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大事な仕事なんです。

7月の17日から、コツコツとやってきた実生畑の草むしりがようやく一段落しました。

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草をむしる前の写真は恥ずかしくて載せられません。

ここに移っているほとんどが曲付けしてあって、葉性のいいものは、そのまままに、葉性が盆栽に向いていないものは、接ぎ替えの台木となります。

畑周りや、通路は除草剤で草退治できますが、植え床は、一列、一列、丁寧に小さな草まで草刈鎌でむしっていきます。

6月頭にやると、お盆までに大分生えてくるので9月にもう一周しなくてはいけません。

このお盆前にやると、草の量が増えますが、大体1回で済みます。

問題点としては、死ぬほど暑い。それと草の量が多いので、ひと畝に1時間以上かかるということです。

それでも、6月と9月は優先しなくてはいけない仕事があるので、どうしてもこの7月後半からの仕事になってしまうのです。

今年は連日の36度越えで、畑の地際は軽く40度を超えてきます。

そんなわけで、畑に行くのは大体4時からで、7時頃まで基本的に毎日続けました。

毎年この仕事を始める前は、草に埋もれかけた畑を見て、ゴールの遠さに途方に暮れてしまいます。

それでも、毎日できる時間で少しずつですが、ひと畝ひと畝ときれいになっていく。

次第にゴールが見え始めても、決して欲をかいてはいけません。

無理をすれば、必ず後で体にきます。

熱中症は、過信からやってきます。

時間的に午前中や、昼過ぎに始めたときは、自分の体の体温を感じながら、危ないと思ったらすぐに仕事を辞める勇気も必要です。

水分はこまめに。梅干しをかじりながら。木陰で体温を落として。

毎日3時間から4時間、多い日は5時間ぶっ通しで草むしりをします。

腰やひざ、股関節は悲鳴を上げてきますが、それでも毎年続けると、痛くならない姿勢、使い方、限度がわかってきます。

疲れを取るのに効果的なストレッチも身につけてきます。

そして、大量に仕事をこなしていると、気が付かないうちに、突然ゴールが見えてきます。

といっても、どんな仕事でもあくまで一区切りであって、完全な終了ではありませんが。

それでも、きれいになった実生畑を上から見下ろした時の達成感は、僕の主観的なランキングだとトップに来てもおかしくないくらいの喜びなのです。

僕も田舎に帰ってきて5年目の草むしり。

修業中も草むしりは徹底してましたが、「こういうのは弟子のすることだと」初めはバカにしていました。

そして、「効率的に、効率的に。」と、草むしりをやらない方法とか、誰かに頼むにしても経済的にすむ方法だとか、楽にできる道具だとか、そんなことばかり考えて仕事に取り組んでいました。

そして、それが経営的にも当然だとおもっていましたし、そうじゃなきゃダメだとおもってもいました。

ところが、そう考えれば考えるほどに、不安になっていくし、効率的にやれば、気持ちに余裕が出てくるかと思っていたら、逆に時間が惜しくなって、気持ちが小さく、イライラするようになってきたのです。

そして、突き詰めて考えたときに思ったことは、

「効率的にできないことこそ、自信に繋がる。」ということです。

効率的のスパイラルに入ると、どんどん気持ちは焦ってきます。

ひとつひとつの小さな仕事を終えても、達成感を味わうことが出来なくなってくる。

そういう時は、非効率から逃げるのをやめて、思いっきり腰を下ろして、ジックリと仕事をしてみる。

勇気が要りますが。

そして、大概こういった仕事はお金になりません。

でも、こういう仕事を繰り返すと、不思議と焦りが薄れていくのがわかります。

世間や仲間が、いつも以上にあくせくしているのがわかります。

愛盆家さんの中には、世間がそう見える人もいると思います。

たぶんそれは、盆栽の空間に腰を据えている実感かも知れません。

盆栽は、非効率の代表選手ですから。

オリンピックを見てると、大会運営上かどうか、ルールが効率的、合理的になってきた感じがします。

そうすると、その中で活躍する選手は自然ですから、何だかやることが画一的になってきて、見ているこちら側に与える感動が今一つ伝わらなくなってきていると思えるのです。

というわけで、この「草むしり」は実生五葉松を扱う、ぼんさいや「あべ」にとって、大事な土台となっているのです。

どんなに技があろうと、センスがあろうと、商売がうまかろうと、この仕事をやらなくなってしまったときは、

ぼんさいや「あべ」もラピュタみたいに、「人は大地を離れては生きていけないのよ!」と言われてしまうでしょう。

最後に好きな本から引用。

“「なあ、モモ、」と彼はたとえばこんなふうに始めます。

「とっても長い道路を受けもつことがよくあるんだ。おっそろしく長くて、これじゃとてもやりきれない、こう思ってしまう。」

 彼はしばらく口をつぐんで、じっとまえの方を見ていますが、やがてまたつづけます。

 「そこでせかせかと働きだす。どんどんスピードを上げてゆく。ときどき目をあげて見るんだが、いつ見てものこりの道路はちっともへっていない。だからもっとすごいいきおいで働きまくる。心配でたまらないんだ。そしてしまいには息が切れて、動けなくなってしまう。こういうやりかたは、いかんのだ。」

 ここで彼はしばらく考えこみます。それからやおらさきをつづけます。

 「いちどに道路全部のことを考えてはいかん、わかるかな?つぎの一歩のことだけ、つぎのひと呼吸のことだけ、つぎのひとはきのことだけを考えるんだ。いつもただつぎのことだけをな。」

 またひとやすみして、考えこみ、それから、

 「するとたのしくなってくる。これがだいじなんだな。たのしければ、仕事がうまくはかどる。こういうふうにやらにゃあだめなんだ。」

 そしてまたまた長い休みをとってから、

 「ひょっと気がついたときには、一歩一歩すすんできた道路がぜんぶ終っとる。どうやってやりとげたかは、じぶんでもわからん。」

彼はひとりうなずいて、こうむすびます。

「これがだいじなんだ。」”

M・エンデ『モモ』大島かおり訳)

僕は草むしりの仕事に入る前、必ずこの言葉を繰り返してのぞみます。

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コメント

話を読んでいて、フランスのパティシェの話を思い出しました。

そこのレシピは、特別なことは書いてなかったそうです。 でも、すごく美味しい。

そこで修行をした日本のパティシェが見た物は、当たり前のことを当たり前にするということだったそうです。

つまり、手を抜かないということで、効率を追求すると、失うものもあるのかもしれませんね。

投稿: チビ公 | 2012年8月11日 (土) 03時51分

チビ公さん、書き込みありがとうございます。

全体的にうまくまとまっていると、中身のディティールまで、気が向かないものです。

水やりも、「その棚をやった」と思っていても、「その棚のその木」とか「その木の裏側」
とかまで水をやっていないと、盆栽は枯れてしまうことがあります。

盆栽は一本一本を育てる訳で、棚で淘汰されるものではないので、どうしても効率的な仕事をしていると、ついていけないものは、はじかれてしまう気がします。

ただ、仕事をしているとそこが最も難しい部分の一つだと感じます。

手を抜かないということは、それだけですごいことなのかもしれませんね。

投稿: あべ | 2012年8月13日 (月) 00時38分

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