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2015 こめつが あづまやま。

GWの隙をついて、吾妻山に行ってきました。火山ガスの影響で交通規制がかかっていますが、当たり前ですが噴火するまでは安全な場所もあるようです。

この時期は普段、笹藪で入れない原生林の中を行き渡りしながら歩くことが出来ます。

今回の目的はその中にある米栂の老木、古木の観察です。

何度も入ったことのある森でも、入るたびに新しい発見がある。

厳しい自然では、たとえ何百年生きてきた老木でさえ、次に行ったときにそこに在るとは限りません。

絶えず樹は枯れ続け、更新されています。
米栂の後にはアオモリトドマツが早く育つみたいで、若い米栂は殆ど見受けられませんでした。

その森の奥に樹幹部だけがセッカになった老木があるのですが、した枝は雪の重みでほとんど枯れ落ち、頭がキノコのように平らに張った不思議な姿をしていました。

誰も知らないこの場所で、この木はこの特異な姿で生き続けています。

自然の不思議を教えてくれる、感動的な出会いでした。

その後も雪渡りを楽しみながら時間は過ぎていきました。

ちなみにどの樹も道路からすぐのところにあるのですが、いたずらに自然に立ち入ると危険ですから、みなさんはマネしないでくださいね。

とにかく自然樹はすごい。

いつも思うのは、「敵わないわぁ。」という打ちのめされる気持ち。

それも負けを認めてるんだけど、気持ちは爽快。

だって、伸びた鼻を簡単に折ってくれるんですもの。

まだまだ。まだまだだぞー。って。

盆栽と自然の話になれば、少なくとも僕の経験上、盆栽で自分がした仕事を山に確認しに行く感じです。

「あ、やっぱりあの枝使いで良いんだ。」とか、「あのしごとじゃぁ、この樹におこられるよなぁ。」なんて思いながら一枝一枝、ジンや舎利なんかを観察しています。

自分の技術や感性を、実際に自然を体験することで「腑に落としていく」作業なんです。

そうやって「空間有美」を自分の中で育てていく。

世間のうわさ話や流行に左右される事も決して悪い事だとは思いません。

ただ、自分が返っていく場所、「心のホームグラウンド」を持つことは、表現の世界に生きるものとして大切な事なんじゃないかと、最近は思うようになりました。

結局何が言いたいかって言うと、
「盆栽はこの大自然のエッセンスを少しでも多くの人に伝える手段だ」ってこと。

この自然に目が向かなければ、盆栽は目的を見失った彷徨う難破船になることもある。

さあ、みんな自然の景色を見に行こう!!

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