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ちょっと名古屋まで。

生まれた息子と、嫁と、娘に会いに行ってきました。

予定日の近辺にびっしり予定を入れていたので、周りから軽いヒンシュクをかいましたが、ようやくそれもすんで、今日まで3日、ベイビーを満喫してきました。

しかしねぇ、4400はすごいですね。

生まれたてとは思えないガッチリ感でした。

ぽっちゃりというよりホント、がっしり。

首が太くて体がイカツイ。ラオウみたいな首でした。

手も、もみじというよりは、おおいたやめいげつ。

上の子のときは、抱くのもビクビクでしたが、もう寝返り打つんじゃないかというくらいの元気っぷり。目もばっちり開いていました。

どうしたら僕みたいなドングリから、バオバブみたいな子がうまれるのかと。

冗談はさておき、

正直、健康に生まれてくれて凄くホッとしたし、嫁さんには感謝です。

それにしても、何度も名古屋の夏を経験してますが、初めて名古屋に行って福島より涼しいと感じてしまいました。

今までの感じだと、名古屋の暑さ、というより西日本の暑さは、こっちの暑いとレベルが違うと思っていましたが、福島も負けてませんね。

ただ、福島は10日連続の猛暑日だそうで、明日も記録更新しそうです。

みんな自分ところは一番暑いっていいたがるし、僕もそうだけど、福島市のみなさん、今年くらいは胸張って、「暑い!」っていえるんじゃないですかね。

L01a0296栞もだいぶお話しできるようになっていました。

相変わらずの天真爛漫ぶりで、振り回されまくりましたが、楽しい時間でした。

ちなみに下の子の名前は「新(あらた)」です。

どうしてこうなったかは、上の子が漢字一文字に読み3つだったのと、漢字の中に「木」が隠れていることで統一しようとしたら、この名前ならみんな読めるし、いいなと思ってつけました。

姉弟、まぁ、お互い思いやって育ってもらいたいなと願っています。

それにしても、新、でかいなぁ。

小3くらいで、俺の身長、抜くんじゃねぇか?

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旅館まるごと飾ってきました。

今日、飯坂にある「詠帰亭」さんとのご縁で、まるごと我が家の盆栽や苔玉飾ってきました。

先週、吾妻の駅「ここら」で行われた盆栽リレー展を偶然ご覧になった旅館のご主人が、我が家の作品に惚れ込んでいただいき、旅館に盆栽を飾ってほしいということで、

早速今日、山野草盆栽を持って、詠帰亭さんにおじゃました。

僕も飯坂は不案内なので、初めて知ったのですが、詠帰亭とは、もとは堀切邸の別荘だったそうで、その始まりは、白河?のお殿様松平定信公が名づけだったという、大変由緒ある建物だそうです。

現在は、もとの詠帰亭は残っておらず、大正時代に建てられた建物が現存では一番古い建物だということです。

それでも、建具などから、レトロな時代感を感じ、何だかタイムスリップしたようなワクワクを覚えてしまいました。

堀切さんから以後、東北電力が譲り受けて社員寮になっていたそうですが、現在は旅館としてその役割を果たしています。

震災後、損傷の大きなところもあり、建て壊しされるところを、現在の経営者の方に救われ、再度旅館としてスタートをきり始めたというわけです。

正直、こういった古い建物に我が家の作品が飾られるというのは、職人冥利に尽きるというものです。

商売ということを差し置いても、こうやって我が子たちがひのき舞台に上がる様は大変うれしい。

ここでまた、たくさんのお客様を癒してくるという、その大役にエールを送らずにはいれません。

今後は、詠帰亭さんが管理されるので、僕も陰ながらサポートしていく予定です。

残念ながら、仕事の様子は写真には収めておりませんので、気になる方は直接詠帰亭さんに足を運んでいただきたいのですが、

キッカケになったここらの写真、携帯のデジカメですが掲載します。

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左が実生84年生の根上。右が54年生の立木です。

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少ない展示スペースですが、欲張って沢山飾ってしまいました。

各テーブルや、アンケート用紙の乗ったテーブルにも飾ってみました。

暖簾の前の花は、ノリウツギ系のライムライトという花です。

ミナヅキに似ていますが、花がだんだん緑色になっていきます。

花のない時期に咲く、貴重な品種です。

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驚くほど画像がわるいですね。」

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こちらは、流木の寄せ植え。

主木は、ホサキナナカマドの「セム」という品種です。

二つの流木を組み合わせて半月のように見せています。

遊び心ってやつですね。

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夏の定番のヘンリーヅタも。

毎年同じ種類といいますが、僕らは毎日のように沈む太陽の赤に感動するでしょう?

