西会津にヒントあり。

長ーい文です。

本日は西会津を巡ってきました。

一番の目的は江口敬さんの作品「風姿」に出会うため。
西会津芸術村で開催中の展示会、本人も在郎ということで喜び勇んでまいりました。

http://egtkweblog.exblog.jp/26297817/

と、その前に西会津でもう一つ行きたかった場所、
大山祗神社の参拝です。
http://www.ooyamazumi.net/index.html

我が家の地区にも大きな杉の木の大山祗神社があり、我が家も氏子になっています。
福島県の山の神様の親方である西会津のこの神社参拝は以前から行ってみたいと思っていました。

遥拝殿参拝の後、奥の院に行こうと思ったらどこぞの親父が家から出てきて、「往復三時間もかかるよ。」と教えてくれました。さすがにこの雨だし、でも行きたいし・・・。

すると「一人で行くんじゃねーぞ、何かあってもわかんねんだから。」って。
はい、素直に出直してくるといって戻りました。

次来るときは物好きな人を連れてきます。

途中、鳥追観音の高野マキを見てきました。
http://www.torioi.com/
真言宗だけに高野マキなのかなぁって思いましたが、
伝承1200年の樹齢に驚きました。
屋久島でいうところの紀元杉じゃないけれど、これが本当なら徳一大師がこのお寺を開いたときに在った(植えた)ということになります。

いつも巨樹、巨木には歴史が寄り添いますね。
伝説大いに結構、信じることでこの木が僕に及ぼす効果は
真実なわけですから。

大山祗神社へ行く途中には、
念仏杉という樹齢450年のすぐの古木がありました。
大きな木や、石などに信仰心を抱くことって、実際にこういった木に出会うと確かに腑に落ちるところがあります。人間の手の及ばないところに、人は手を合わせるのかもせれません。

そして、西会津野沢駅近くにあります、下条のフゲンゾウ桜。

30分歩き回ってもないから、
近くの道の駅の店員さんに聞いてみると、
以前TVで紹介されたといって教えてくれました。

それでも言われた場所にないからあきらめようと思ったところ、
土手の上の墓地にその木はありました。

確かに雪深い会津に樹齢450年生き続けた異形の桜。しかし、
言葉が出ないくらいのガレ具合。
寿命がやってきたのでしょうか。
巨樹との出会いは、いつでもこの避けられない運命との出会いをはらんでいます。

一つ残念だったのは、
看板を立てて保護しようとした形跡があったところ。
そしてこの木はまだ生きているというところ。もはやその手入れが放棄されているところ。

僕はモノづくりをしていて、そして田舎に住んでいて、最も悲しいのは無関心だと思います。

まだ弔うには早いかもしれませんが、この木の枯死を見届けてあげてほしい。あげたい。

一方で地域の可能性を必死に考えて掘り起こそうとしている人がいるにもかかわらず、一方で無責任な地域振興の怖さを思い知らされました。

地方の観光課や文化課の人たちが自分の仕事にどれだけ責任をもてるか、継続することの難しさ、継承することの困難、そこに「手入れ」という考え、「持ち込む」という時間をかけることの大切さをどれだけ意識できるか。

盆栽も東京オリンピックや世界大会もあり、世間にピックアップされていますが、僕たち当事者も一時的な効果に期待しすぎて、責任を人に預けて、考えることを放棄してはいけないなと、この桜を見てヒシヒシと感じてきました。

そんな思いにはせながら、西会津国際芸術村へ。
http://nishiaizu-artvillage.com/

江口さんは先についていました。

そして二人でゆっくりと作品を見ながらお話しできました。

率直な感想としては、とても分かりやすい表現だと感じました。
それはもちろん江口さんのお話があったからだと思います。

江口さんが能に対する、その情景や心情を江口さんが表現するとこうなる、という作品。
そのキッカケが作品「清経」であること。

そう思うと
僕がこの作品を見た印象を懐深く受け止めてくれる作品。
「見立て」とありましたが、本当にその通りの作品。

物静かな江口さんの心の中にも、渦巻く情念を垣間見た気がして、なんだかうれしくなったこと。

能に関して全く無知でも、「見立て」ることとで、どんどんイメージが広がっていきます。

そして、僕が江口さんの作品に惹かれる理由が、そこにあります。

江口さんはその世界の入り口に立っていて、その世界を垣間見せてくれるナビゲーターのような人。

ぼくが「風の向こう側」でコラボした時も、それは強く感じました。

もしかして江口さんが表現しているものって、とてもシンプルで誰しもが抱いている、誰しもが感じている、誰しもが見ているものなんじゃないでしょうか。

難しいとかわからないとは全く筋の違う

作品の前でそんな分かち合いをすることが、この作品のもつ力なんではないでしょうか。

あのコラボも、それほどまでに完成度が高かった。(自画自賛)

