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伝承するということ、

お客さんのお手入れです。
四国五葉松の山採りかと思われます。

数年前に全く枝が暴れて手入れが行き届いていない状態で持ち込まれ、我が家での整形は2回目になります。

1枚目の主木の一の枝に注目してください。
右の泳ぎだしの子供にかかり過ぎて、枝が混み合って見えます。

かといって子供が見える位置へと反時計回りに僅かに鉢を振ると、左の子供二本の空間が窮屈になり、さらに泳ぎだしが奥に逃げてしまいます。

そこで主木のこの一の枝を抜いてしまうと、主木の枝がずっと高い位置まで無くなること、主木が一番前にハト胸状に立ち上がっていて、幹のふくらみが目立ってしまうこと、この前枝が無いと、後ろの子供まで景色が抜けてしまい、奥行きが出ない事など、実は物凄く大事な枝になります。

そこで最後の写真をみてください。

この枝をほんの少し、大きさで言うと枝に葉が3つ、5、6センチほど枝を詰めました。

すると、泳ぎ出しの子供の背中に僅かばかりの空間が生まれたことが分かります。

と、こんな事を考えながら、盆栽を作っています。

これ関しては感性というより、空間有美の型としての考えです。

だから、この話は父親と共有することができる話なのです。

ある時は、一芽の位置で議論になります。

こうやってコミュニケーションをとりながら技術の継承が行われていると実感しています。

よく職人の世界は見て覚えるとありますが、正確には考えを伝えて覚えるものだと思います。

見て覚えるのは天才です。
見て考えて、その考えをシェアしてくれる人がいて、恥かいたり、受け入れてもらったりして初めて自分の中でふに落とし込むのが、僕ら凡人の手順です。

僕は親父も親方も祖父も凄い職人だと思います。

僕はもう敵わないと初めから降参している。

けれど、いつも考えるのは、そのエッセンスを紐解けば、必ず誰しもが共有できる手順に落とし込むことができるんじゃないか?ということです。

自分の仕事は、沢山の人の思いや歴史を経て、いま形になっています。

僕だけがもらった感性や技術なんて、いわば時代の産物です。

継承できるものはもっと奥のずっと底の方にあるものだと思います。

我が家の祈りは無二ではなく、無私だ。
吾妻山に憧れているんだ。

共感を生む仕事こそが、次の時代に残る仕事であったら、本当に嬉しい。

いつか英語くらいシンプルに空間有美について、沢山の人と語り合えるようになりたい。

ところで僕は、

五葉松の枝葉に隠れたこの言語、紐解くにはまだまだ修行が足りないようです。

ありがとうございます。





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