だから、こういったものも同じように毎日感動するもんなのです。

というわけで、こうやって一つ一つの出会いに感動することができる、毎日が幸せな気持ちになれるのは、

そうですよね、盆栽のお陰様ですよね。

最後は、無理やりでしたかね。

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何の数字かと申しますと、うちの新しいベイビーの重さです。

僕の知りうる限り、親戚、知人、友人の中で一番デカいです。

嫁さんもホッとしていました。

無事に生まれてきてくれて、本当に良かった。ありがと!

僕はまだ福島なので、来週名古屋に行ってきます。

久しぶりに娘に会えるのも楽しみです。

というわけで報告まで。

ご心配してくださった皆さん、ありがとうございました。

元気な男の子です。

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庭塚っこの夏祭り、今年もやっちゃいました。

去年、子供たちを喜ばせたくて思い切って開催した、夏祭り

その大盛況をうけて、今年も地元の集会場で開催しました。

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今年はスーパーボールのプールも大きくなりました。

ちなみにデジカメ壊れたんで、携帯の写真になってます。

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おなじみバルーンアーティストのみちげさんのショーです。

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沢山の子供たちが集まってくれました。

ちなみに手前のカメラ目線の女の子は、姪っ子の真子です。でかくなってねー。

今年は、報徳青年団だけではなくて、地元の青年(というより中年より?)たちで夏祭り実行委員会なるものを組織し、去年より予算もパワーアップ、

店の数もかなり増やしての開催でした。

去年は僕と首謀者?の先輩二人でほとんど準備から段取りまでやってしまいましたが、

今年は他の先輩や後輩たちも、各出店ごとに役割を分担して準備したので、それぞれ気合の入った内容になっていました。

焼き鳥にフランクフルト、ポップコーンにチョコバナナ、かき氷にジュース。

射的にスーパーボールすくいと水ヨーヨーすくい。

どれも儲け度外視の格安設定で、子供たちが群がって、あっという間に完売していました。

早速子供たちからは、来年のリクエストも出てきて、パパさん達は大喜びしていました。

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終わった後は遅くまで打ち上げ。

40代から20代まで、縦のつながりで、みんな遠慮なしの大盛り上がり。

朝早くから準備、お疲れ様でした。

集会所がまだ木造でボロボロだったころ、学校が終わってランドセルを置いていくと、必ずみんな集まっていて、先輩たちが僕らの面倒をみて、一緒にいろんな遊びをしたり、教えてくれたりしました。

みんな職業も年齢も、考え方もバラバラなのに、こういった祭りになると、急に結束して、見事なまでの要領のよさを見せてくれます。

なんだかあの頃から、何も変わらないものもあるのかもしれませんね。

「絆」っていうけどさぁ、求めるもんじゃないんだぜ、初めからそこにあるのに、あんたがそれに気が付かなかっただけなんだぜ。

と、格好つけてみました。

にしても、かなり二日酔いで、35℃の太陽の下で仕事は正直つらかったー。

寅さんじゃないけど、反省しております。

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雨が降らない。

かれこれ、ひと月近く雨らしい雨が降っていません。

土に浸みるようなにわか雨すら降っていない状況です。

今日も36℃・・・。30℃を超える日が止みません。

福島市内でも、なぜか在庭坂は夏雨が降らないところです。

荒井や町庭坂が降っても、ここだけは降らないのです。

冬は特に雪が多いところなのに・・・。

棚の盆栽は水やり出来るので心配ないのですが、

問題は苗木畑。

接ぎ木したものは、特に水切れに弱く、毎日じわりじわり葉やけしてしまいます。

そんなもんで、特にからしたら困るものは毎日畑にも水やりに行っています。

それでも広い松畑に張り付いているわけにもいきません。限界ってものがあります。

じっくりと畑に浸みるような雨が欲しい・・・。

でも豪雨はいりません。

明日も、中通り北部は微妙な天気。

微妙な天気で雨が降った試しなし。

もー、天気予報も当てた人に懸賞金でもあげたら、もう少し本気で予報するんじゃないか?