江口さん、さすがです!
惚れ直しました。

そして、芸術村の矢部さんも素敵な人、以前の仕事のお話もすごく面白かったです。

僕の勝手な解釈からすると、矢部さんの今の仕事って、西会津っていう器の中で、
もちろんそれは制限がたくさんあると思うのですが、
一つ一つの魅力を丁寧に時間をかけて掘り起こして、
作りこんでいく人。
歴史、文化、自然、人。

最小限で最大限。
盆栽みたい。

かっこいいです、矢部さん!

というわけで、勝手にテンションを上げながら、僕自身の栄養を沢山いただいた一日でした。

西会津、また行きます。





| | コメント (0) | トラックバック (0)

会津は色んな意味で奥深い。

今日は、写真家の江口敬さんのご案内で西会津町にあります、
西会津国際芸術へ。
http://nishiaizu-artvillage.com/

高校時代の西会津の同級生の話とはうらはらに、実際の西会津のポテンシャルに驚いて帰ってきました。

普段から盆栽をアートという側面で考える機会が少ない自分としては、ご紹介いただいた矢部佳宏さんのお話はとても有意義なものでした。

展示というものの奥深さも。

矢部さん、江口さんありがとうございました。
西会津には、西会津国際芸術村と、ギフチョウがある。

なんて魅力的なんでしょう!








| | コメント (0) | トラックバック (0)

ヒマワリ、儚げに。

福島ヒマワリ里親プロジェクトさんのヒマワリ。

今年は小さく咲きました。
肥料不足かなぁ。

来年は大きく咲かせたいですね。

http://www.sunflower-fukushima.com/

| | コメント (0) | トラックバック (0)

地域と共に。

庭つかっ子夏祭り、お陰様で無事に終了しました。

小さな地区ですが、大人達が楽しんで、子供達も楽しんで、本当に面白いお祭りに成長しました。

若い世代もドドドと入って、勢いも出てきました。

やったー!

鹿児島のネギ農家谷村ファームさん、毎年ありがとうね!

とても小さいイベントでも喜んでくれる子供達や地域の大人達。

ここに参加できるのはちゃんと仕事をつづけていられるから。

ぼんさいやあべとしても、阿部大樹個人としても、これからも頑張って盆栽や続けていきたいって思うことができました。

よーし、面白くなってきたぞー!


| | コメント (0) | トラックバック (0)

