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百聞は一見にしかず、感性は足で磨く。

僕は子供の頃から親に自然の景色を眺めに連れていかれたので、盆栽は自然の景色を見て表現するものだと思っていましたが、

実際盆栽の仕事をして、多くの盆栽屋さんや愛好家さんに触れ、思いの外ファンタジーに感じたことを思い出しました。

盆栽で言う所の八方根張りから一の枝二の枝の模様木で、しかも足元太くコケ順よく、腰も低いそんな理想の木姿。

吾妻山には一本も無かったから、どうして自然の景色を表現しているのに、一番遠い姿を理想とするのかなと。

体験的に考えると、本当に昔の日本人、特に京都や奈良に都を構えるようになってからの日本人が、自然の厳しさを受け入れて来たのか、とても不思議な気持ちです。

でも、魑魅魍魎が跋扈する自然から美しい部分を切り取って行くとそうなるのかなぁとも、考えてしまいました。

いずれにしても、今は簡単に新幹線と車を使えば東京から2時間で浄土平に立つことができるわけですから、ファンタジーとしての自然というよりも、自然の中での人間の立ち位置という捉え方で盆栽と向き合える時代なんだなあと実感しています。

昔の人が自然とどう向き合っていたかというより、自分がどう向き合っているかを知って、初めて昔の人の行動が腑に落ちるということが、実際には多く起きてます。

また、今はそれができる時代なんですよね。恵まれた時代です。

ですから、表現をする立場にある人は積極的に自然に出向いて、先人たちの教えを頼りに、美しい景色を自力で切り取り、多くの人に紹介することで、感性が世間に叩かれ、強いものになって行くのではないでしょうか。

僕は歴史家でもないし、文化にも詳しくないですが、間違いなく吾妻の自然に美しさを感じて来た人たちの意志を継いでいるし、いまだに吾妻山と関わり続けています。

このブログを読んだ人の中に、何か不思議な力で足が都会から離れて山に向かってくれたのなら、

このブログを続けている意味もあるのかも知れません。

はっきりいいます。

盆栽は自然の景色を表現しているかどうかわからない。
けれど、空間有美の盆栽は自然の美しい景色を表現したいと願い続ける盆栽です。

共感いただいた方に力を頂き、また今日も盆栽を作り続けるのです。

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