悪い冗談でした。

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明日から19日まで、吾妻の駅「ここら」で盆栽展示しています。

福島市にある吾妻の駅「ここら」で地元の盆栽園さんで盆栽リレー展がおこなわれており、ぼんさいや「あべ」が明日から、19日まで盆栽を展示することになりました。

隣が、農産物直売所になっていて、スカイラインから下りてきた観光客でにぎわう場所なのですが、

展示している盆栽はそれほど多くないので、わざわざ遠方から来る方にはものたりないかもしれません。

ただ、今年の飾りはまとまりがあって、良いものになっているので、市内近郊のかたは、ちょっと足を運んでいただけると、うれしいです。

それでは、よろしくお願いします。

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五葉松の種、採取ぅ!

毎年同じことやってるから、同じことやってますって日記になっちゃうわけですが、それでもこの当たり前がまたやってきた有難さに、感謝できるのが盆栽のいいところなわけで、

今年も五葉松の種を採取しました。

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採取は、まだ松ぼっくりが青いうちに始めます。

去年までの種に関する情報→2

ちなみに、この青さでも、一日一日でまったく様子が変わってきます。

安心して1週間でも開けてしまうものなら、すっかり傘が開いて中の種がこぼれてしまっています。

こぼれた種は鳥のごちそうですから、拾うったって、拾えません。

なので、ここ数日は毎日のように畑に足を運んで種の様子を観察していました。

しかも、五葉松の種といえども、性質の違いで、成熟の早いものと遅いものがあります。

特に早い「宝来(ほうらい)」は、吾妻山系でも最高級の葉性と枝性を兼ね備えていますので、取りこぼすわけにもいきません。

ちなみにこの「宝来」、もともと吾妻山の蓬莱山に自生していた自然樹でしたが、十数年ほど前に、心無い人が枝接ぎの穂、欲しさに枝を丸坊主にしてしまい、枯死するという事態にあいました。

今、里にある宝来はそれ以前に、わずかに採取していた枝から、接ぎ木で少しずつ増やしてきた大事な品種です。

現在では福島以外の産地でも「宝来」の名前を知る人たちが増えてきました。

こんなところにも、盆栽生産の光と闇があるんだなと、感じてしまいます。

そして、今年もまた国立公園内での採取の話はありません。

組織が機能していないのだから、全く話にならない状態です。

僕ら生産をしている業者さんで個人的に採取の話をもって予定でしたが、組織的にはNOだそうです。

このまま採取の文化に幕を下ろしてしまうのか、とても悲しい現実です。

採取許可までの苦労話を聞かされてきたので、本当に残念な気持ちです。

以前の採取の様子→ 

僕は、教科書に載っているだけの歴史なんて大嫌いです。

今を生きている僕らが、それをやって、見て、何を感じたかが、そのまま歴史だし、文化だと思っています。

目の前にある盆栽を見ても、なんで感動したのか、家に帰って盆栽の本を読まないとわかんないなんて!

盆栽の前で、盆栽って何ですか?だなんて。

だから僕は、初級本に載ってるだけの、初心者のためにオススメする実生だなんてことで、実生を知ったかぶりたくないし、やるならとことん種の採取から実生100年までを体感してこそ得られる感動を、そのまま言葉にしたくて、そして何より形にしたくて、実生を続けているんです。

定義や方程式は確かに大切だけど、感動に定義や方程式をくっつけたら、その人そのものの存在価値が否定されてしまうじゃないですか!