心底、ありがとうございました。

7月7日、僕にとって大切な方が空に旅立ちました。

10年ほど前、修行時代、腰を悪くして実家で療養中に出会いました。

「息子さん、神奈川ならタマに食事をご馳走しますよ。」

と言って、連絡先を交換しました。

そもそもの我が家とのご縁は、ご夫婦で映画を作っていて、飯館村の公民館で映画の上映会をしたとき、その公民館の管理人の旦那さんが我が家の会の会員さんだったことから、

盆栽に興味のあったその方が我が家にも足を運ぶようになりました。

そして、修行時代三ヶ月に一度ほど、小田急線経堂駅前の韓国焼肉屋で、沢山話を聞いてもらいました。

その頃の僕は、弟子という立場上、何だか社会に混ぜてもらっていないような寂しさで、身勝手な不満や不安で一杯でした。

それでもその方は、何時間でも僕の話に耳を傾け、最後に決まって、

「大樹くんがそう考えたんだから、それでいいんじゃない。大事なのは、それを相手にどう伝えるか、それを考えることだよ。」と諭してくれました。

そして必ず、答えではなく、自分自身の経験談を元に、僕に気づきのヒントを投げかけてくました。

すると数日後決まって手紙を下さいます。
そこにも、次の予定と共に、自分の経験での気づきがサラリと優しい文面でかいてあました。

弟子明けしてからは、年に二回、5月と10月に福島に来てくれました。

震災直後、奥様と作った自閉症の子供たちの映画「星の国から孫二人」の上映会をフォーラムで行い、駆けつけたのもいい思い出です。

そのとき監督の奥様と、しばらく言葉につまり見つめ合ったのですが、今でもあの時間が忘れられません。

その年の9月に奥様が亡くなられました。

長年リウマチを患いながら、それでいて自分のことではなく、社会の中で悩み苦しんでいる人たちにスポットライトを当て続けた、本当に素晴らしい監督でした。尊敬する女性でした。

それから、その方の会社も忙しくなり、映画も2本作りました。とても素敵な映画です。

盆栽や人生の話を沢山したかったのですが、次の世代に仕事の引き継ぎをするんだと意気込んでいましたので、それが落ち着くまでは、少し待っていようと思っていたのです。

それから3年経って去年の夏、大きな病気をされました。驚いたのですが、本人は至って飄々としていました。11月にお会いしたときには、がっしりした体が随分細くなって、とても心配でした。

それでも本人は、「まだまだやりののしたことがあるから、大丈夫だよ」といい、ぼくも心を落ち着かせたのを覚えています。

ご家族から電話があったのは、7月に入って直ぐでした。

本人の容態が急変して、今は自宅で終末医療を受けているとのことでした。

まだ話ができるときに聞いていた盆栽と鉢を取りに来れないかとの話でした。

正直、余りに急で思考が止まりました。

それから直ぐに車を手配して、夜中に八王子に向かいました。

朝5時に自宅に着きましたが、ご家族が起きて待っていました。

半年ぶりにお会いするその方は、病気の影響で丸で別人になっていました。

目も見えず、言葉もしゃべれない。

それでも驚いたのは、椅子に座って体をしっかり起こしていたのです。

僕の呼びかけにも、体を揺すってしっかり反応しました。

「実は、先生が昨日来て、余命は昨日だろうって言っていました。」

「大樹くんが来るのに死なせるわけにはいかないから、夜中、夫婦で作った映画を流して、体をさすりながら声がけしていました。」

「お分かりの通り、本人は格好つけだから、大樹くんにこんな姿を見せたくないんだろうけど、それでも来てくれてよかった。」

盆栽を車に付けているときに、いろんな事が頭を駆け巡りました。

帰るときにもう一度声をかけました。
想いを残したくないから、家族の前で不謹慎にも、

「まだ早いですよ!福島で待ってますから、また沢山お話ししましょうよ!」

っ言いました。

そのあと、なんだか電話する事もできず、預かった盆栽を手入れして、その後で電話すると、

「実はあの日の午後に静かに息を引き取りました。」
「大樹くんの事待っていたんだね。」

葬儀は家族で行ったそうです。

最後体を起こしていれたのは、モルヒネを一切拒んでいだからだと言っていました。

僕は神様がいるだとしたら、この機会を与えてくださった事に感謝します。

人は、人から埋め合わせてもらっただけでは、幸せにはなれない。

本当に伝えたい気持ちを、本当に伝えたい言葉で伝えられて、心は満たされるものなんだなと、自分自身の経験で実感出来ました。

正直、納得の行く終わり方じゃないです。まだ、60代。早すぎます。

もっともっと教えて欲しかった。

それでも前を向けるのは、僕の気持ちを言えたから。

頂いた手紙、読み返しています。

今読んでも、今諭されているような、今怒られているような、そんな手紙ばかりです。

最後に本人から関わりのあった方々に最期のメッセージが届きました。

全く最期まで、格好つけてくれます。

僕が今日まで、心を壊さずに、前を向いて生きてこれたのはあなたのお陰です。

これからは、僕もあなたの、あなた達のメッセージを伝えていく順番です。

本当に本当に、ありがとうございました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

世界と繋がるお茶の間

金曜日の夜の一コマ。

ベルギーの鉢作家さんから頂いた、手びねりのお猪口で乾杯です。

半田さんはじめ、全くお酒が大好きな親父のお話をいつも聞いてくださる皆さんには、感謝ですね。

親父の盆栽人生が今の時代を生きる大人たちのお役に立てているなら、これは息子としてもとても嬉しいです。

金曜の夜、ふくしまの田舎に世界がありました。

ありがとうございました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

写真直しました

iPhoneのアプリとパソコンの画面が釣り合わなくて、写真がでかくて見れなかったですね。

横着して携帯からアップしているから気がつかなかった。


残念ながら写真のズームアップはできませんが、ごめんなさい。

展示会などの写真はちゃんとカメラで撮ったものを載せます。

いや、載せるかも。

いやいや、載せねばなるまい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

伝統の本質。

皆さんは伝統について、真剣に考えたことはありますか?

