので、自分自身講習中にもかかわらず、興奮してしまいました。

そんでデモンストレーションのときに、実際の素材で確認が出来たので、うれしくなって、そのあと受講生さんが、素材の針金をかけているとき(その方は何度か受講されているので)、

「今回は、ノータッチ、ノーコメントでやってみますか?一通り納得いくところまで作ったら声をかけてください。」といって、

その間、何本か余った素材で新作りをしてしまいました。(もちろん、受講生さんの仕事を見ながら?ですよ。)

ひらめきはどこに落ちているかわかりません。

勿論これは誰かと共有できるようなイメージではなくて、あくまで僕自身の中での問題ですし、これがわかったから0が100になったという話でもありません。

例になるかわかりませんが、今まで100本中70本出来ていた仕事で、残りの30本がどうしてそうなるか、いまひとつハッキリしなかった部分が、そのひらめきのおかげで100本中80本出来るようになるという、そういう問題なのです。

100本中100本なんてありえない。

そういってしまえば、その通りです。そうありえる話ではありません。

けれで、のこりの30本に、考えるヒントが落ちているなら、それを拾ってもいいじゃないですか。面白い。

技術に関して言えば、「出来ない」は可能性です。

ま、それに囚われてしまっては、元も子もないですが。

120425_144402

これは、そんな新づくりでした。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

ならんだ、ならんだ。

暖かい日が続きます。

床はがしをした実生苗たちは、成長の具合によって、大、中、小、と選り分けられて、また畑に植え替えられます。

120413_170401 細かすぎて、まるで点です。

あまり小さいものは、3つくらい合わせて植えます。じゃないと畑では大概枯れてしまうのです。

毛利元就の三本の矢みたいですね。

この小さい子供たちが、ああなったり、こうなったり。

実生愛盆家さんなら、それを考えるだけで気持ちが高揚してくるんじゃないでしょうか。

僕なんてば、夜布団の中で考え出すと寝れなくなっちまうんだよね。

よく年配の方が、「もう歳だから、実生はいいや。」と仰る方がいます。

考え方はそれぞれですが、実生っていうのは、それ自体が楽しいのであって、完成された盆栽を作るための目的だけとは限らないと思います。

「種を蒔いて、芽がでた。」、、、これが楽しいのです。うれしいのです。

実生からはじめる?

実生はスタートラインでしょうか?

たしかに生まれてきた苗木たちにとっては盆栽のスタートラインでしょう。

でも、そのスタートラインは先人たちの積み重ね、先人たちの夢がつまっているじゃないですか。

今始まったことじゃないんですよ、実生って。

少なくともうちの爺さん、阿部倉吉は五葉松の実生を84年前に始めている。

そう、僕らは実生をすることでその先人たちの夢に思いを重ねているんです。

初心者がやるもんだと思っているなら、それは1つの観念に過ぎないとは思いませんか?

じゃあ、なんなんだ?