その種が単なる種じゃないって、この体を使って採取して、初めてみなさんに言えるんだと思っています。

昔山で採ってた、じゃぁ嫌なんですよ。

こりゃ、どげんかせんといかん、そう感じています。

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大事な仕事なんです。

7月の17日から、コツコツとやってきた実生畑の草むしりがようやく一段落しました。

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草をむしる前の写真は恥ずかしくて載せられません。

ここに移っているほとんどが曲付けしてあって、葉性のいいものは、そのまままに、葉性が盆栽に向いていないものは、接ぎ替えの台木となります。

畑周りや、通路は除草剤で草退治できますが、植え床は、一列、一列、丁寧に小さな草まで草刈鎌でむしっていきます。

6月頭にやると、お盆までに大分生えてくるので9月にもう一周しなくてはいけません。

このお盆前にやると、草の量が増えますが、大体1回で済みます。

問題点としては、死ぬほど暑い。それと草の量が多いので、ひと畝に1時間以上かかるということです。

それでも、6月と9月は優先しなくてはいけない仕事があるので、どうしてもこの7月後半からの仕事になってしまうのです。

今年は連日の36度越えで、畑の地際は軽く40度を超えてきます。

そんなわけで、畑に行くのは大体4時からで、7時頃まで基本的に毎日続けました。

毎年この仕事を始める前は、草に埋もれかけた畑を見て、ゴールの遠さに途方に暮れてしまいます。

それでも、毎日できる時間で少しずつですが、ひと畝ひと畝ときれいになっていく。

次第にゴールが見え始めても、決して欲をかいてはいけません。

無理をすれば、必ず後で体にきます。

熱中症は、過信からやってきます。

時間的に午前中や、昼過ぎに始めたときは、自分の体の体温を感じながら、危ないと思ったらすぐに仕事を辞める勇気も必要です。

水分はこまめに。梅干しをかじりながら。木陰で体温を落として。

毎日3時間から4時間、多い日は5時間ぶっ通しで草むしりをします。

腰やひざ、股関節は悲鳴を上げてきますが、それでも毎年続けると、痛くならない姿勢、使い方、限度がわかってきます。

疲れを取るのに効果的なストレッチも身につけてきます。

そして、大量に仕事をこなしていると、気が付かないうちに、突然ゴールが見えてきます。

といっても、どんな仕事でもあくまで一区切りであって、完全な終了ではありませんが。

それでも、きれいになった実生畑を上から見下ろした時の達成感は、僕の主観的なランキングだとトップに来てもおかしくないくらいの喜びなのです。

僕も田舎に帰ってきて5年目の草むしり。

修業中も草むしりは徹底してましたが、「こういうのは弟子のすることだと」初めはバカにしていました。

そして、「効率的に、効率的に。」と、草むしりをやらない方法とか、誰かに頼むにしても経済的にすむ方法だとか、楽にできる道具だとか、そんなことばかり考えて仕事に取り組んでいました。

そして、それが経営的にも当然だとおもっていましたし、そうじゃなきゃダメだとおもってもいました。

ところが、そう考えれば考えるほどに、不安になっていくし、効率的にやれば、気持ちに余裕が出てくるかと思っていたら、逆に時間が惜しくなって、気持ちが小さく、イライラするようになってきたのです。