そんなこと考えるなんて、そもそもウツ的な発想ですが、僕は職業柄、性格的にも考えずにはいられないのです。

まずは伝統って何だと思いますか?

簡単に言えば、とても大事なものでありながら、決して変わらないものじゃない、そんな事だと思います。

かと言って、変えていいものでもない。

じゃあ何なんだってなりますが、ここで大事なのは一体性と言う考えだと思います。

ここに盆久楽会の規約、第3条を載せます。

「本会は故阿部倉吉の指導した空間有美を基調とした作風に共鳴するものをもって組織する」

これは簡単なようで、とても難しい。

なぜなら祖父は亡くなり、父、そして僕の代になれば空間有美もまた、解釈に多少の変化を避けられないから。

それが会員さんともなれば、直接祖父との関わりがなければなおさら、本当のところで腑に落とす事は難しいし、例えば僕の子供やその世代が伝統を守る立場になった時、祖父や父との盆栽を通じた直接の関わりが殊更希薄になってしまっている以上、さらに伝統を守る事が容易でないとは、誰しもが想像できる事だと思います。

その上で伝統を守るとは、やはり一体性なんだと思います。

世界中の誰にでもこの空間有美の作風を運ぶためには、僕らの個人の利益以上のものが必要なのではないでしょうか?

よく言う商売とは、何なのでしょう?

お金を多く手に入れる事が目的なら、それはそれでいいでしょう。

けど考えてみると、そのための手段が盆栽なら、それはギャンブルに近いものがあります。

勝ち負けが目的なら、スポーツに似ています。

盆栽が人の心を穏やかにするものなら、目的が勝ち負けやお金になっては、本来の一体性から外れてしまうのではないでしょうか?

綺麗事と言う前に、自分の器量を疑った方がいい。

出来ないなら、本来の一体性の中で、たくさんの人達に「助けて」もらいながら、成長していくしかない。

目の前の勝利にこだわるなら、伝統とそもそも縁がなかったんだと諦めて、勝ち負けの世界に生きればいい。

だからお金儲けはあくまで伝統を維持するための手段の1つであって、目的じゃないと思う事が大切なのかもせれません。

僕の立場で言う伝統とは、空間有美。

自然らしさの表現の中で、このクソッたれな世の中にも、心が安らぐ美しい自然がある事を知ってもらいたい。

そして解釈の問題。

これは僕個人の心が楽になるためだけに、そのタガを簡単に外しちゃいけないと思う。

たとえ空間有美の総本家であっても、優先すべきはその一体性であり、僕個人の利益じゃない。

軸があって初めて物事は回り出す。

軸がなければ、ただ彷徨う難破船だ。

伝統とは軸だ。

変えられないものを受け入れる落ち着き。

変えられるものを変えていく勇気。

そしてその2つのものを見分ける賢さ。

それをみんなで考えていくのが、伝統を守るという事だ。

それは決して楽じゃないけど、伝統の面白さの本質はそこにあると思う。

簡単に白黒つけて前に進む前に、少し立ち止まってジックリ考える時間が必要なんだと思います。

例えば、盆栽をゆっくり眺めながらね。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

季節外れは、勝手な思い込み

季節は少し足踏み。

僕らの時間割通りに進む春なんて、ない!



| | コメント (0) | トラックバック (0)

卒業おめでとうございます

今年も岳陽中さんの卒業式に盆栽で出席です。

5年前も同じく卒業式でしたね。

こうやって震災を思い出すキッカケにもなっています。

卒業生の皆さん、おめでとうございます。

高校生になっても、思春期らしく、もがいてくださいね。

意地悪な大人より。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