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俺にはわからない。

関西のほうでは、原発の再稼働が決定したそうです。

僕はあくまで必要とか必要じゃないとかいう発言はしていませんが、ただ今回の決定に対しては、とても複雑な気持ちになりました。

福島の原発事故で苦しむ人々との関わりの中で、同じような事態が起こらないとも言えないわけですから、こんなにすんなりと再稼働が決定していいものかどうか、僕にはわかりません。

それとは逆に、原発立地のおかげで生活がある人たちのことも思ってしまいます。

僕らの住む地域も、五葉松のブームに乗るまでは、隣から隣、大変生活の苦しい時代があったと聞いています。

我が家も親父が一生懸命働いて立派な家を建てて、悪い噂を立てる人もありましたが、子供心にやっと普通の家に住めるんだと大変うれしかったことを今でも憶えています。

今の日本で、僕らのような辺鄙な田舎で住んでいる人たちが、たとえば東京とはいかないまでも、月並みの生活を望むことが本当にいけないことなのでしょうか?

都会に暮らす人から見れば、田舎暮らしは理想かもしれませんが、それは立場が違うから視点が違うだけであって、田舎の人間の暮らしが理想であるというのは、一つの観念に過ぎないと思います。

僕の意見とすれば、「やはりお金が大事と考えることが、悪いとはいえない。」ということです。

だから、原発立地の住民が、再稼働を願うことが「悪」であるとは思えないのです。

僕は飯舘村の友人との関わりもあり、明らかに「脱」を掲げることが正義なのかもしれません。

けれど僕は事態はそんな単純なものだと思えない。

それは先に書いたように、今より少しでも裕福になりたいと思う人の心がわかるからです。

それでも、僕は二つ言いたいことがあります。

一つは、極端なものは信じない、ということ。

「いろいろな種類のいろいろな植物が、いがみあいながらも互いに少しずつがまんし、木の特性に応じて、命をかけて共生している。この多様性こそ最も強い自然の表現力であり、防災、環境保全林、水源林であり、私たちの生活域では、ケバケバしないが、いつまでも飽きのこない本物の美しさである」(「いのちを守るどんぐりの森」宮脇昭 集英社新書)

片一方の意見や思想、エネルギーを抹殺するようなものは危険だと思う。

今までの原子力エネルギーがこれに近かったんだと思います。

二つめは、残された人間が納得する選択をしたい、ということ。

僕らはいずれ死んでしまいますが、人はどんな死に方をしても、勝手に孤独に死ねません。

必ずその死は、生き様は残された人に何かを残していくものだと思います。

だから、ちゃんと残されたものが、先人が選んだ未来に納得できるか、よほど考える必要があると思うのです。

「わかってくれる」なんて甘えではなくて、もっとずっと深い奥のほうで。

だって、常に受け入れるものは残されたものなのですから。

答えを出すのは、死んだ人間ではないのですから。

福島は確かに40年の利益を選び、100年の未来を失いました。

その選択を否定することはできませんが、悲しみはいまだ消えることはありません。

どうか、これは僕たち外側の人間ではなく、内側の人たちが自分で考えた答えで、美しい未来を選んで行ってほしいと願います。

少なくとも僕は、原発すべてのエネルギーになってしまう未来は望みません。

できる限りリスクの少ないエネルギー資源が見いだされることを願っています。

そのうえで敢えて言います。

原発さん、今までありがとう。そして、どうぞゆっくりおやすみください。

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