そして、突き詰めて考えたときに思ったことは、

「効率的にできないことこそ、自信に繋がる。」ということです。

効率的のスパイラルに入ると、どんどん気持ちは焦ってきます。

ひとつひとつの小さな仕事を終えても、達成感を味わうことが出来なくなってくる。

そういう時は、非効率から逃げるのをやめて、思いっきり腰を下ろして、ジックリと仕事をしてみる。

勇気が要りますが。

そして、大概こういった仕事はお金になりません。

でも、こういう仕事を繰り返すと、不思議と焦りが薄れていくのがわかります。

世間や仲間が、いつも以上にあくせくしているのがわかります。

愛盆家さんの中には、世間がそう見える人もいると思います。

たぶんそれは、盆栽の空間に腰を据えている実感かも知れません。

盆栽は、非効率の代表選手ですから。

オリンピックを見てると、大会運営上かどうか、ルールが効率的、合理的になってきた感じがします。

そうすると、その中で活躍する選手は自然ですから、何だかやることが画一的になってきて、見ているこちら側に与える感動が今一つ伝わらなくなってきていると思えるのです。

というわけで、この「草むしり」は実生五葉松を扱う、ぼんさいや「あべ」にとって、大事な土台となっているのです。

どんなに技があろうと、センスがあろうと、商売がうまかろうと、この仕事をやらなくなってしまったときは、

ぼんさいや「あべ」もラピュタみたいに、「人は大地を離れては生きていけないのよ!」と言われてしまうでしょう。

最後に好きな本から引用。

“「なあ、モモ、」と彼はたとえばこんなふうに始めます。

「とっても長い道路を受けもつことがよくあるんだ。おっそろしく長くて、これじゃとてもやりきれない、こう思ってしまう。」

 彼はしばらく口をつぐんで、じっとまえの方を見ていますが、やがてまたつづけます。

 「そこでせかせかと働きだす。どんどんスピードを上げてゆく。ときどき目をあげて見るんだが、いつ見てものこりの道路はちっともへっていない。だからもっとすごいいきおいで働きまくる。心配でたまらないんだ。そしてしまいには息が切れて、動けなくなってしまう。こういうやりかたは、いかんのだ。」

 ここで彼はしばらく考えこみます。それからやおらさきをつづけます。

 「いちどに道路全部のことを考えてはいかん、わかるかな?つぎの一歩のことだけ、つぎのひと呼吸のことだけ、つぎのひとはきのことだけを考えるんだ。いつもただつぎのことだけをな。」

 またひとやすみして、考えこみ、それから、

 「するとたのしくなってくる。これがだいじなんだな。たのしければ、仕事がうまくはかどる。こういうふうにやらにゃあだめなんだ。」

 そしてまたまた長い休みをとってから、

 「ひょっと気がついたときには、一歩一歩すすんできた道路がぜんぶ終っとる。どうやってやりとげたかは、じぶんでもわからん。」

彼はひとりうなずいて、こうむすびます。

「これがだいじなんだ。」”

M・エンデ『モモ』大島かおり訳)

僕は草むしりの仕事に入る前、必ずこの言葉を繰り返してのぞみます。

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熊がいる。

福島市内でも今年は熊の目撃情報がかなり多いみたいですね。

僕の住む地区も山に隣接していて、熊の生息圏とかぶっています。

ただ、僕が子供のころは熊が里まで下りてくるなんて、めったになかったし、僕らも山にガンガン遊びに入っても熊に出くわすなんてありませんでした。

たまに、飛び込んで遊んでた砂防ダム(歩いて1時間近くかかる)に熊が出たから、泳ぎに行くときは気をつけろ、なんていわれるくらいで熊の脅威を感じたこともなかったです。

ところがここ数年は、かなり熊の脅威を実感することが増え始めした。

初めは近くの桃畑(直線で200Mくらい)に必ず桃を食べにくるという話でしたが、次第に民家の庭先や犬の散歩コースで目撃情報や足跡、フンがみつかったりと、熊の痕跡が生活圏内に入ってくるようになってきたのです。

そして、先日は我が家と隣の家の犬が夜中相当吠えていたのすが、我が家のすぐ裏に熊が出没したらしいのです。

というのは、後ろの家の畑に熊の大きな足跡が残されていました。

はっきりいって、かなり怖い気持ちになりました。

うちの集落だって、僕の子供もそうですが、小さい子供は結構います。

じいちゃん、ばあちゃんはもっといます。

こういった人たちが、仮に突然熊と出会ったら、相当危険だと思います。

相手は自然です、「話せばわかる」なんて理屈は一切通用しませんから。

とはいっても、何か起こってからじゃないと動かない世間には、僕らの危機感はつたわりません。

クマといっても、放射能の影響でできるクマに夢中になっている昨今、この熊に危機感を募らせていること事態、浮世ばなれなのかもしれませんね。

あえて、文句をいえば(あくまで主観的なので意見にもならないですが)、

引き合いに出して悪いですが、先日仙台市の東北大の近くに出没した熊は、即殺されたそうです。

「近くに学校があり、危険だから」

ほう。

福島大学の近くに出た熊は、安全なんでしょうかね。

さらに言えば、小さな子供が住む家のすぐ近くにいる熊は、白い貝殻のイヤリングでも届けてくれるんでしょうか。

そんなわけないでしょう?