その問いに対する答えは、おそらくこれでしょう。

「あなたも実生、はじめてみませんか?」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

床はがし

今年もようやく暖かくなってきました。

我が家の畑でも、植え替えがはじまりました。

まずはじめに行うのは、実生から3年目(丸2年)の五葉松の初めての植え替え、「とこはがし」を行います。

120409_105201

これは三年前の実生です。

これは、成長がそれぞれ違うので、畑から起してから、大、中、小、と選り分けてから、植えていきます。

あまり小さいものは、一本で植えると枯れてしまうので、3本くらいまとめて植えます。

この後、2年に一度くらいのペースで植え替えをしながら小根をしっかり作っていきます。

この子達は盆栽素材としてのスタートを切るわけですね。

そして、ぼんさいや「あべ」もいよいよ春が始まるわけです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

真ん中にあるもの

昨日の夕方までなんともなかったわけですが、夜中になったらそりゃすごい風が吹きだして、なんだか盆栽が心配で眠れませんでした。

そういうわけで朝棚場を見てみると、大風の影響で盆栽が飛ばされて、数鉢われていました。

家の裏に続く戸は、二箇所とも吹き飛ばされているし、近所でも瓦が飛ばされたり、シャッターがめちゃくちゃになったりと、随分と春の嵐は大暴れしてくれたみたいです。

それでも枝が折れてないやと安心していたら、飛ばされた盆栽ではなく、飛ばされた盆栽にぶつかったほうの株立ちの大事な子幹が折れていました。

120404_164201ボキリと無残な姿に・・・。

007 後ろに流れる大事な泳ぎだしが折れていました。

いつも気をつけてロープで縛っている樹に限って、縛り忘れていて、しかもその後ろにちょうど株立ちが乗せてあったわけですからね。

「あー、東電だ、国だなんていえねーわ。こりゃ俺にもそういう体質がこびりついてんなぁ。」

なんて、いたく反省してしまいました。

そして午後、近所の方の知らせで、我が家の裏の用水路がつまっているとのことで、様子を見に行くと、えらいことになっていました。

120404_160901 大風で流れ込んだごみが、水門で詰まっていました。

水門を空けると、下流で詰まってしまうので、みんなで少しずつごみを書き出していたのですが、

とにかくいろんなごみが出てくる出てくる。

発泡スチロールの箱、ビニールシートのカス、木箱、果物を入れるかご、プランター、葉っぱに、木の枝。

慎重にとっていくと・・・。

120404_161601まだまだコンクリ板の下に詰まっていて、水はたまったままです。

120404_161701 そんで水門のあたりでセッセとゴミを掻き出していたのですが、大きな杉の枝を取ったのがキッカケで、下流にゴミの塊が一気に流れていきました。

120404_162201やっちまいました。下流のコンクリ板のところにゴミが詰まって流れが止められてしまい、道路にじゃんじゃん水が溢れ出しました。

120404_161901仕方ないので少しずつゴミを拾い上げていましたが、水圧で肝心なところのゴミはまったく動きません。

最後には、長い鉄筋の棒で、てこを使って、ゴミを流しました。

その後下流までずっと歩いて見て来たのですが、何とか詰まらず流れてくれたみたいです。

120404_163601歩いていたら、折れた樹を見つけました。 これは山桜の樹。

120404_171901大きな桐の樹が道を塞いでいました。

不思議なことに大概、林の風上の樹ではなく、風下の樹が倒れています。

物理学は暗いのであくまで憶測ですが、林の中に入り込んだ風が木々の間に圧縮されて、ドラえもん的空気砲のごとく、ピンポイントですごい風圧が幹にぶつかったのかな?なんて考えていました。

それにしても、あの原発事故のとき、吾妻からの吹き降ろしに助けられて、ここは比較的線量が低くなりました。でなければ、後ろに山を抱えて、東風がぶつかる地域なので、もしかしたら我々が、今の福島市内の東側の地区のような状態になっていたかもしれません。

ところが、今回はその強烈な吹き降ろしで、隣近所、どこも大概被害にあっていました。

あの地震でも落ちなかった瓦や、石壁が、吹き飛ばされていました。

自然っていうのは、僕らの体験、捕らえ方で、善にも悪にもなる。

そんな感じがしました。

が、ひょっとするとそれは僕たち人間側の都合で、実際には自然は、善でも悪でもなく、

あくまで真ん中にあって、その周りを我々人間が行ったり来たりしているんじゃないかな。

そう、改めて考えさせられる一日でした。

大体、異常気象なんていいますが、毎年決まったように平均的な「同じ」四季が来るって思っていること事態、「異常」なわけで、

当たり前って言うのは、人間の都合とはまったく別で、自然から言わせれば、どれも当然であり、起こるべくして起こっている必然なわけで、

とてつもない地震や、とてつもない大風なんてのは、異常でもなんでない。

人間がああしたから、自然がこうなったっていうのは、すべてに当てはまらないし、かといってまったく当てはまらないわけでもない。

考えれば、考えるほど、自然は誰の上にも、真ん中で、それでいて平等ではない。

千の風はいつも優しいとは限らない。

それでも、僕らはその風に包まれて生きている。

なんだ、自然ってのは、母ちゃんみてーだな。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2012年3月 | トップページ | 2012年5月 »