こんな市街地目線な思想がまかり通っていいんですかね。

僕らには共存を訴えておいて、自分たちは無理だから殺しちゃうなんて、あんまりな話だ。

ちなみにある新聞の寄稿に「山のどんぐりが不足しているから、熊が山から下りてきて、人間に殺されるなんてかわいそうです。」と書かれていました。

それが一つの理由だとしても、それがすべての理由じゃないでしょ。

熊を思う優しい気持ちは全く素敵なことですが、一方的な観点とも思えなくありません。

以前吾妻山で熊を見かけたとき、ガイドの方が教えてくれたのが、「熊が増えている」問ことです。浄土平から沢づたいに見下ろすと多い時で7頭ほどいたそうです。

さらに、「高山の熊が里まで下りていくことはない」そうで、里に住む熊は里に住む熊ということだそうです。

そして特別に縄張りを持たないツキノワグマは、縄張り争いで里に追いやられたわけでもなさそうです。

可能性の一つですが、「ドングリよりもおいしくて、簡単にしかも大量に食べれる果樹」に目を付けたとも、考えられなくもない。

なぜなら、桃畑は毎年のように被害にあっている。ドングリは山に行けば食べられずに大量に落ちている。山栗はたくさんなっているのに、近所の栗を食べに来ている。ナラの木は里山で一番多く生えている。僕らの住む山にはナラ枯れがおきていない。

僕だって気持ちは少しわかりますよ。

目の前においしそうなびっくりドンキーのハンバーグ出されて、ヒエとかアワとか食えって言われても食わないですよ。

子供だって一度おいしい食べ物の味覚えたら、もう有機野菜より飴玉とかアイスクリームでしょう?

犬だってドックフードで十分なのに、かわいさ余って何でもあげるから、走れなくらいのブクブクちゃんになってるじゃないですか。

自分の愛犬にたらふく食わせて、熊はドングリとか蟻でも食ってろって話じゃないですか。

だから僕は言いたいです。

自然というものを一方的に見ないでほしいと。

物事は常に見る人の観念なんだから、自然はこうだなんて決めつけて、山間部の安全を否定しないでほしい。

僕らだって普通に暮らして、子供たちだって普通に学校に通ってるんです。

それなのに「熊がかわいそうだから殺すな!」って意見を最重要視して、世間が、社会が、山間部の安全を守れないなんておかしな話じゃないですか。

僕だって熊が駆除されないことがよりベターなのは知っているし、田舎の人間みんなそんなのわかりきってますが、それが難しい状況にあって、なぜ今それを言うのでしょうか。

戦争は人間が起こします。時間をかけて話し合えば、なくすことも出来るでしょう。

それが話の通じない自然相手に、思想や哲学を掲げて、どうして家族の安全が守れるんでしょうか?

熊と一緒に布団に入って寝るなんて無理でしょう?

共存といっても、可能な限り生活圏は分けて考えなくてはいけないと思います。

最近は耕作放棄地が増えて、近所をあるってもクズやカヤに囲まれた荒地や山が至る所にあります。

こういった場所も、熊の隠れ場所になるそうです。

我が家のすぐ裏山もその通りで、おそらくここを通って我が家のほうにきたんではないでしょうか?

夕方や夜、車に行くにも、棚場で水やりするにも、ちょっと不気味な気がします。

里山が維持できなくなっているのが、巡り巡って熊の被害に繋がっているのかもしれません。

これは根の深い問題だと僕は感じています。

自然は大きなサイクルで何かしらの役割をもって動いているのだとしたら、この熊が里に多く出没するようになったのも、何か我々に考えるキッカケを与えてくれているのかもしれません。

だとしても、自然から受けるリスクを少しでも回避することに悪意があるわけでもなく、地域の人たちの安全のためにも、この熊に対して何らかの対処をこうじるのは、必要不可欠だと、僕は考えています。

明日も、誰も熊に襲われたりしないように祈りながら。

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